四月二十四日(金) 昨日の敵は今日の友
① 4/24 総務に司
先週の金曜日は人生で最悪な合コンだった。でも、たった一週間で菜花の環境は大きく変わる。
昨日の夜、良雄からデートの誘いが来た。しかも、明日。丸一日休みの土曜日。
普通に歩いていても、電車の中でも菜花の顔はにやけっぱなし。この状態でオフィスに足を踏み入れたら、きっとまたユウユに叱られる。菜花は頬をつねって深呼吸をしてから、オフィスの扉を開けた。
「おはようござい……ひいっ!」
挨拶の途中で悲鳴がこぼれた。菜花の視線の先には、きびきびした声で課長と話をする司がいた。思わず持っていたカバンで顔を隠したが、司は気付いていない。カバンを少しずらして、チラリと覗き見る。
課長は眉間のしわを深くして、細い目をつり上げていた。ひどく怒っている様子だが、司は平然と話し続けている。
「菜花、カバンは早くしまいなさい。仕事、はじまってるわよ」
「ぅわっ、ユウユさん。課長と話をしている人って」
「あー、池田司ね。松山さんともめて敵だらけなのに、肝が据わってるわ。六月の株主総会のあとに予定していた試飲会。あれを五月の頭にするって言い出したのよ。しかも大幅な変更があるみたいで、急に言われても困るでしょう。だから課長が応戦中だけど、まったくダメね」
「へぇー」
菜花はカバンを置いてふたりの様子を観察した。
課長がはっと顔を強張らせてなにかを言いかけても、司はそれを遮って語っている。それをくり返しているうちに、怒りで紅潮していた課長の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「勝負あったわね。いつも威張り散らしているのに、課長の負け。見て、あの表情。鷹の前の雀ってところかしら。いい気味」
ユウユは満足げな表情でパソコンのキーボードを打ちはじめた。菜花もたまった書類に手を伸ばして仕事をはじめようとしたが、形の良い黒の瞳と目が合う。すると司が先に笑みをつくった。
どこまでも透き通った黒の瞳と自信に満ちた唇が、菜花を見てほほ笑む。怒ってるか、不愉快を前面に押し出した表情ばかりの司が、とても自然に笑っている。これには面食らって、菜花は頬を真っ赤に染めた。
くやしいけど、司には力強さと人を惹き付ける魅力がある。去りゆく背中をぼーっと眺めてしまう。ところが、課長が強い力でデスクを叩いた。ダンッと響き渡った音の大きさに、ビクッと肩が上がる。周囲を見回すと誰もが固唾を呑んで、裁判の判決でも待つような面持ちになっていた。
自分よりも年下の司に言い負かされた課長は、主任を呼びつけて怒りをぶちまけていた。いっさい口答えのできない主任が可哀想に思えたが、課長はすぐにオフィスを出て行った。
ただ事ではない雰囲気に、社員たちは戸惑うことしかできない。主任は大きな息を吐いてから、務めて明るい声を発した。
「試飲会の日程が、五月九日の土曜日に変更だ。それに加えて会場が会議室から一階のカフェレストランに変わる。前日までの準備と当日の参加枠を決め直すから」
「ちょっと待ってください。五月の九日ってゴールデンウィークの真っ最中ですよね。そんな日に」
ユウユのひと言から不満がさざ波のように生まれて、やがて大きな波となる。ゴールデンウィークは、四月三十日と五月一日を休みにして八連休を楽しむ人と、五月の七日、八日を休みにして九連休を楽しむ人がいた。五月九日に仕事が入ると九連休にはならず、旅行を計画していた人からの反発が押し寄せる。
「主任、新しいクラフトビールを商品にするかどうかは、役員が決めることですよね。話し合いもするから、会議室の方が便利ですよ。ゴールデンウィーク中は休業のカフェレストランでも、急に使うのは無理です。許可されませんって」
そうだ、そうだと声が上がったが、司がそんなへまをするはずもなく、今回の変更に関するすべての許可は取ってあった。根回しも準備もすでに終わって、総務には司の指示通り動いてもらう。勝手な行動が許されないように計画済みだった。
ここでようやく菜花は理解した。司が笑みを浮かべた訳を。
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