③ 5/14 つい鼻血が……

 圧倒的な存在感を示す石鳥居が、菜花を見下ろしていた。

 夜の神社は少し怖い。別にやましいことがあるわけじゃないけど、厳かな空気に身が引きしまる。

 急な石段をのぼりきると、ぼんやりとした明かりが菜花を迎えた。すっかり暗くなった神社に、社務所だけが明るく浮かんでいる。


「こんばんはー」


 緊張した声を投げると、「いらっしゃい」の声が返ってきた。でも薫の声じゃない。


「会いたかったよー、お姉さん!」

「いっ……ッ」


 菜花が一颯の姿を確認した途端、覆いかぶさってきた。突然のことにパニックを起こしたが、菜花は一颯の胸の中にいた。石けんのいい香りがしたけど、そんなことを感じている場合ではない。

 わたわたと慌てながら逃げ出そうとしたのに、一颯の力は強い。菜花の頭に鼻先を付けて、髪の香りを深く吸い込んでくる。


「やめんか、変態」

「いでッ」


 手がパッと離れて、菜花はよろめいた。両手で頭を抱える一颯の後ろに、竹箒を持った熊一がいた。


「すまないねぇ。ウチのバカ息子たちが……。菜花ちゃん?」

「ふぇぇっ」


 男との接触に免疫のない菜花は顔を真っ赤に火照らせて、目をチカチカさせている。そして「あっ」と鼻を押さえた。指の隙間から血が。


「お姉さん、おもしろーい。興奮しすぎ」

「ち、違うわよ。いきなり抱きついてくるから鼻をぶつけて」


 一颯の胸はびっくりするほど硬かった。思い出すと全身の血液が顔に、鼻に集中していく。


「ああぁ、菜花ちゃん、鼻をしっかり押さえて。スーツを汚すといけねぇ。中に入って。一颯、ティッシュを取ってこい」


 はい、はーい、とゲラゲラ笑ってるから、恥ずかしくて帰りたくなった。でも熊一が深々と頭を下げる。


「本当にすまないな。司のせいで仕事を」

「ほんなほころて、やめれくらさい」


 鼻を押さえながら話すので、熊一は菜花に背を向けた。その肩が細かく震えている。笑いを堪えているかのように。

 気まずい空気が流れたタイミングで、一颯がティッシュを持ってきた。菜花は椅子に座ってやや下を向いたまま、小鼻を押さえる。幸い鼻血はすぐ止まったので、汚れた手を洗い流してひと息ついた。


「薫さんは?」

「母さんはもう寝た。昨日から風邪で」

「えっ、それじゃわたしのところに来たメッセージは」

「オレが母さんのスマホから送った。熊一がどうしてもお姉さんと話がしたいって言うから」


 騙された。菜花は唇を真一文字に引き結んで一颯を見上げた。


「お姉さん、怒ってる?」

「菜花ちゃん、悪いね。騙すような真似しちゃって」


 一颯は許せなくても、熊一の謝罪は笑顔で受け入れた。扱いの違いに一颯は文句を垂れ流していたが、熊一が遮る。


「司も三十歳を過ぎたいい大人なんだが、気落ちしてる姿を見ると、どうも放っておけなくてな。菜花ちゃんを司の仕事に巻き込んですまない」

「そのことなら、気にしないでください。わたしが勝手にやったことなので、池田さんは関係ありません。楽しい仕事ができたので、大満足です」


 それが本心なのに熊一は頭を下げたまま。これは早く帰った方がいい気がして、菜花はカバンに手をのばした。


「本当に気にしないでください。それじゃ、そろそろ。遅くなる前に帰ります」

「飯は?」

「ここへ来る前に食べてきました」

「そうか。それじゃイチゴのグラタン、食うか?」


 キュートな甘さに、絶妙な酸味を兼ね備えたイチゴは大好き。それをグラタンに? 帰ろうとしていた菜花はカバンを床に置いた。


「イチゴのグラタン。それも手作りですか?」

「もちろん。一颯も手伝ってくれた」

「そうそう。グラタン皿にバターを薄く塗るでしょう。ボウルに卵黄、グラニュー糖を入れてよぉーくかき混ぜる。それから生クリームと小麦粉も加えて、さらに混ぜ、混ぜ、混ぜ」

「最後にカッテージチーズとラム酒を加えて、ざっくりあえるんだが、ラム酒を白ワインに変えてもうまいぞ。洋酒は好きなものを使え」


 ふん、ふん、とうなずきながら、菜花はスマホを取り出してメモを取っていた。


「それで、オーブンの温度は?」


 前のめりになった菜花のまなざしは、真剣だった。

 

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