五月十三日(水) 適量を守り、節度ある飲酒を
① 5/13 女性の飲酒には注意が必要です
朝一番に司は松山を訪ねた。
「あなたの方から来るなんて、珍しいわね」
「昨日、面白い話を聞いたから」
軽く笑って見せたのに、松山はすぐに表情を切り替えた。
「大石菜花の処分をなかったことにしたいの? そんなくだらない話なら、時間の無駄。聞かないわよ」
「そんな話をするつもりはない」
「本当かしら」
司の本心を確認するように、じっと見つめた。五十歳を過ぎても美しさを保つ松山は絶えず凜とし、冷酷で冷たい印象を相手に与える。腹を探る切れ長の目も鋭くて、普通の社員なら怯えて目を逸らす。ところが昔から司は動じない。
「本当にムカつく男ね。まあ、いいわ。あたしもあなたに話があるの」
「それは珍しい。お先にどうぞ」
「そろそろ結婚しなさい。相手がいないなら紹介するわ」
「は?」
「出世ラインに乗りたいのなら、身を固めなさい。五年、いえ、三年ぐらいで離婚しても構わないから」
「離婚前提の結婚って。あいかわらず恐ろしいこと考えるな」
「仕方がないわよ。役員も、その上も、頭の古いバカばっかりでしょう。結婚してようやく一人前とか言ってるの。いつの時代って笑っちゃうわ」
「ずいぶん機嫌がいいな。この会話を録音してたらどうする? 前回は証拠を残せなかったが、いまは違う」
ピント張りつめた空気が流れた。だが最初に笑みを浮かべたのは松山。
「司はそんな姑息なことをしない。無表情を装っても、あなたの目は正直なのよ。脆いほど」
「手厳しいな」
「あたしの前でうそは通用しないと思いなさい」
涼しい顔で言い切った松山だが、すぐに唇をゆがめた。
「そういえば、ひとりだけうそをついた子がいたわ」
「へぇー、肝が据わった奴だな」
「大石菜花よ。あなたの知り合いだと思ったのに、知らないと。まんまと騙されたわ」
くやしさをにじませた松山と違って、司は声を出して笑いそうになった。
菜花は松山を騙したのではない。司を神主だと思い込んでいた時期に遭遇しただけ。ずっと松山の鼻を明かしてやりたいと考えていたが、菜花が先に一泡吹かせていた。
くやしがる松山を眺めながら笑みを押さえていると、切れ長の目がさらに細くなる。
「早く用件を言いなさい。追い出すわよ」
不利な状況を感じ取れば、すぐさま攻勢に転じる。松山のペースにはまる前に、司は本題に入った。
「五年前に発売された、絵本のようなラベルのクラフトビール。あれの欠点を見付けた。今回の新作にも同じ欠点がある」
「面白いことを言うのね。あれ以上のものが、まだつくれるってことかしら?」
松山は司の話を値踏みするように聞きはじめた。その視線は不快だが、社会人として厳しく司を指導したのは松山。売れるか、売れないか。いっさいの情を挟まない姿勢に懐かしさを感じる。
ふと昔のことを思い出していたが、短気な松山が苛立つ前に話を続けた。
「あれ以上のものをつくる自信はまだない。でも、フルーツの甘みと爽やかな味わいを取り入れて、パッケージも華やかにした。ビールの苦みを嫌う女でも飲めるように。そればかりを考えて企画してきたのが、女の適度な飲酒量は男とまったく違う」
「そうよ、よく気が付いたわね。アルコール分解は主に肝臓でおこなわれるけど、女性は男性より体が小さい。だから肝臓の大きさも小さくなるわ」
松山は書棚から一冊の本を取り出し、司の前に置いた。
「女性と飲酒についての本よ。女性の肝臓は小さいし、体脂肪は男性より多い。アルコールは脂肪には溶けにくいから、飲んだときの血中アルコール濃度は男性よりも高くなってしまう。女性ホルモンにはアルコールの分解を抑える作用がありそうなので、もう最悪よ」
松山はお手上げのポーズをしてから、身を乗り出した。
「女性にとっての適量は、男性よりも少量であるという認識を持たないと、あっという間に肝障害を起こすこともあるわ」
飲みやすさを追求した商品が、健康被害を与えている。売れる商品を作りだせばいい。散々そう言われてきたから、健康まで頭が回らなかった。つい最近それに気が付いた司と違って、松山はいつもずっと先の遠くを見つめていた。
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