② 4/17 運命の出会い
「ここが本日の会場でございます」
声のトーンを落として、千乃がバスガイドのように手をあげた。その先に、人ひとりが通れるほどの細い扉がある。気をつけて歩かないと、そのまま通り過ぎてしまいそうな扉は、とにかく目立たない。でも、一目でわかる。会社帰りのサラリーマンが集う居酒屋ではないと。
菜花は勢いよく振り返り、幸野を見た。すぐに視線をそらして、知らん顔をする幸野。軽い居酒屋合コンという話もうそだと知って、菜花は絶望する。だが、細い扉をくぐって店内に入ると、さらに菜花を追いつめた。
レンガで囲まれた通路もオシャレだし、店の外観からは想像できないほど高い、吹き抜けに目を見張る。しかもアンティークを貴重とした温かみのある空間に、黄色みがかった白熱灯の明かりがとても穏やかで、隠れ家みたいだった。
「すっごい、素敵。会社の近くにこんなお店があるなんて、知らなかった」
天井を見上げて声を弾ませる田沢の横顔は、お姫様のように輝いていた。オシャレのオの字もない菜花とは違う。まぶしすぎて、うつむくことしかできなかった。
「レトロとまではいかないけど、懐かしい感じがしていいでしょう。あ、すみません」
堀部が店員さんを呼び止めて話をしている間も、帰りたい気持ちがどんどん膨らんで、破裂しそう。
そんな菜花を思い止まらせたのは、香り。ニンニクとオリーブオイル、最高の組み合わせが鼻腔をくすぐる。よく見ると、どっしりした本格的な石窯もある。そしてそこから、ピッツァの香ばしい匂いがさらに食欲を刺激する。
やっぱり食べてから帰ろう。そう考え直した瞬間。
――ぐぅうう……、きゅるるる……。
静かな店内に、菜花の腹の虫が派手な音色を奏でた。
は、恥ずかしいと一気に頬を朱に染めて背中を丸めたが、菜花の肩に大きな手が乗った。
「千乃さん、お久しぶりです」
びっくりして顧みた菜花は、やわらかい笑顔が素敵な好青年と視線がぶつかった。
「
「えっ。あー、ごめん、間違えた。こっちはちょっと早くについちゃって、みんなで首を長くして待ってたところ。だからもう腹ペコで、さっきから腹の虫が」
「もしかして、さっきの爆音、良雄だったの? 恥ずかしい」
「堀部さん。ち、違うんです」
お腹が鳴ったのは、菜花。慌ててそれを伝えようとしたのに、千乃が人差し指で菜花の唇を塞いだ。
「ここにいる女性陣は、みんなあたしの友達ってことになってるから、堀部さんじゃ、だめ。みんなも名前で呼び合ってね。堅苦しいのはなしだから、あたしのことは千乃でお願い。で、こっちの腹ペコ男が
「はじめまして……って、自己紹介は席についてからにしよう。ついてきて」
良雄の広い背中を眺めながら、菜花の胸はドキドキしていた。
すっきりした顔立ちなのに、目が大きくて丸い。でも口は小さくてベビーフェイス。やわらかい笑顔で、菜花をかばってくれた。
誰にだって運命の出会いがある。ネットで見かけた記事。信じていなかったけど、『ご縁がありますように!』と、会社近くの神社で手を合わせていた。
今日も五時に退社して、約束の七時まで暇だったから、縁結びの神様にお願いしている。『いいご縁に恵まれますように!』と。だが、同じように五時に退社した幸野は、気合いの入ったメイクと出社してきたときとは違う服装で、ドレスアップ。縁結びの神社でのんきに神頼みするよりも、幸野のようにしておけば良かったと後悔していたが……。
――やっぱり神様は、どこかで見ている!
良雄が年下なことをすっかり忘れて、菜花は運命の出会いがやって来た、と心を弾ませた。そして案内された場所は、丁度いい具合に壁とカーテンで仕切られた半個室。にぎやかな店内にいてもうるさすぎず静かで、かすかに聞こえるジャズの音色にやさしく包まれていた。
煌びやかな都会の雰囲気に憧れて田舎から出てきたが、これといって仲の良い友達がいない菜花。いつも憧れを眺めているだけだったのに、贅沢な大人の時間に佇んでいる。それがふしぎで顔をにやけさせていると、テーブルに肘をついてスマホをいじっていた男たちが、いっせいに顔をあげた。
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