⑤ 5/1 涙の意味を誤解してます
「だから失敗したんですね。ナスを生で食べる人は、ほとんどいませんよ。たっぷりの水分を含んだ水ナスなら話は別ですが、それでも味を知ってる人は少ない」
「その通り。ナスの味も香りもうまく再現できなかった。多少、それに近いものはできたはずだが、ナスの味だとわかってもらえない。大失敗だ」
くやしかったと白い天井を仰いで、少し間を置いてから短い息を吐いた。
「でも去年だったかな、俺がつくれなかったビールを京都人がつくりやがった。しかもその名は「おもてナスビール」だ。あり得ないだろ。俺とまったく同じことを考えていたのに、先を越された」
「これといった味も、くせもないナスをどうやってビールに?」
司は「んー」と低く唸って腕を組んだ。
「輪切りにしたナスを麦汁やホップと煮込んだようだが、俺が出せなかった甘みや、ナスらしい色味も上手く仕上げたらしい。華やかな香りが特徴のペールエールビールに……。あっ、覚えてるか?」
「なにを?」
「シタヒラメをIPAで溶いた衣」
どこかで聞いたことのある言葉だが、思い出せない。菜花は頭の中のメモをペラペラめくるように考えた。すると行き詰まっていた思考に、閃光が走る。
「思い出した! 試飲会に出す、食事の味見。シタビラメの揚げもの。あれ、美味しかったなぁ。細かいカダイフの衣がサクサクで、ふっくらとしたシタビラメが熱々で。はぁ~、もう一度食べたいな」
「シタビラメはもういいから。俺が言いたいのは、IPAだ。インディア、ペールエール。ホップの香りと深い味わいを楽しむビールだ。ナスとペールエールビールを選んだところなど、まったく同じだったのに俺は負けた。なぜだかわかるか?」
負けた理由などわからない。菜花はそこで押し黙り、答えが聞きたくて司の顔をじっと眺めた。
司は口もとに笑みを浮かべて、敗因を潔く語る。
「答えは簡単だ。奴らは地元農家からナスを譲り受けて、新たな名物にしようと考えた。ただ単にブームに乗ろうとした俺と違って、地元愛にあふれていたんだ。絶対に諦めない努力と、職人たちの希望が詰まって完成する。俺だって成功させようとしたのに、愛情が足りなかった。くやしいけど完敗だ」
地団駄を踏む子どものような表情を見せるから、菜花は目もとに笑みを浮かべていた。それを確認した司はホッと肩の力を抜いて、前を向いた。
「だから俺は決めたんだ。いつか必ず京都に行って、その「おもてナスビール」を飲むって」
再び京都の名前があがると、菜花の心臓がとくんと跳ねた。一緒に京都へ行こうと言うことは――。
さっきフラれたばかりでも、胸が熱い。期待で鼓動が高まるのを感じながら、次の言葉を待った。
司もそれを察したのか、菜花と向きあうように
「俺がビールを飲んでる間に、菜花は神社をまわればいい」
「は?」
「縁結びの神社だ。俺ん家の神社より、はるかに強力でご利益がありそうな神社が、京都にはたくさんあるだろ」
「ああ、そういうことか。なんだ、てっきりわたしは――」
告白されると勘違いしていた。上から目線で、いつも機嫌悪そうにしているが、心根はやさしい司。菜花が「ご縁がありますようにっ‼」と必死になる姿を何度も目撃してるから、良雄との縁が切れたことに責任を感じている。それだけだった。
――どうしてわたしは、こんなにもバカなんだろう。
ここで告白など、天地がひっくり返ってもあり得ない。冷静に考えればわかることなのに、期待していた。あまりにもおバカで、また涙をこぼしそうになった。でも、司の言葉が涙を止める。
「こんなことを言ったら怒るかも知れないが、菜花がうらやましい。俺は、泣くほど人を好きになったことがあるのかな。その深い愛情があったら、いまとはまったく違う人生だっただろうな」
それは淋しさと悲しさが入り交じった笑顔で、菜花の胸をしめつけた。
「あ、すまん。気を悪くさせたな」
うつむいた司に、菜花は「違う」と叫びたかった。
良雄は千乃のことしか考えていない。その現実を突き付けられて悲しかったけど、菜花の涙に愛情はなかった。
――わたしはずるくて、醜い女だ。
恥じるように目を閉じて、菜花は言葉を失った。
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