③ 5/9 菜花の好きな人って

「いまのところ順調で良かったです。どんな邪魔が入るのかハラハラしてたので、少し落ち着きました」

「そうだな。さすがに試飲会がはじまれば手を出せない。料理は本当に大丈夫だろうな」

「ちゃんと味見して冷蔵庫に入れたから……。でも、ちょっとあっけなさすぎて気味悪いなぁ。あたしは一階のカフェレストランで待機する」

「あ、それじゃわたしも。千乃さんのお手伝いに」

「そうしてくれ。俺も準備する」


 フラフラと出て行くから、本当に大丈夫なのかと心配になる。


「池田さんが大失敗をして終了。……なんてことに、なったりしませんよね」

「ここまでがんばってそうなったら、ボコボコにしてやる」


 グッと拳に力を込めるから、菜花は思わずほほ笑んだ。でも、千乃は気まずそうに視線を下げた。


「菜花、ごめんね。良雄から全部、聞いた。あたしが勝手に勘違いしちゃったから」

「謝ることないですよ。結婚式には呼んでくださいね」

「けっ、結婚って。気が早いな」

「おめでとうございます」


 ぺこりと頭を下げると、ふわりと千乃が菜花を抱きしめた。


「本当にありがとう。あたしが責任持って、いい人を見付けてあげるから。今度は菜花が幸せになれるように」


 千乃のやわらかい温もりを感じながら、菜花はもしかして? と首を捻る。

 仕事ができるのに、自分の恋愛に関してはとことん不器用な千乃。菜花と同じ、脳内少女マンガで満たされていた。

 ヤラミソ男が魔法使いなら、ヤラミソ女は縁結びの神様かもしれない。世話好きの千乃も、誰かの縁を結ぼうとしている。じつは菜花と同類だったりしてと笑みをこぼした。


「千乃さんが味方になってくれるなら、百人力ですね。そのときが来たら、よろしくお願いします」

「あっ、そういえば好きな人がいるって」

「えっ!」

「良雄にそう言ったんでしょう。誰? 菜花の好きな人って」


 一気に頬が熱くなった。すると千乃はホッとしたような笑みを浮かべた。


「よかった。うそじゃないんだね。本当は良雄のことが大好きなのに、あの場では仕方なくうそをついて誤魔化したと思ってたから」

「誰かは言いませんけど、うそじゃないです。ちょっと気になる人がいて」

「もしかして、ボスのこと好き?」


 菜花の心臓が胸を突き破って、飛び出しそうになった。激しく動揺していたけど、小刻みに首を横に振る。


「なんだ、違うのか。昨日、菜花が良雄を貶してるとき、態度とか口調がどことなくボスに似てたから、ふたりは親密なのかと」

「あっ! 優柔不断とか、マザコン気質とか、ひどいことを言ったままでした。中山さんに謝らないと」

「謝るのは良雄の方だから、気にすることないよ。それより、菜花はここにいて」

「できあがった料理をセッティングするのに、人手がいるんじゃ」

「いいの、いいの。企画課総動員してるから。菜花はボスのステージを見てて。勉強になるし、きっと惚れるよ」

「は?」


 千乃は菜花の肩をポン、ポンと二回叩いて、ニカッと白い歯を見せた。

 

「あの人、ものすごく面倒くさいけど、かなり前から菜花のこと気にしてたから。お似合いだと思うよ」

「……また千乃さんの早とちりで、勘違いですよ」

「おっと、そうかもしれない。でもね」


 嬉しそうに口を開いた瞬間、インカムから切羽詰まった声が飛び込んできた。


『堀部さん、どこですか。いますぐ一階に来てください』


 インカムを手で押さえながら「わかった」と返事した千乃は、ボスのことよろしくと言い残して駆け出した。


「なにかあったのかな?」


 司への気持ちがバレそうになったドキドキから、激しい鼓動は不安へと変わる。

 千乃のあとを追うべきか。多目的ホールに戻るのか。どちらが最善なのか悩んだけど、菜花を呼ぶ声がした。


「大石さん、すみません。また電気が。今度はステージの」

「あっ、はい。すぐ新しいのを用意します」


 多目的ホールの点検は、総務主任が三日前に行っていた。それなのにやたらと不具合が多い。せこい妨害だと憤りを感じながら、負けるもんかと気合いを入れる。

 一階のカフェレストランに到着した千乃が、絶体絶命の危機に陥ることを知らずに。

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