④ 5/8 良雄の告白
「あたし、もう戻らないと。ボスが不在で現場が混乱してるから、ごめんね」
千乃はテーブルに手をついて立ち上がった。そしてそのまま逃げようとしたのに、腕をつかまれる。それでも振り払って逃げようとしたが、良雄の力が強い。
「千乃さん、ちゃんと聞いてあげてください」
菜花も手伝って無理やり千乃を座らせた。すると良雄が張りのある声で叫ぶ。
「僕は三十歳までに、千乃さんとの子どもが欲しいですッ!」
――は?
ざわつく店内から音が消えた。多くの目が好奇なまなざしを向けてくる。しかし良雄はそれに気が付いていない。すっかり舞い上がり、テンパってしまった口から次々と言葉があふれていた。
「千乃さんはバリバリ働いていいんです。僕が主夫になってもいい。あっ、やっぱり子どもはいますぐほしいです。もしできなくても、千乃さんが毎日そばにいてくれたら」
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って。中山さん、声を静めて。ゆっくり落ち着いて。よーく考えてみようか。どうしていきなり子どもなんですか。それよりも先に。もっと大事なことを伝えないと」
「え?」
「え? じゃないですよ。好きなんでしょう。千乃さんのことが」
「告白は何度もしてます。……全敗ですが。でも僕はあきらめたくなくて」
「全敗⁉」
これには菜花も驚いて千乃を見た。すると首を横に大きく振っている。
「し、知らないわよ。良雄から告白なんて、一度もないよ」
「あります! 僕は何度も」
妙な言い争いがはじまったので、菜花が仲裁に入った。
「ふたりとも落ち着こうね。えっと、中山さんはいつ千乃さんに告白を?」
「千乃さんがアカツキビールに就職が決まったときです。僕も必ずアカツキに入社しますって」
「いや、でも、そのとき良雄はまだ高校生だったでしょう。それを、そんな……」
言葉を濁して、千乃の瞳は菜花に救いを求めている。旗色が悪くなった良雄はさらに声を荒げた。
「それからアカツキビールの入社試験に落ちて、人生の奈落にいたとき。千乃さん、僕に言いましたよね」
「えっ。……あっ、あぁアレね。えっと……」
しどろもどろになりながら、昔の記憶を懸命に引きずり出そうとしている。でも、まったく覚えていない様子だった。困った顔で激しく目を泳がせるから、菜花は助け船を出した。
「そのとき千乃さんはなんて言ったのかな? 教えてくれますか」
「ずっとそばにいてやるから、落ち込むなって。これってプロポーズでしょう。ずっとそばにいるんですよ。それから色んな場所や店をめぐって、デートして」
「デートォ?」
千乃があまりにも素っ頓狂な声を上げるから、ますます良雄がかわいそうになってきた。
「千乃さん、いい加減に認めてください。中山さんはずっと」
「五歳も年上なのに? うそでしょう」
まだ言葉を遮って認めようとしない。どこまでも頑固で呆れたが、それは自信のなさが表れているだけ。
「とにかく年齢は気にしない。中山さんが選んだんだから大丈夫って、わたしに言いましたよね。あの言葉は口先だけのうそだったんですか」
「ええぇぇ、うそじゃないって。良雄が菜花を選んだと思ったから」
「中山さんは、千乃さんを選びましたよ」
「選んでない!」
いきなり千乃が大きな声を浴びせ付けた。その顔は真っ赤に染まっているものの、強く握りしめた拳がぶるぶると震えている。
「本当にあたしは良雄の気持ちなんて知らなかった。いまだって、ふたりであたしをからかってるとしか思えない」
「からかってませんよ。からかわれたのは、むしろ――」
わたしの方だと言いかけて口をつぐんだ。すると今度は、良雄が泣き出しそうな声を発した。
「いったい、どうしたら僕の気持ちが伝わるんですか」
「だって、だって、良雄は一度もあたしに……」
語尾を濁してうつむいた。
「あたしに、なんですか?」
菜花が聞き返しても、押し黙ったまま首を垂れている。
「千乃さん、ここはもうハッキリさせましょう。ほら、思ってることを大きな声で。さん、はいッ」
「……好きって言ったことがない」
「へっ」
「だって普通、お付き合いをするなら告白があるでしょう。好きです、付き合ってください。みたいな」
菜花も良雄も呆然とする。そして背中から「ぶぼっ」とコーヒーを吹き出して、ゲホゲホと咳き込む音がした。
脳内少女マンガが菜花以外にも。果てしなく呆れる司の姿が目に浮かぶと、菜花は声を出して笑っていた。
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