② 4/21 それぞれの道

「ずんだ餅、食うか?」


 聞いたことのない餅の名前だった。目をぱちくりさせながら「ずんだ餅?」と聞き返した。


「枝豆の餅だ。知らないのか?」


 菜花が小さくうなずくと、熊一は口もとに笑みを浮かべた。


「それなら食っていけ。まだ旬には早いが、いい枝豆をたくさんもらってな。うまいぞ」

「あ、あの」


 引き止める前に、熊一は社務所へ消えた。そして奥から「早く来い」と急かしてくる。菜花は困った顔をして「どうしよう」とつぶやいたが、枝豆の餅が気になる。


 大きくて甘みのある黒豆が、餅の中にゴロゴロ入った豆大福なら知っていた。ほくほくとした黒豆と、上品な甘さが引き立つ餡のバランスが最高の大福。それの枝豆バージョンなのか。でも、枝豆といえばビールのおつまみ。それが餅に? 

 想像が膨らむと、足が勝手に動き出す。菜花は軽やかに移動した。


「お邪魔します」

 

 お守りやお札が並ぶ畳の部屋に、小さなちゃぶ台があった。その上に「どうぞ」と置かれたのは、やわらかい陽射しを浴びた新緑のような餅。

 白い小皿に三つ並んだずんだ餅はどれも鮮やかな黄緑色で、枝豆の風味豊かな香りが食欲を刺激する。


「お餅に、すりつぶした枝豆のあんを乗せているんですね」

「そうじゃ。餅が硬くなる前に食え」

「いただきます!」


 両手を合わせてから、菜花は満面の笑みを浮かべてぱくりと食べた。すると、枝豆本来の香りが口中に広がり、笑みがいっそう深くなる。


「甘すぎずさっぱりとして、枝豆の風味が生きてますね。それに、このお餅。冷たいのに、なめらかでとってもやわらかい。スーパーで売ってるような切り餅とまったく、違いますね。もっちりしてるのに、サクッと噛み切れて美味しいです」

「そりゃ、和菓子職人になりたかったわしの手作りだからな。うまいだろ」

「えっ、手作りなんですか」


「子どもの頃、京都で一番の和菓子職人が作った羊羹ようかんを食ってな。一口で虜になった。わずかに赤みを帯びた小豆色の深さや複雑さは、西洋の菓子にはない魅力があるだろ。そこから餡子あんこを炊くのが趣味になってな。じっと鍋に向きあって、うまいもんができるのを待つのが好きになった」

「それ、わかります。わたしも鍋からクツクツ静かな音が続くのが好きです。野菜たちのまろやかな甘みが部屋いっぱいに広がって、じっくり美味しくなっているような。あのわくわくする幸せな時間は、楽しいですね」


 はじめて食べたずんだ餅があまりにも美味しくて、菜花は饒舌になっていく。


「こんなにも美味しいお餅がつくれるなら、お店、開けますよ。いまからでも、和菓子職人になれますよ」

「儂には神社があるからな。近くに住む氏子うじこさんたちに時々ふるまって、うまい、うまいと食ってくれたらそれでいい」


 ガハハと笑うけれど、さっきのような豪快さを感じない。あきらめの気持ちが淋しさとなって、心に影を落としているようだった。


「夢を、あきらめたんですか?」

「後悔はしとらん。それより、あんたもアカツキビールなんだってな。司は仕事、うまくやってるのか?」

「部署が違うのでわかりませんが、かなり優秀だと思いますよ。課長代理だし」

「そうか。最近、あいつはいつ寝てるかわからんぐらい、仕事漬けだ。昨日も大きなミスをしたようで、ひどく落ち込んでな。つらいなら、やめてしまえばいいのに」


 司はすらりと背が高くて、整った顔も、低いのによく通る声にも自信がみなぎっている。いつも胸を張って堂々としているから、失敗して落ち込む姿など想像できなかった。


「司がこの神社を継いでくれたら、もう少しのんびりできるのに。ここも、儂の代でおしまいだな」

「えっ?」

「こういう職業は、血縁が大事で面倒くさい。司が継がないのなら従兄弟いとこの子がここに入って、儂は隠居する。孫でもいてくれたら居座るつもりだったが、結婚もしないで、仕事、仕事。いったい、いまどきの若いもんはなにを考えているのやら」


 菜花もまだ結婚していない。身が縮まる思いをしたが、薫や司、熊一までもいなくなったこの場所は、どこか別物のように感じてしまう。


「みんながいなくなると、淋しいですね」


 温かい湯呑みをぎゅっと握ってうつむいた。すると熊一が、にたりと笑う。


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