⑧ 5/15 大好きです
「はい、これで防犯カメラは気になりません。誰も見てません」
もう一度抱きしめてキスをしようとしたのに、菜花は「わあっ」と声を弾ませてすり抜けた。
「池田さん、見てください。夜景が綺麗です!」
さっきから逃げまくるので、じれったさに短気を起こしそうになったが、窓に目を向ける。
車のヘッドライトが川のように流れて、宝石をちりばめたように輝く街の明かり。息を呑むような夜景が一枚の絵になって浮かびあがっていた。
菜花はほどよい厚みがある唇を開けたまま、窓に貼りついている。その横顔は、無邪気な明るさに包まれていた。
司は心の中で「しょうがない」とため息をつく。
「二泊がダメなら、一泊」
「…………」
菜花は答えなかった。というか声が出せなかった。
一緒に京都へ行きたい。でも泊まりがけの旅行にする気はなかった。司がぐいぐい攻めてくるのも、想定外。
胸を突き破ってきそうな心臓は激しく鼓動して、頭から煙が出そう。呼吸もうまく整わなくて、酸欠で倒れそうになる。
どこまでが本気で、どこからが冗談なのかわからないのも、パニックに拍車をかけている。そしてなにより、さっきガーリックトーストを食べた。これが気になって仕方がない。
「わかった。部屋をふたつ取る。別々の部屋ならいいだろ」
「そうですね。そうしましょう!」
激しい混乱に思考が追いつかない菜花だったが、司の提案に胸をなでおろした。
でも「それじゃ、約束」と腰に手がまわる。だから小指を突き出した。
「約束と言えば、指切りですね」
「ん? そうだっけ」
首を傾げる司を無視して、菜花は一歩下がった。それから小指をからめて「指切りげんまん――」と楽しそうに唱えた。
黒の瞳が冷ややかに菜花を見ている。それがわかっていても、少し司と離れたい。ガーリックトーストを恨んだが、「針千本の~ます。指、切った」と元気に唱えて小指を離そうとした。でも離れない。
菜花が「ん?」と顔を上げて小首を傾げると、司はいたずらを思い付いたような目で笑う。
「指切りって、子どもかよ。大人はね、指切りじゃなくてこうするの」
菜花を強引に引き寄せて、今度は逃げられないように素早く唇を重ねた。
――ふぇええええぇぇーッ⁉
わけのわからない叫びが全身を駆けめぐる。そっと司の温もりが唇から離れても、今度は首筋に熱い息が。その瞬間、ガクンと菜花は崩れ落ちた。
「菜花ッ⁉」
驚いた司が菜花を支えたが、足に力が入らない。
「こっ、腰が抜けたぁ……。立て、立てない……」
司は頭をかきながら、ばつが悪そうに「ごめん」と謝った。
そこからはもう最悪だった。司に背負われて、薄暗い会社の廊下を歩く。どうしていつも間抜けな姿をさらすのか。恥ずかしさで菜花は死にそうだった。
「本当に面白い奴だな。キスしただけで、腰を抜かすとは。これからが心配だなぁ」
「これから?」
「キスだけで止まらないよ」
「ええええぇぇぇっ!?」
「ぉわっ、暴れるな。落ちるぞ。そうやっていちいち驚かない」
「……ごめんなさい。でも、……あの、それって。その……、お付き合いしていただけるのでしょう……か?」
おそるおそるたずねると、司は明るい声で笑い出した。
「菜花の中で俺はいったいどんな男なんだ? 好きでもない女にキスするケダモノか」
そういう意味じゃないと怒った菜花に、司はさらに攻める。
「で、菜花はどうなの? 俺のこと嫌い?」
前にも聞かれたこの質問。ここで照れたり、はぐらかしたりしてはいけない。大事な場面だとわかっていても、言葉を紡ぎ出す機能が完全に 麻痺している。それでも菜花は唇を震わせて、ひと言だけ発した。
「大好きです」
それは秘密を打ちあけるようなささやき。声というより、すぐさま消えてしまうか弱い音。しん、と静けさが訪れるから、菜花は泣きそうになった。でも、「そっか」と短い返事が返ってきた。
ふたりの会話はこれだけ。あれだけぐいぐい押してきたのに、司はずいぶん素っ気ない態度だった。でも、チラッと覗いた頬がほのかに赤い。
菜花は嬉しくなって、司をぎゅっと抱きしめた。
〈完〉
ご縁がありますようにっ!! 江田 吏来 @dariku
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