② 4/18 縁結びの神様じゃない

 見知らぬ場所で、完全に逃げ場がない。そう悟った菜花にふとひらめきが舞いおりた。ぶっ細工なら、それなりに誤魔化す方法がある。化粧は苦手でも、二日酔いを隠すテクニックぐらいなら持ち合わせていた。


「鏡。この部屋に、鏡はないの?」


 勢いよく駆け出すと、床に落ちたままの掛け布団が足に絡まった。その瞬間、身体が前のめりに。


「おっと、危ない奴だな」


 聞き覚えのある声と、たくましい腕が倒れそうな菜花を支えた。すると一気に思い出す。つんと冷たい夜の匂いと、ほのかに青く、澄んで光っていた縁結びの神様。淡い月明かりがとても幻想的だったから、見惚れていたことを。

 菜花の心臓は胸を突き破りそうなほどドキンと跳ねて、同時に頬が熱くなった。


「神様……縁結びの……」


 震える唇でその名を口にすると、驚きの色を浮かべた男と視線がぶつかる。

 その目は昨夜とまったく同じ。吸い込まれそうな黒。びっくりするほど深く澄み渡って、綺麗だった。菜花は自分のひどい容姿をすっかり忘れて、思わず手に力が入った。それなのに。


かおるさん。こいつ、まだ酔ってますよ」


 驚きの表情から一転して、男は哀れみのまなざしを送ってきた。


「そんなことないわよ。もう平気よね、菜花ちゃん」

「えっ? えっ??」

「あら、やだ。自己紹介がまだだったわね。こちらは、池田いけだつかさくん。縁結びの神様じゃなくて、ここの息子さん」

「あっ、そうでしたか。なんだ、神社の人だったんです……ね」


 努めて平静を装ったけど、恥ずかしさが荒れ狂う大波のように押し寄せてきた。酔っていたとはいえ、ずっと縁結びの神様だと思っていた。本気で信じ込んでいた。だから余計なことをたくさん口走った気がする。

 断片的に思い出したキーワードを並べてみても、「童貞」「魔法使い」「三十路」に「処女」


「うわあああぁぁっ、ごめんなさい。本当に、本当に、ごめ……。いえ、申し訳ございません。すみませんでしたーッ」


 司の手を振りほどき、その場で土下座をした。


「あら、あら、菜花ちゃん。そんなに謝らなくてもいいのよ。酔っ払いが社務所のお世話になることは、珍しくないのよ。昨日は、とってもつらかったんでしょう」

「あー、そうだったな。合コンで派遣社員だとバカにされて、三十路になっても彼氏がいない。そりゃ、神社で大暴れする女だもんな。男が寄ってくるはずない」

「ちょっと、司くん。ごめんなさいね、男の子は口が悪くて」

「男の子って、俺、三十二だぞ」

「そんな細かいことは、どうでもいいの。それより菜花ちゃん、頭をあげて。酔っ払いなんて熊一くまいちさんがよく連れてくるから、慣れっこなの。大丈夫よ」

「熊一さん?」

「俺の親父」


 菜花は少しほっとした。薫のやさしい声と仕草が大丈夫だと、温かく包んでくれる。だが。


「そうね。昨日、お風呂で大暴れしたことも、大丈夫だから。気にしないで」

「おっ! お風呂ォォ!?」


 素っ頓狂な大声と共に、頭をあげた。


「あらま、覚えてないの? 私と一緒にお風呂に入るって抱きついてきたのよ」

「……覚えてません……です」

「おい、まさか。賽銭箱の前でゲロ吐いて、迷惑かけたことは? ちゃんと覚えてるんだろうな」

「気分が悪くなったところまでは、覚えているような。覚えてないような……。うっ、うわあああぁぁっん、やっぱり、すみません。ごめんなさい。どうしよう、わたし」


 ひたすら床に額をこすりつけて、何度も詫びた。

 まったく覚えてないけど、素敵な人の前でゲロを吐いた。天使のような笑みを浮かべる薫を、無理やり風呂に誘って一緒に……。まったく知らない人なので、きっといやがったに違いない。それなのに――。

 目に光るものが盛りあがるから、下唇を噛みしめた。

 

 泣いてる場合じゃない。必死に涙をこらえる菜花の両手は、ぎゅっと強く握りしめられて、その節の白さから後悔と反省の気持ちが伝わる。

 薫がそっと菜花を覗き込むと、真一文字に結んだ下唇からうっすらと血が。あまりにも痛々しい姿に、薫は軽く目を閉じて背中をなでる。

 涙をこらえる背中は細かく震えているから、やわらかく丸みのある声をかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る