② 5/13 女性のアルコール依存症
一歩も二歩も先へ進んでいる松山。今度は司がくやしさをにじませると、切れ長の目は挑戦的な光を宿す。
「今頃なにを言っているのかしら。そんなこと、知ってて当然よ」
「当然……か」
「まだあるわよ。男は単純だから、飲み応えのあるガツンとしたビールを一本飲めば、そこそこ満足する。でも女性は様々な味を試してたくさん飲むの。というか、購買意欲は女性の方が高いから、バラエティ豊かな商品を数多く出して、迷わせる戦略だもの。選べる数が多いほど、買い続ける。そして気が付けば」
言葉を止めて、じっと司を見つめた。切れ長の目が鋭気を込めて解答を待っている。司はぎこちない笑みを浮かべて応えた。
「アルコール依存症だ。女のアルコール依存症は年々増えている。とある病院では八万にいた患者が、十年で十三万人に倍増したって話もある。酒は毒にも薬にもなるが、俺のクラフトビールを毒にしたくない。酔っ払って気を失う女に出会うまで、それに気付かなかった」
「それで、どうするつもり? お医者さんにでもなるの」
「さすがにそれは無理。もう少し広報に力を入れたいと思ってる。だが、それをするには様々な部署の協力が必要だ。今回のプロジェクトで、想像してる以上に俺が嫌われていることを知ったからな」
ビール業界が低迷する中、アカツキビールを盛り上げようとしているのに、邪魔をしてくるのは同じ会社の人間。わざと間違った書類を期限ギリギリに寄越したり、伝えたはずのことを聞いていないとうそをついたり。能力がない癖にできると勘違いした人間が足を引っ張ってくる。大切な部下も嫌がらせに遭ってくやし涙を流していた。
思い出すだけで腹立たしいが、それも現実。
「嫌われてるから、あたしに協力しろと? 変わったわね。昔のあなたなら、すべて自分の力で相手をねじ伏せてでも進んだはずよ」
「だろうな。俺ひとりでなんでもできると思ってた。営業だって、商品開発だって、俺の考えが一番正しい。それを証明するためにがむしゃらだった。五年前のまま突っ走っていたら、確実に潰された。反発する力にたったひとりで立ち向かうなんて無理だ。そしてあんたは、それを守ってくれた」
司の言葉にほんの一瞬だけ動揺が走った。だがすぐに冷めたまなざしをぶつけてくる。
「なんの話かしら。あのクラフトビールは確実に売れる。あたしのものにしてしまえば、出世間違いなし。それしか頭になかったわ。でも、さすがに二回もあなたのプロジェクトを潰すのは悪いと思って、今回は見逃しただけよ」
「それでも感謝してる。今回のプロジェクトでは協力者がたくさんいてくれた。前回の挫折を知ってるから、多少、哀れみの目で協力してくれる奴もいた。俺の求める味を再現してくれた開発部には頭が上がらない。自分ひとりでなんでもできる。なんて、思い上がりの発想だった」
司はどこまでも本音を語っているのに、松山は心の内を絶対に見せない。その姿は、まだなにか大きな壁と戦っているようで心配になった。だが司は確信する。松山が目指している方向と、司の思いが同じだと。
「ノンアルコールにも興味がある。いま、ノンアルコールのビールは多種の味が楽しめて、どこへ行っても注文できる。昔より美味しくなったらしいが、まだまだ開発の余地があるだろ。次はその可能性を楽しみたい」
そう、とつぶやいて松山は立ち上がった。そして司を見下ろす切れ長の目は、いままでで一番厳しい。
「道を見付けたのなら、さっさと仕事に戻りなさい」
松山は背を向けた。
背を向けられたら、これ以上、話は聞かないということ。司は一礼をして部屋から出る。だが、扉を閉める瞬間に「がんばりなさい」と聞こえた。
それは空耳だと勘違いしてしまいそうなほど小さな声。司は笑みを浮かべたが、立ち止まらずに歩き出す。
「菜花には縁結びの才能があるかもしれないなぁ」
すべての過去を吹っ切るように力強く歩いていた司だが、自然とやわらかい表情になっていた。
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