③ 4/23 恐怖が背筋を這う(ユウユの立場)

 菜花はオフィスに戻ると、真っ先にユウユを捕まえた。

 司をサポートしている千乃が嫌がらせを受けて大ピンチ。恵里奈まで派閥争いに巻き込まれて、次はユウユ。それを懸命に伝えたのに、返ってきた答えは――。


「バッカじゃないの」


 間抜けなほどぽかんと口を開いてから、目を剥いて菜花を非難してきた。


「確かに千乃さんはマーケティング部の企画課で重要な役割を担っているけど、女が上に立つだけで摩擦が起こるものなの。自分は女より上って、変なすり込みを持つ男が多いでしょう。自分に指示してくる女が許せない、みたいな。だから千乃さんが嫌がらせを受けるのはよくあること。恵里奈だって、たまたま松山さんの秘書に選ばれただけ。それを……。頭、大丈夫? 証拠でもあるの?」


 証拠はどこにもない。すべて菜花の憶測。一気にまくしたてられると反論できず、負け犬のようにうなだれた。

 ユウユはバカバカしいと深い息を吐いてから、苦虫をまとめて噛みつぶしたような顔をする。


「テレビドラマの見過ぎよ。私たちは余計なことに首を突っ込まないで、目の前の仕事を片付けてればいいの。わかった?」

「でも、もし次の標的がユウユさんになったら、大変ですよ。総務は様々な備品を扱います。イベントの準備も総務の仕事だし」

「じゃ、もう一度聞くわよ。次は私が危ないって証拠があるの?」

「……ないです」


 苦虫を嚙み潰したような顔が、さらに苦々しくなる。このままでは信じてもらえない。菜花は焦って、先のことより現状を変えようと提案してみた。


「千乃さんが困っているのを放っておけないんです。恵里奈さんも松山さんの秘書に選ばれて、泣きそうでした。せっかく知り合った人たちが困っているのに、私ひとりではなにもできなくて、一緒に協力してくれませんか」

「協力って、どうするの?」

「敵は必ず、総務の力を利用してきます。必要なものをわざと届けなかったり、壊したり」

「ねえ、本人が困ってます。助けてくださいって言ったの?」

「……言ってません」

「話にならない。どうして無駄で、バカなこと考えるかな。菜花は仕事ができる。そこを私は評価してるの。これ以上、あなたの妄想に巻き込まないで。怒らせないでくれるかな」

「でも、次は必ず総務に手を出してきます。ユウユさんが巻き込まれるかも」

「いい加減にしてッ!」


 激しい怒声に、オフィスは静まりかえった。ユウユは傲然と立ち上がり、各部署へ配る書類を持ってオフィスを出て行く。

 菜花はユウユの背中に「すみませんでした」と頭を下げたが、振り返らない。相当怒っていると思われたが、ユウユは内心たじろいでいた。


 総務部長に千乃の弱点を聞かれて考えたが、優秀な社員に欠点など見当たらない。だが、恵里奈と大親友で心の支えにしているとウソをついた。金曜日の合コンメンバーが全員、苦しめばいいと思って。

 そして次の標的は菜花。本人が推測した通り、総務の力を利用して司を妨害する計画が進んでいる。責任はすべて菜花に押し付ける予定だが、その企みに気付いていた。それだけでも心臓に悪いのに、菜花はとんでもない勘違いをしている。


「なんなの、あの子。私のことが心配? 散々、意地悪したのに? バカじゃないの」

 

 鬼のような形相で目をつり上げて、杭を打つみたいに床を踏みつけて歩く。エレベーターに乗っても怒りが収まらず、奥歯を噛みしめた。だが、各部署へ書類を届けるときは満面の笑みを浮かべて、男性社員にアピールすることは忘れていない。

 表と裏を使い分けるのは簡単なことなのに、菜花があまりにもバカすぎてずっと胸の奥が痛い。それがとても腹立たしいが、ドクッドクッと心臓が波打ってびっしょり汗をかいていた。


 冷静になって菜花の言い分を分析すると、ただの嫌がらせが想像以上の広がりを見せていた。

 総務部長だけでなく、そのはるか上にいる松山が関与している事実は、ユウユの背筋を凍らせる。失敗すれば報復。成功してもトカゲの尻尾切りに。菜花に責任を押し付けても、すべてを知るものは必ず邪魔になる。

 ユウユは立ち止まって振り返ったが、そこに後戻りできる道はなかった。

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