⑤ 4/20 菜花の憧れと司の軽蔑

「聞いてください。今朝、憧れの松山さんがロビーにいたんです。一目、拝めるだけでもありがたいのに、なんと、向こうから話しかけてきたんですよ。やわらかさの中に芯があって、すごく素敵な声で」

 

 うっとりしていると、司が噛みついた。


「俺はあいつが大嫌いだ。人の案を盗み、自分の手柄にする。あいつのせいで退社に追い込まれた社員も大勢いる。おまえが好きなあのクラフトビール。絵本のようなラベルのやつ。あれも、俺の案が盗まれた。そんな奴が素敵だって? ふざけんな!」

「ちょっと待ってよ。あなたは神社の神主でしょう。案を盗むって、意味がわからない」

「はあー、やっぱり俺に気付いてなかったのか。神社は親父のもの。俺はここの社員だ」


 名刺を押しつけられた。まじまじと眺めても安っぽさを感じない名刺は、本物であると菜花に告げている。


「うわっ、本当にアカツキビールの社員なんだ。マーケティング部、企画課って、確か千乃さんも。えっ! うそ、あなた課長なの?」

「課長代理だ。それから、俺は池田いけだつかさ。いい加減に名前を覚えろ」

「……すみません」

「で、いつまで男子トイレに居座るつもりだ。さっさと仕事に戻れ」

「失礼ね、さっき言ったでしょう。これが仕事なの。ここの換気扇、調子が悪いみたいだから点検しに来たの。掃除してもだめなら、業者さんを呼ばないと」

「ここの換気扇か……。それなら、なにか棒のようなものをくれ」

「棒? あっ、ホウキならあったはず」


 掃除用具入れからデッキブラシを取り出して、司に渡す。すると、デッキブラシので換気扇のカバーを強く突いた。


「ちょっと、壊れちゃうでしょう」

「大丈夫、これで直ったから」

「本当に?」

 

 顔をしかめてスイッチを入れると、異様な音は消えていた。換気扇は正常にまわっている。

 

「はい、終わり。それじゃ、またな」

「ありがとうございます。でも、またすぐに壊れたらイヤだから、念のため」


 羽根の掃除をしようとしたのに、司は菜花の背中を押して男子トイレから追い出した。


「ちょっと、まだ掃除が」

「はいはい。それはあとにしてくれ」

 

 バタンと扉を閉められてから、はたと気付く。

 今朝、松山に失礼な態度を取った社員がいた。その話を耳にして千乃は真っ先に「松山勝美に生意気な口を利く社員は、あの人しかいないな」と。


「そういえば……」

 

 金曜日の合コン。千乃とは初対面だったのに、菜花のことを知っていた。それから司も。神通力で菜花のことを見抜いたのではなく、ずっと前から情報をつかんでいた。そして司と千乃が同じマーケティング部なら――。


「ねえ、ちょっと。堀部ほりべ千乃ちのって人、知ってる? 同じ部署でしょう」


 勢いよく男子トイレの扉を開けた。

 司が千乃のことを知っていたら、連絡が取れる。良雄との交際について詳しい話がすぐに聞ける。


「うわぁっ、なんだよ。戻ってくんな! このコスプレ変態女ッ」

「コスプレ、変態ってなによ。昨日のは、違うって……あれ?」


 カッとなって言い返したけど、ここは男子トイレ。そもそも司は、トイレを利用しに来ていた。


「ぅわわわっ、ご、ごめんなさいィッ!!」


 全身がかあっと燃えるような恥ずかしさに包まれて、逃げだした。

 耳まで熱い。窓ガラスに映る菜花は、茹で蛸もびっくりしそうなほど真っ赤っか。もう最悪と口にしたけど、よくよく考えれば司の方が悲惨だった。


 いきなり神社で酔っ払いの菜花に絡まれて、ゲロの処理。薫に助けを求めたが、菜花は薫にも絡んで司は買い物パシリ。女性用のパンツを買ってこいと無理難題なミッションを押しつけられた。

 翌日は、見たくもない猫耳メイド姿を見せられて、今日は生理現象を覗かれる。災難続き。菜花は心の中で「ごめんなさい」と手を合わせた。そして、もう二度と顔を合わせませんようにと祈る。


「あっ、でも千乃さんとは早く連絡、取りたいなぁ」


 火照った顔を手団扇で扇ぎながら、男子トイレの前をウロウロする。すると見覚えのある【清掃中】のプレートが女子トイレに。眉をひそめて確認すると、女子トイレには誰もいない。

 トイレを使いたい司が、わざとプレートを外して女子トイレにかけた。やっぱり犯人は司だと鼻息を荒くしたが、立派な肩書きのある人がそんなせこいことをするのか。んーと唸りながら考えていると。


「菜花、なにやってるの。こんなところで油を売って」


 突然現れたユウユに叱られた。

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