四月二十三日(木) 菜花の知らないところでうごめく陰謀

① 4/23 グランドマスターキー

 今日も元気に仕事をはじめよう。

 気合いを入れてオフィスに入ったが、菜花のデスクには書類が山積み。先に出社しているユウユが、他の部署で作成された書類を種類別、日付別にまとめては、せっせと菜花のデスクに置いていく。


「おはよう、菜花。この書類、いつでもすぐに参照できるように管理しといてね」

「あの、ユウユさん。アカツキビールは副業禁止なんですか?」

「派遣の菜花には関係ないじゃん。くだらないこと言ってないで、手を動かして」

「……わかりました」


 しゅんとしながら穴あけパンチに手をのばす。仕分けされた書類に穴を開けて、ファイルに綴じる。それをくり返していると、ユウユが菜花を覗き込んだ。

 

「副業、したいの? 上司の許可があればできるけど、真っ先にリストラ候補よ」

「えっ、もしそれが実家の手伝いとかでも?」

「そりゃそうよ。アカツキビール以外の仕事があるなら、そちらへどうぞって、人事部が大喜びしそう。人員削減で頭を痛めてるから」

「人員削減か。どこの企業も大変ですね」

「そりゃ、もう大変よ。だから会議室の電気、お願い。いつも交換してくれる人が今日、欠席で。チカチカしてるのがたくさんあるみたいなの」

「いいですよ。でも、派遣はグランドマスターキーを使えないので、一室、一室、鍵を借りてたら、効率が悪いって部長に怒られますよ」

「えっ?」


 菜花とユウユは見つめ合った。

 アカツキビールには大小様々な会議室が数多くある。部署ごとにマスターキーを預けているが、総務にはすべての会議室を解錠できる、グランドマスターキーがあった。それがあればたった一本の鍵で、すべての会議室が開く。その特殊さから使用できる者は限られていた。


「あー、もう。面倒くさいわね。こっちに来て」


 ユウユは苛立つ声を菜花にぶつけてから、デスクの引き出しを開けた。中はお菓子の包み紙や、仕切りを無視して乱雑に詰め込まれた文房具でぐちゃぐちゃ。整理整頓を心がけている菜花はあまりに汚さに目を見張ったが、ユウユは気付いていない。

 ガチャガチャと荒々しい音を立てて、ブツブツ文句をいいながら箱に入った鍵を取り出す。


「はい、これで頼んだわよ」

「だから、普通の鍵と違ってグランドマスターキーは」

「これはグランドマスターキーのコピーなの。壊しても平気だから、ササッと交換してきて。バレなきゃいいのよ!」

「そういうことじゃなくて」


 反論しようとしたけど、ダンッとグランドマスターキーをテスクに強く叩きつけて、ユウユはそっぽを向く。それから凄まじい速さでキーボードを打つから、取り付く島もない。

 してはいけないことをして、首を切られるのは派遣社員。もう一度声をかけようとしたが、仕事に集中しているユウユが絶対に折れないことも、よく知っている。菜花はため息をついてオフィスを出た。

 

「ふん、三十路女のくせにいい子ぶって気持ち悪い」


 菜花がいなくなってから、ユウユは毒を吐いた。

 先週の金曜日。千乃がセッティングした合コン。そこで彼氏をゲットするはずだったのに、参加メンバーを知って愕然とする。

 三十二歳の千乃は敵ではなかったが、田沢たざわ恵里奈えりながいた。あの美人と並べば、どんな格好をしても霞んでしまう。そこで目を付けたのが、菜花だった。しかし、油断はできない。


 普段から地味でパッとしない菜花だが、小動物のような愛らしい目をしている。メイクを変えれば、男受け間違いなしのかわいいタヌキ顔。オシャレをさせてはいけないから、ギリギリのタイミングで合コンに誘う。

 そして合コンは、ユウユの思惑通りになった。天然を装って菜花を下げて、恵里奈の次、二番目にいい女のポジションをつかみ取った。それなのに、良雄が菜花を選ぶ。腹立たしさからキーボードを叩く音がより一層激しくなったが、ピタリと止まった。


「そっか、派遣の子は社員と違って、グランドマスターキーを使えないんだ」


 ぽつりとつぶやいて、意地の悪い笑みを口もとに浮かべた。

 いま、菜花がグランドマスターキーを持って会議室をまわっている。これを上司に報告すれば、大問題に。手っ取り早く菜花を追い出す絶好の機会。思わず上司を捜したが、思い止まる。

 グランドマスターキーをどこから入手したのか問われたら、真っ先にユウユの名前があがって始末書……。

 チッと舌打ちをして、八つ当たりするかのように、またキーボードを叩きはじめた。

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