⑧ 5/9 司にとって、大石菜花とは
年齢のわりには綺麗な足を組み直して、松山は口を開く。「あんなにも焦ってる司の姿。久しぶりに見たわ」と。
「池田さんはずっと会場をわかしているのに、おかしなことを言うなって首を捻ったの。でも半信半疑でここに来てみたら、菜花さんたち大変そうね」
恵里奈はクスッと笑った。ここで菜花は、ブラウスの袖を腕まくりしていたことに気付く。左腕には黒のペンで番号と、観葉植物の名前がぎっしり。千乃は何度も頭をかきむしって、ボサボサ。
「あたしたち、ひどい格好をしてるね」
「そうですね」
すべての準備が整って菜花と千乃のが笑い合っているとき、プレゼンが終わった。
舞台裏に戻った司はすぐに部下を捕まえた。
「状況を説明してくれ。一階で、なにが起こった」
焦りの色を濃くしたが、多目的ホールにいた誰もが正確な情報をつかんでいない。インカムから流れてくるのはただ事ではない雰囲気と、悲壮感。一階の様子を見に行かせた社員は戻ってこない。
戸惑うばかりの部下に、司は苛立ちを募らせた。しかし。
「課長。松山さんが」
なに? と顔を曇らせると、腕を組んだ松山がいた。
「お忙しいのかしら?」
「別に」
弱みを見せたくない。防御反応が働いて平然としてみせたが、右から左へと視線を流した松山はかすかに笑う。
「一階のことなら、心配しなくていいわよ。あたしの優秀な秘書も手伝いに行かせたから」
「どうしておまえがそのことを知ってる。やはり裏で手を引いていたのか」
つかみかかりそうになったが、部下たちに止められた。
「ダメですって。まだ試飲会は終わってません」
「あら、いい部下を持ったわね」
嫌みったらしく笑うから「用がないなら、出て行ってくれ」と吐き捨てた。すると松山は切れ長の目をさらに細めて、射貫くような視線を投げた。
「大石菜花。なかなか面白い子ね」
「は?」
「派遣のくせに、見事な働きぶりよ」
外は雨。空調が壊れて気温が上がるカフェレストランを、扇風機とサーキュレーターで救う。
コンセントが切断されて使えなくなった冷蔵庫。千乃が機転を利かせて冷凍庫と氷をうまく使い分けて乗り切ったけど、一品、どうしても出せないとピンチに陥る。
「そこで大石さんが提案したの。スープを凍らせてかき氷にしようって。見た目も涼しくて、華やからしいわ。斬新なアイディアだから、味が楽しみね」
「菜花がそんなことを?」
「ええ、他にもたくさん。不格好な延長コードを観葉植物で隠したり、ホールスタッフの変更を指示したり」
そこで松山は意味ありげな顔をして、にたりと笑う。
「マーケティング部企画課には、あたしの部下がひとり、紛れ込んでいるの。この子もとても優秀で、逐一、報告してくれたわ」
「なるほど。こちらの動きも、全部、筒抜けだったってことか」
「この日を成功させるためにね」
真剣な目をした。
「信じないと思うけど、今回だけは司の味方なのよ。だから教えてあげる。大石さんはグランドマスターキーを使用したわ。社員の許可を取らずに。これがバレたら、確実にクビよ。気を付けなさい」
「なっ」
「グランドマスターキーを勝手に使った理由を聞かれて、あなたたちに頼まれたと言ったら、大問題になるわ」
「あいつがそんなこと言うはず……」
「さて、どうかしら。不安定な派遣社員なのよ。アカツキビールで問題を起こして、クビ。そんなことになれば、いまの派遣会社からも追い出されるわ。そんな道を選ぶ人がいるかしら? ちゃんと口止めしておきなさい」
「でも、それじゃ」
グランドマスターキーの使用がバレたとき、菜花ひとりに罪をかぶせてしまう。司の目が激しく泳いだ。
「司にとって、あの子はなに? 彼女、ではないようだけど」
「気持ち悪いぐらい、こっちのことはリサーチ済みなんだな」
「当然よ。あら、もしかして大切な人なの?」
「まさか」
フッと笑みをこぼした。そして。
「俺にとって大石菜花は、珍獣だ」
そう言い残して、司は背を向けた。
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