④ 5/14 数え切れないほどの想い
イチゴのグラタンは、ラム酒のきいた大人の味だった。赤いイチゴが鮮やかで、カッテージチーズのやさしい酸味に頬がゆるみっぱなし。ふんわりと香るラム酒の風味と甘酸っぱいイチゴの相性も最高。
すっかり気分が良くなって、熊一は酒を飲み、一颯はアコースティックギターを持ち出して弾く。
「上手だね」
菜花が褒めると、まんざらでもない表情を見せたのに、長すぎる前髪で目を隠す。そして、ぽつりとつぶやいた。
「美寿丸様が楽器、好きだから」
「あっ、ここの神様が好きって、前に言ってたもんね」
「一颯ぐらいの信仰心が司にもあったら。さて、ちょっと薫ちゃんの様子を見てくる。菜花ちゃん、困ったことがあればいつでもここにおいで。一颯、菜花ちゃんは司の恩人だ。失礼なことしたら叩き出すからな」
「はぁーい」
元気よく返事をしたが、どことなく信用できない。菜花も帰ろうとしたのに、腕をつかまれた。
「お姉さん、綺麗な声をしてるよね。唇もほどよい厚みがあって」
「えっ?」
「よし、外に行こう。美寿丸様の近くで歌ってよ。きっと喜ぶから」
「歌うって、いま? 近所迷惑だよ」
「大丈夫、ここは森の中みたいなもんだから」
えぇぇっと困った顔をしても、一颯はまったく気にしない。鼻歌まじりで強引に菜花を外へ連れ出した。
外の空気は穏やかで、木々をゆらす風が心地良い。菜花は軽く息をついてあきらめた。そしてふと空を見上げると、明るい月が。もう少しで満月というふくよかさで皓々と輝いている。
「お姉さん、こっちぃー。ここに座って」
拝殿のそばで一颯が手招きしている。菜花は思わず立ち止まった。
月が、木目の美しい賽銭箱と、大型の鈴を取り付けた鈴緒を青白く照らしていた。司と出会ったあの日のように。
「どうしたの?」
「あ、ごめん。いきなり歌ってと言われても」
「そっか。それじゃ適当に弾いてるから、歌いたくなったら歌ってよ」
音楽のことはさっぱりわからない。でも一颯が奏でる、音が楽しい。ジャーンと鳴らせば様になってるし、とても小さな繊細な音だって自由に操る。知ってる曲が耳に飛び込んでくると、身体が勝手にリズムを刻む。
いつの間にか菜花は声を出していた。腹の底から大きな声で。
アコースティックギターの音色に声が乗れば、華やかな歌になる。当たり前のことだけど、ふしぎな感覚だった。
やがて菜花の声に一颯の声が重なって、音が色に変わる。それは言葉よりもやさしくて、どこまでも輝いて夜空へ吸い込まれていく。宝石のような歌声が月明かりにとけていくのを見た。
「お姉さん、すごい。こんなにも楽しく歌ったの、久しぶり」
少し興奮した様子で一颯が笑う。菜花も腹の底から声を出して、驚くほど気持ちがいい。
「やっぱり、お姉さんは美寿丸様だ」
「え?」
「歌が上手いし、司のために首を差し出した。これは愛だね」
「違うよ。もともと六月の終わりまでだったから」
「どうして、うそつくの?」
長すぎる前髪の奥から、菜花の胸の内を探るような視線が絡み付く。たじたじになって手のひらに汗をかいていると、一颯はやわらかくほほ笑んだ。
「じゃあ、次は、司のことを考えて歌ってよ」
「池田さんの?」
小首を傾げたけど、彩りのあるメロディーが流れ出す。んー、と考えながら唇を薄く開いたが、声は出なかった。
この場所で出会って、猫耳メイド服を見られて、男子トイレで再会。記憶がよみがえると頭を抱えて叫びたくなる。
冷めた視線や、口の悪さに戸惑うことが多かった。でも、本気で怒ってくれたし、心配もしてくれた。
数え切れないほどの想いがあふれて、歌声より先に無色の色が頬を伝う。
「明日が来るのが怖い」
菜花は両膝を抱え込んで顔を伏せた。すると一颯が手を伸ばして、やさしく肩をなでた。大丈夫だよと何度もくり返しながら。
その様子を眺める影があったことを、菜花は知らない。
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