④ 4/20 盗撮なんかしてませんっ!!

 おっ、と思わず声がこぼれた。男子トイレの中は薄暗くて、誰もいない。急いで【清掃中】のプレートを入り口にかけた。

 これで安心。肩の荷がおりてほっと表情をゆるめたが、男子トイレをじっくり、ゆっくり、まじまじ見るのははじめて。臭くてとても汚いイメージを持っていたのに、手洗い場はピカピカで、水が飛び散ってない。爽やかなオレンジの香りがほのかに漂って、隅々まで清掃が行き届いている。

 さすが、アカツキビール。大企業は違うと感心したけど、女子トイレよりも綺麗なので菜花は苦々しく笑った。


「さて、仕事、仕事。……あっ」


 換気扇は壁にあると思っていたのに、天井にはめ込まれていた。


「照明と換気扇が連動しているタイプか。やだなぁ」


 しけた顔をしてスイッチを入れると、ガガガッと異様な音がする。消すと、耳障りな音は消えた。調査をするには、換気扇のカバーを外して羽根ファンの状態を確認する必要がある。それなのに換気扇は天井。絶対に届かない。菜花は腕を組んだ。

 異常音の確認ができたので、あとは業者に任せてもいい。だが、汚れが原因で羽根の回転が悪くなっている可能性が一番高い。業者の手を借りて原因が「汚れ」だとしたら、それはそれで後々面倒なことになる。

 毎朝のミーティングでも「自分たちでできることは、自分たちで」の精神を説く上司がいるから、できる限りのことはやらねばならない。


「脚立を持ってくるしか、ないか」


 面倒くさい。それも仕事のうち。ゆれる心を励ましながら、菜花は男子トイレを出ようとしのに、勝手に扉が開いた。


「ぅ、ぎゃぁぁぁああああッ!!」

「うわぁぁあぁっ」


 菜花の悲鳴と、男の悲鳴が重なった。

 昨日もよく似たことがあった。ふと菜花の脳裏に、見てはいけないものを見てしまったと驚く、司の顔が浮かんだ。そして目の前にいるのも……。


「おまえ、男がいないからって、盗撮しに来たのか?」

「はあ!?」


 いきなり失礼なことを言われて男をにらみつけたが、菜花の目の前にいるのは、司。昨日と少し髪型が違うので二度見したが、やはり司。


「なんで? ここは神社じゃないのに、どうして?」

「それは俺の台詞だ。ここは、男子トイレだぞ」

「清掃中のプレートを見なかったの? 勝手に入って来たのはそっちでしょう」

「清掃中? そんなもん、なかったぞ」

「そんなはずない!」


 勢いよく扉を開けて、ドアノブにかけたプレートを取ろうとした。だが、そこにプレートはない。


「あれ、そんな。ちゃんとここに」


 オタオタしながら言い訳をはじめたけど、ないものはない。司の冷たすぎる視線も痛い。


「わたしは、ここの換気扇がおかしい。異常な音がするから点検に来ただけ。盗撮なんか、する訳ないでしょう」

「そんなことよりも、おまえ。今朝、俺のこと無視しただろ」

「えっ?」


 今朝もなにも、どうしてここに司がいるのか理解できない。夢でも見ているのかと目を疑ったが、本物。菜花は食い入るように司を見た。

 昨日は無造作に流しただけの前髪だったのに、いまはビジネススタイルにセットされて、端整な顔立ちがより凜々しく見える。隙のないビジネススーツもビシッと決まって、とてもよく似合っていたが、今朝?

 思い出せないでいる菜花に、司は苛立ちをぶつけた。


「まさか。本当に、気が付いてなかったのか? うそだろ」


 怖い顔で言われても、菜花の頭の中は混乱しすぎて爆発寸前。無視した覚えもなければ、なぜ司がここにいるのかわからない。眉をさげて、困った顔しかできない。それでも菜花はもう一度、今朝のことを思い出そうとした。

 するとひとつのことが鮮やかに浮かび、明るい笑みを満面に広げた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る