五月六日(水) 立ち止まる菜花と動き出す司
① 5/6 溝口だけが知っていた
せっかくの五連休だったのに、菜花はずっと部屋に引きこもっていた。
ひとりのぼせ上がってからの玉砕。恥ずかしさもあれば、怒りもある。だが、菜花の心を握りつぶしてくるのは、司の言葉。
――泣くほど人を好きになったことがあるのかな。
失恋の悲しみが深ければ深いほど、相手を真剣に愛していた証拠だと司は考えている。菜花は敷きっぱなしの蒲団の上で大の字になりながら、難しい顔をして天井を眺め続けた。
良雄はやさしくて素敵な人だった。ずっとスマホが鳴って、ゴールデンウィーク中に謝罪のメッセージがたくさん届いている。いつまで経っても幼なじみの枠から抜け出さない心情と、年上の女性の意見が聞きたかったことも。
濃厚で芳醇なバターの香りにうっとりしながら、一緒に美味しいクロワッサンを食べたあの日。良雄はずっと千乃の話をしていた。カフェレストランでも。
なんとなく違和感を抱いていてけど、デートだと思い込んで浮かれていた。その姿はあまりにも滑稽で、恥ずかしい。この世から消滅したい気分だった。
「あっ……」
またスマホが震えて、良雄からのメッセージが届く。
何度も謝るから「もう気にしないでください。勝手に勘違いをしてすみませんでした」という返事を送ろうとした。でも、消去する。そんなことをくり返していると、溝口からもメッセージが届いた。
四月の合コンで良雄は、千乃と年齢が近い菜花を相談相手に選んだ。だが、連絡先がわからない。ここであきらめればよかったのに、良雄は溝口に菜花の連絡先を聞いてくるように頼んだ。
仕事柄、女の子と知り合うのは難しい。合コンに誘ってくれた恩もあるから、溝口は快く引き受けた。
ところが、なぜか恵里奈とは連絡がつかず、ユウユは菜花の連絡先を知らないと言う。良雄から千乃には声をかけるなと言われていたのに、仕方なく千乃にも聞いてみた。すると、「溝口さんは恵里奈、狙いだったのに菜花に変更?」と言われて、冗談じゃないと返事する。そこから歯車が狂いはじめた。
世話好きの千乃は興味津々で「菜花と付き合いたいのは、誰?」としつこく聞いてくる。そのうち「溝口さんが菜花の連絡先を知りたがってる」と恵里奈に話しそうな雰囲気になって、溝口は焦った。だから正直に、菜花の連絡先を知りたがっているのは良雄だと告げる。
このとき、悩みの相談をしたいだけだと何度も丁寧に、くり返し説明した。でも千乃は笑って「照れなくてもいいのに」と。
まったく人の話を聞かない千乃。誤解は加速していき、良雄の危惧した通りになってしまった。でも良雄はそのことを知らない。菜花も勘違いしたまま。すぐにこじれるのは目に見えていたが、溝口は逃げる。千乃が悪いと言い残して。
そしてメッセージの最後には、菜花に向けて発した数々の悪口を、恵里奈には言わないでほしいと。
菜花はスマホを放り投げて、ふたりからのメッセージを無視した。でも、あのとき、あの場所で菜花の心を一番よく理解していたのは、司でも良雄でもない。溝口だった。
――結婚に焦ってるから、良雄にしがみついてるだけ。愛情なんかこれっぽっちもないって。他に好きな人ができましたって捨てても、ケロッと別の男を捜す。
その通りだった。
良雄がもう一度会いたがっていると聞いたとき、結婚へのラストチャンスだと考えた。絶対に逃せないと、気合いを入れた。それ以前にも、「誰々くんが、菜花のこと好きだって」なんて話を耳にしたら、すぐに気になって好きになる。
好きになってくれる人を待つだけの恋愛だから、三十歳になってもうまくいかない。
そしていつまでも胸が苦しいのは良雄のせいじゃない。気を遣い、そばにいてくれた司にうそをついている。結婚を逃した自分がかわいそうで泣いていたことに、醜さを覚える。
「誰でもいいからもらってください、なんてバカな考えなら、失敗するぞ。って池田さんに言われたのに、そのまんま……」
今日は五月六日。五日間の休みを得て、明日からまた仕事がはじまる。その前にけじめを付けようと考えた。打ち合わせも中途半端に終わっている。
菜花は
「あ、菜花です。いま、お時間大丈夫ですか?」
いつでも連絡してこいと言ってくれた司に、はじめて電話した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます