⑤ 5/12 五年前の真実
絵本のようなラベルのクラフトビール。商品になる前から評判がよく、期待と注目が一気に集まりすぎた。
当然、松山の部下である司がヒット商品を生み出せば、ふたりとも昇進する可能性が高い。だが松山の場合は「女というだけで特別扱いされている」と揶揄する者が多かった。このままだと部下の手柄で役員になる。それでいいのか、という意見が出た。
「頭を悩ませた経営陣は、池田さんが考え出したものすべてを、松山さんからの発信に切り替えました。そのために動いたのが総務部長たち。経営陣に恩を売って、若い才能をつぶすことができます。そしてなにより、松山さんが一番嫌うことを松山さんにさせたんです」
「……松山が嫌う?」
「手柄の横取りです。松山さんは、女というだけでずいぶんくやしい思いをしています。数々のアイディアを盗まれて、蔑まされて。だから池田さんの企画を池田さんの企画として進めたのに、結果は……」
菜花は声を詰まらせて目を伏せた。司は信じられないと言った表情で、すべての資料に目を通していく。
「よくこんなものを入手できたな。いったい、誰から」
「それは言えません。そういう約束ですから」
ふっくらした唇を固く結んだので、頼み込んでも教えてくれそうにない。だが、この資料があれば五年前のことを暴露しても勝てる。発言のすべてを黙殺された五年前とは違う。頭の回転が速い司は、瞬時にすべての段取りをシミュレーションした。そして「くくくっ」と低い声で笑いはじめた。
「ありがとう、菜花。これは返す。処分してくれ」
一瞬の沈黙のあと、菜花の瞳は嬉しそうにキラキラと輝き出す。
「よかったぁ。もしこの資料を使って五年前のことを暴露する! なぁんて言い出したらどうしようかと」
「この資料はじつに魅力的な罠だ。自分の手は汚さずに、俺に掃除をさせて高みの見物。五年前の出来事に関わった奴らは痛手を負うが、一番多くの血を流すのは松山になる。菜花は止めるだろ。松山のファンだし」
「そうですよ。人を傷つけたら、自分まで傷つくんでしょう。わたしの復讐を全力で止めておいて、池田さんが復讐に走ったら、大笑いしてやろうと思ってました」
天真爛漫な顔で勝ち誇った笑みを浮かべるから、「その顔まで想像できたから、やめたんだ」と不機嫌な声を投げた。でも、司のシミュレーションは少し違う。
復讐の道を選んだ場合、五年前の屈辱を晴らすことができる。ただそれだけ。司の手のひらにはなにも残らない。菜花の瞳は悲しみにゆれて、資料を手渡してしまったことを悔やみ、ずっと後悔する。ふたりの仲に取り返しのつかない影を落としそうだった。
「五年前、あのときは本当につらかったのに、こんな日が来るとは」
「そうですね。でも、未来がわからないから面白かったり、楽しみだったりしますね」
「そうだな。もしかしたら、来年、俺たちが結婚してるかもしれない」
「ええぇぇぇっ!?」
あまりにも盛大な声を上げて驚くから、「冗談だ」と言ってそっぽを向いた。
――そんなに驚かなくてもいいだろ。鈍感女。
司は心の中で毒を吐いた。さっきもキスしようとしたのに気付いていない。こうなると、なにも言わず押し倒した方が手っ取り早い気がしてくる。天井を見上げて少し考えたが、場所が場所だけに深いため息をついた。
「明日、松山と話をしてみる。俺の誤解も大きかったようだし」
「そうしてください」
「菜花は、本当に縁結びの神様みたいだな」
「え?」
「完全に切れたはずの縁をつないだ。松山と和解できたら、これからの仕事がずいぶんと楽になりそうだ」
形のいい黒の瞳に、いつもの司らしさが戻った。だから菜花は安心してやわらかい笑みを浮かべたのに。
「ヤラミソパワーは恐ろしいな」
「んなっ、またバカにしてます? お子様ですみませんね。わたしだって、好きでそうなったわけじゃ――」
必死に反撃しようとする小動物のような目で、文句を言い出した。司が「そこがいいところだ」とつぶやいたのに、怒ってる菜花には届かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます