⑥ 4/26 好きな人のために……菜花には無理
ひとまわり大きな声をあげると、ドーナツがのどに詰まる。菜花が胸を叩きながらゲホゲホと咳き込んでいると、オレンジジュースが目の前に。
「そこ、ドーナツを詰まらせてまで食いつく?」
「ありがとう。だって、ふたりとも男でしょう」
「そりゃ、そうだけど。寺は女人禁制。男ばっかりだと、そういうこともあるとか。知らんけど」
「で、ふたりはどうなるの。駆け落ちとか?」
わくわくしながら耳を傾けたのに、一颯は「残念でした」と、眠たげな声で笑う。
「
「えっ、身代わりになったの? どうして? あり得ないでしょう。死んじゃうのよ」
「でもそのおかげで、幸女丸は死なずにすんだ」
「納得できない。かわいそうだよ」
「だから、それを知った幸女丸は心を入れ替えて、立派な僧になったんだ。それから色々あって、美寿丸様を神として祀るようになった。それが、あの神社」
「へぇー、好きな人のために命を投げ出して、神様になったのね。わたしには、真似できないな」
「真似できたら、そこらじゅう神様だらけだと思うけど」
「……確かに」
もっともなことを言われて、面白くない。菜花は残りのドーナツを一気に食べた。すると。
「餡ドーナツに、オレンジジュース。合計、四百円になりまぁーす」
「えっ!」
「ここはドーナツショップ。お姉さん、ただ食いしようとしたの?」
「ち、違うわよ。テイクアウト追加で。ストロベリーチョコと抹茶きなこ。それから、カスタードクリームのドーナツも、く、だ、さ、いッ」
カウンターにお札を叩きつけた。
一颯は背筋を伸ばして一瞬だけ怯んだが、すぐに口の片端を上げてにやりと笑う。
「合計、千二百カロリーです」
「……商売する気あるの? ケンカ、売ってるでしょう」
「うんん。お姉さん、かわいいから遊びたくなるだけ」
「かっ、かわわっ!?」
声を裏返して、頭から朱を注いだように真っ赤になる。キッチンカーの中では、一颯が腹を抱えて笑っていた。頭にきて帰ろうとしたけど。
「司は、いい奴だよ。大事にしてあげて」
「は?」
「お姉さん、司の彼女でしょ?」
「違います! わたしには――」
良雄がいる。……はずなのに、今日のことを顧みると彼氏と言えない。千乃と司が、結婚を考えた仲かもしれないと知ってからの態度。本当に具合が悪そうで、心配だった。でもそれは、ひどくショックを受けている姿。
神妙な面持ちで考え込んでいると、かわいい花柄のボックスに入ったドーナツが目の前に。
「はい、どうぞ。お姉さんが司の彼女だったらよかったのに。なんだ、違うのか。司には早く結婚して、子どもをつくってもらわないと」
子どもをつくる。別にいやらしい意味じゃないはずなのに、いちいち反応して顔が熱い。これがヤラミソの厄介なところだと、菜花はしけた顔をする。
「池田さんなら、放っておいてもすぐ結婚しそうだけど?」
「オレね、いつも司と遊んでたの。でも、彼女が来ると遊んでくれないでしょう。だからムカついて、「ぱぱぁー」って抱きついたんだ。そしたら司、彼女にビンタ、されてた」
「うわぁ……なんてことを。それで婚約破棄に?」
「違うよ。それは司が大学生のとき。結婚がだめになったのは、もっとあと。でもあれから女運ないみたいで、心配」
「なんか、意外な姿。これも聞いちゃいけない話のような……」
急に怖くなって、周囲を確認した。ここで司と鉢合わせしたら、またイヤな顔をされる。でも、スーツ姿の男はいない。
駅前の広場には若い子が多くて、大きなスポーツバッグを肩からさげた女子高生のグループがこっちに近づいてくる。
「それじゃお姉さん、またね」
「えっ、あ、うん」
女子高生たちは常連のようで、ドーナツを買い終わった菜花を強い力で押しのけてきた。
「一颯、今日も買いに来たよ」
「いつもありがとうー」
さっきとは打って変わって、シャキッと元気な明るい声。女子高生に囲まれた一颯は楽しそうに接客して、親しげに話をしている。菜花は軽くお辞儀をして、キッチンカーから離れた。
「美寿丸様……か」
好きな人のために命を落として、結ばれていない。知らなかったとはいえ、必死に良縁を願い続けてきたことに罪悪感を覚える。それでも少し困った顔をしながら「しょうがないなぁ」と願いを叶えてくれる神様だと嬉しい。
ふふふ、と笑って空を仰ぐ。もうまぶしさは気にならなかった。
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