② 4/24 蚊帳の外だと思っていたのに

 あれは勝利宣言のようなもの。

 昨日、恵里奈は三冊の分厚いファイルを見せてくれた。松山のスケジュールと共に、試飲会のことも載っていた。暗号のような、不自然な記述だらけで。

 やはり司を潰す勢力は、総務の力を利用しようとしている。菜花ですら危機感を募らせたのだから、司が同じものを読んだとしたら。あらかじめ準備していたあらゆる対策を実行に移して、水を得た魚のごとく大胆な行動に出る。

 敵を出し抜いてやったと、思わず笑みをこぼしたに違いない。


 司らしさを感じたけど、菜花はふと疑問を抱く。

 千乃と恵里奈が同じ社員寮の仲間だということは、リサーチ済みのはず。司の案を盗み、手玉に取った百戦錬磨の松山が、わざわざ手の内を見せるようなことをするのか。

 不安が胸を衝いてくるから、いますぐ司をつかまえて話がしたくなった。でも、仕事中。あとは誰がゴールデンウィーク真っ最中に、休日出勤するのか。各自が次々と声を張り上げて、休日を潰したくない合戦がはじまっていた。


 連休を楽しみたい気持ちが、可哀想なほどひしひしと伝わってくる。だが、それ以外の感情も漂いはじめた。

 司に手を貸せば、確実に松山派から疎まれる。出世を目指す者からすれば、今回の試飲会は踏み絵のようなもの。そこで白羽の矢が立ったのはユウユ。総務に長くいるベテランで、女。男と違って出世に関係ない。これが最大の理由で、主任命令まで出たのだが。


「はあ? ふざけないでください。それって差別ですよね。女だからとか、男だからとか。差別的な扱いをすることは禁止されてます。常識ですよ。訴えますよ」


 口達者なユウユは強い。そこからはさらにけんか腰になって、紛糾していく。口々に意見を言えば激昂していき、苛立ちが蓄積される。議論も堂々めぐりになって、怒鳴りすぎたせいかのどをからす人までいた。


「あの、わたし暇ですので、土曜日でも手伝いにいきますよ」


 見かねた菜花が手を上げたのに、派遣社員はお呼びでないらしい。これは社員の問題だと厳しく叱られた。

 労働者ファースト。それがアカツキビールの素晴らしいところだが、さすがの菜花もムッとした。

 口を挟むのをやめて、ホッチキスを手に取る。パチン、パチンといつもの音を響かせて、醜くなすりつけ合う様子を眺めていたが、ふと顔がにやけた。


『明日の土曜日、休みになったので一緒にランチでもしませんか?』

 

 良雄からのメール。キリッと仕事モードの顔をつくっても、すぐに笑みがこぼれる。

 どの服を着ようか悩んで、良雄の好みを勝手に想像してわくわくが止まらない。ふわふわと雲の上を歩いている気分でいると、ユウユが書類をデスクに叩きつけてきた。


「菜花! 聞いてるの?」

「えっ」

「もう、しっかり聞いて。これが試飲会の内容で、総務の仕事がこっちに」

「わたしは派遣だから、参加できないはずじゃ……」

「ふざけないで! 試飲会まで日がないでしょう。休日以外にも仕事は山積みなの。派遣だろうと社員だろうと、ここで働く仲間なの。協力してもらうに決まってるでしょうッ」


 ユウユは仲間、協力と聞き心地の良い言葉を並べていたが、すぐにピンときた。結局、休日出勤者を多数決で決められて、ユウユが選ばれる。そのことに立腹して八つ当たり。でも、司の新しいクラフトビールには興味があった。一緒に仕事ができるのも楽しみで、菜花は資料を手に取る。


「えっと、多目的ホールで説明会と、食事付きの試飲会ですか。贅沢ですね」

「口の肥えた役員相手の仕事だから、なりふり構っていられないのよ。新しいクラフトビールに自信がないからって、料理で誤魔化すとは。残念ね」

「池田さんはそんな人じゃありませんよ」

「おや? 菜花は池田さんと知り合いなの?」

「さっき課長と話をしていた人でしょう。誠実そうに見えただけです」


 うそをついた。ユウユに男の話をするとひどい目に遭う。ようやく学習した菜花は再び資料に目を通す。そして、霧が晴れたような明るい笑顔で顔を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る