② 4/25 俺のこと嫌い?

 司は一階の奥へと進んで行く。不安げな面持ちでキョロキョロしながら後ろを追いかけたが、我慢できなくなって立ち止まった。

 この先は、ドレスアップしないと入店拒否されそうな、高級レストランしかない。


「あの、こっちは……」

「入ったことあるの?」

「あるわけないでしょう。一皿いくらすると思ってるんですか」

「おっ、はじめてか。メニューは次の試飲会で出すのと同じだから、たくさん意見を聞かせてくれ」

「わたし、味覚音痴ですよ」

「ん? いい味覚を持ってるって、親父が褒めてたから大丈夫だろ」


 軽い。軽すぎて不安になる。戸惑いながら突っ立っていると、司は狡猾な表情を覗かせて声をひそめた。


「菜花ひとりの財布では、到底払いきれないがくの飯を食うんだ。アカツキビールに感謝して、堂々としてろ」


 そんなことを言われると、ますます緊張しそうだったがこれも仕事。割り切ってしまえば、なんとかなりそうだった。しかし。


「お待ちしておりました。池田様」


 非常に紳士的なウェーターが頭を下げる。

 普通、入店すれば「いらっしゃいませ」なのに、お待ちしておりました。これにも汗がにじむ。慣れた様子でウェーターと言葉を交わす司を視界に入れながら、菜花は店内を見回した。


 白を基調に、洗練された大人の空間が広々と広がっている。ゆっくりとくつろげるように、席同士の間が広いのもいい。猫脚ねこあしとも呼ばれる、しなやかに湾曲したガブリオールレックのテーブルや椅子が高級感を醸し出しているけど、かわいらしさもあるのでほっとする。でも、一歩、足を前に踏み出せば、ボロボロに履きつぶしたパンプスがぐっと沈み込む。重圧感のあるカーペットが高級店だと突き付けてくるので、やはり落ち着かない。


「口が開いたまんまだぞ」

「えっ!」


 思わず大きな声がこぼれたから、慌てて口を塞いだ。ウェーターはやさしくほほ笑み、ふたりを案内する。


「ここ、ですか?」


 案内された場所は中庭の光が降り注ぐ、開放感に満ちた広間ではない。薄暗いというか、ブルーの照明が幻想的な個室。ふと青白い月明かりを思い出す。


「メニューと異なる料理が出てくるから、他の客には見せられないだろ」

「あっ、それもそうですね」

「彼が困ってるから、早く座って」

「彼?」


 あちこち見まわすと、ウェーターと目が合った。


「うわっ、あっ、すみません」

  

 変な汗をいっぱいかきながら座ったが、テーブルを挟んだ目の前に司がいる。あり得ない状況に心拍数があがりすぎて、めまいを起こしそうだった。でも、次々と運ばれてくる料理に目を丸くする。


「いいか、左からビンチョウまぐろと里芋の燻製くんせい。米粉のピザ。味付けは極力シンプルに、挽き肉と米粉の生地が引き立つようにしてある。で、こっちが、シタヒラメをIPAアイピーエーで溶いた衣と、カダイフを巻いて揚げたもの。ソースはカレー風味のガルバンゾソースと、ピリ辛に仕上げたタルタルソース。それから」

「ア、アイ、ピィ……えっ?」

「インディア、ペールエール」


 強い口調で言われても、菜花は首を傾げる。


「日本のビールといえばのどごしがよくて、すっきり爽快なラガービールだろ。でもイギリスやベルギーは芳醇で濃厚な味わいと、飲み応えのあるエールビールが主流なんだ」


 生き生きと語り出したが、さっぱりわからない。なのに、司の話は加速する。


「十八世紀末、イギリスの植民地だったインドにビールを送る際、長距離輸送に耐えられるように麦汁濃度を高くしたんだ。防腐効果のあるホップを多く使用して誕生したものだから、アルコール度数は高めで、ホップの苦みも強い。それがIPA。でも、細かくビアスタイルが分かれてて……って、そんなことはどうでもいい。飯との相性を聞かせてくれ」

「……ビール、好きなんですね」

「嫌いなら、ここにいないだろ」

「そりゃ、そうですけど……」

「それじゃ、続き。こっちがニンニクのコクと唐辛子の辛みが効いた、ムール貝とハマグリの蒸し物。冷涼感あふれるスープパスタが二種あって」

「ちょっと待ってください。こんなにもたくさん、無理です」

「あのな、ひとりで食うつもりか? 俺の昼飯は?」

「あっ……、すみません」


 恥ずかしくて肩を丸めた。そのあとも司はデザートの説明をしていたが、耳に入ってこない。しゅんとしてうつむいていると、司は頬杖をついた。


「俺のこと、嫌い?」


 突然の質問に、菜花は顔を上げた。

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