第18話 勇者の後悔


 ――俺達じゃあ、神は、殺せなかったんだ……


 そう口にしたハルの表情は苦悩と後悔に満ちている。なんと声をかけたらいいかわからず黙り込んでいると、ハルはけろりと顔を上げた。


「ああ、ごめんごめん。なんか重い空気にしちゃって。話ついでに少し、昔話をしてもいいかな?」


「……昔話?」


 ……興味がある。ゆっくりと首肯すると、ハルは湯飲みにお茶のおかわりを淹れながら口を開いた。


「俺が魔王を倒すために旅をしてたって話は知ってるよね?」


「……はい。仲間と共に魔王を打ち倒し、国を救ったと」


「そう。俺が神に会ったのはそのとき。魔王を倒すために武器を貰いに行ったんだよ」


「それは、ひょっとして……」


 ハルの腰に携えられている一振りの刀に視線を落とす。ハルはそれをぽんぽんと叩いて笑う。


「うん、これ。『天羽々斬』っていう神器なんだけど、この世界では魔王は神様が作った武器じゃないと倒せないんだ」


「それが伝説の『魔王殺しの剣』ですか……」


 チートofチートin theチート。とにかく限界までチート。一般人の俺にも見ただけでわかる。その白く美しい刀は、鞘から抜かれていないのに神々しい力をこれでもかと言わんばかりに振りまいていた。ピカピカ光ってるとかじゃない。なんかもう、オーラが違う。


(アレだろ?どうせ岩でも紙みたいにスパッと斬ってみせるんだろう?やば。)


 絶対に、敵に回したくない。


 そう思っていると、ハルは短くため息を吐いた。


「そう――『神は神にしか殺せない』。これがこの世界のルールだ。だから、勇者達はみんな神に会って神器を貰う。よくある昔話で『聖女が神に奇蹟を授かる』っていうのは、このときのオマケみたいなものなんだよ。で、俺が会いに行ったときは天羽々斬が貰えたってわけ。いや~、できるなら俺もエクスカリバーとか欲しかったんだよ?だって憧れじゃん?ユウヤ君だってできればエクスカリバーがいいと思うよな?」


「いえ、僕は……」


 チート過ぎてついていけない。そんな俺の気も知らず、ハルは続ける。


「まぁ、結局エクスカリバーは先に貰われちゃってたんだけどさ。とにかく、俺は魔王を倒すために神に会いに行った。そして天羽々斬を貰った。けど、神器と、それを扱うに足る超越的な力を授かる代わりに出された条件は、『可愛い女の子の生贄』だったんだ……」


「え――」


(けど、天羽々斬ソレを持ってるってことは……)


 まさか、ハルは――『生贄を差し出した』のか?


 思わず固まっていると、ハルはつらそうな表情で語りだす。


「もちろん、最初はそんなことできないって拒んだ。そしたら神は『人を呼びつけておいて、できないから帰れとはなんだ』とか言って、キレだしたんだ。俺達はもちろん戦った。けど――負けたんだ」


「…………」


「さっきも言ったように、『神は神にしか殺せない』。順番があるんだよ。魔王を倒すなら神に、神を倒すなら魔王に会わないといけない。だから、戦いを挑んだ時点で『神殺しの魔剣』を持ってない俺達は負けだったんだ。負けた末に、俺達の仲間の――マヤの妹、摩紀マキが、命を差し出すと言い出した」


「――っ!?」


「マヤとマキは双子の聖女で、マキの病気を治すために俺達の旅に加わった。けど、神に会った時点でかなり病気は進行していたみたいで……魔王を倒して薬を手に入れるまで保たないと判断したマキは、その身を差し出した。俺達に、全てを託して」


 悲しげにため息を吐いたハルは、天羽々斬に視線を落とす。


「そうやって手に入れたのが、こいつだよ……」


「…………」


「マキの無念を晴らすためにも、俺達は必死に魔王と戦った。そうしてこの地に平和が訪れたわけだけど……知らなかっただろ?」


「はい……」


「だって、誰も『英雄譚』に書いてくれないんだもん。『神は人を無償で助けない』『奇蹟に代償はつきものだ』なんてさ……いくら神に色んな能力を授けてもらえても、そんなん夢も希望も無いじゃない?」


「…………」


 黙り込む俺に、ハルは静かに告げる。



「――神には会うな」



「…………」


「……わかって、くれたかな?」


 さみしげに微笑むハルは、やっぱり『いいお兄さん』だった。

 俺を諭すためにこんな思い出したくもない昔話をするような、心優しい『勇者』。そんな彼にこんな顔をさせる、この世界の『都合のいい英雄譚に縋る』在り方にいささか疑問を覚える。

 返事ができないままでいると、ハルは重苦しい空気をかき消すように伸びをする。


「あーあー!やっぱ昔話はダメだな!聞いてて楽しくなかっただろ、ごめんな?でも、わかってくれればそれでいいんだ」


「……はい。神に会うのは諦めます。僕の為に、申し訳ございません……」


「いいんだよ!ほら、一応俺、先輩だし?こういうのはちゃんと後世に伝えないとだろ?もう誰にも、おんなじ思いはして欲しくないからさ?」


 にぱっと笑うハルに、さっきまでの陰りは無くなっていた。

 俺は、思う。

 きっと、リリスはこの笑顔に惚れたのだと。


 呆然としたままの俺に、さっきまでとは異なる調子でハルは問いかける。


「ねぇ、先輩風ついでに聞いておきたいんだけど」


「なんですか……?」


「あのさ……」


 にやにや。


「……一度に違う女の子を同じくらい好きになったことはある?」


「えっ」


「その顔だと、まだ無いみたいだな。うん、よかった」


「あの……それ、どういう意味ですか?」


 腕を組んで『うん、うん』と勝手に頷くハル。


「いや、俺の気のせいならいいんだよ。なんだかユウヤ君はモテそうに見えたから」


「そんなわけ――ないじゃないですか」


(俺、ただの高校生だし)


「何?今の間」


「別になんでも。僕はライラ様に愛されなければ生きていけませんので。二股をかける余裕はありませんし」


 物理的に。経済的に。

 しれっと言い放つと、ハルは驚いたような顔をする。


「……意外と情熱的なんだね?」


「は?」


(…………)


 今更になって、割とこっずかしいことを口走ったことに気が付く。俺に大したチート能力が無いことを知らない人間が聞いたら『ライラ様がいないと生きていけなぁい♡』みたいな印象なんだろう。

 俺は訂正しようとして――口を噤んだ。だって、チートだらけのハルにチートが無いとは言いづらい。なんとなく。

 色んな意味でバツが悪そうな俺を見て、ハルは笑い出す。


「あはは!そんなに照れなくてもいいだろ?好きな子がいるのはいいことだ!人生楽しくなるし?」


「…………」


「けど、先輩である俺からアドバイスをするとしたら、後悔のない選択をした方がいいってこと。もしくは、どんなに悩ましい問題でも、ちゃんと自分の意思で決めること。そしたら、きっと後悔なんてしなくなる。『あのとき決めた俺を信じろ!』ってね?」


「自分の意思で、ですか……」


 そんな小難しいこと、考えたことなかった。けど、ベテランが言うんだからきっと間違いないんだろう。むしろ、ハルは何をもってそういう結論に至ったのだろうか。俺は聞き返す。


「ハルさんはひょっとして……一度に違う女性を同じくらい好きになったことがあるのですか?」


 ぎくっ。


「そして、その決断に後悔を?もしくは……後悔のない決断を下されたので?」


 形勢逆転のごとくにやにや問いかけると、ハルはため息を吐く。


「だってしょうがないじゃん……異世界の女の子みんな可愛いんだもん……」


 俺は、直感した。


(こいつ……ハーレム系出身か……)


 チートでハーレム。いけ好かない。俺は畳みかける。


「しかし、ハルさんはマヤ様と結婚なさったということは、そこに正解があるとお考えに?」


「うーん……うん。後悔はしてない。俺は俺なりに考えてマヤと結婚したから」


(へぇ……リリスをフった理由があるなら、聞かせてもらおうか?)


「どんなお考えだったかお聞きしても?今後の参考の為に」


「今後って、キミ……まぁいいや。異世界にチートとハーレムは付き物だからな。ユウヤ君のためにも教えておこう」


(いや、付き物じゃないから。異世界行ってもチートなんて無かったから。女もひとりだし)


 ジト目を向けても全く気付かないハルは、少し照れ臭そうに語りだす。


「いや、自分で言うのもアレだけど俺は結構モテたんだ。俺も皆のことが好きだった。でも、最後はマヤを選んだ。その理由は……マキだ」


「え?」


 思いがけない回答に、声が裏返る。


「ぶっちゃけ、同じくらい好きだともう誰も選べないんだよ。でも、選ばないままでいるのも不誠実だ。だから俺は、『一番傍にいてあげないといけない子』を選んだ」


「…………」


「マヤは、俺達の旅に加わったせいで大事な妹を失った。その悲しみに寄り添う義務――っていうとアレだな。寄り添ってあげたいと思ったんだよ、俺は。最大多数の最大幸福……ってわけじゃないけどさ、もし俺がマヤを選ばなかったら、マヤはきっとひとりになっちゃうんじゃないかと思って。そうやって客観的に考えたら、答えが出てた。勿論、マヤのことは心から好きだったし」


(そういう、ことだったのか……)


 『リリスはそれを知っているのか?』と問いかけようとするも、どこから話したものか。言い淀んでいるとハルは大袈裟にため息を吐く。


「それが……まさかあんなことになるなんて……」


(『まさか』って……)


「それがさぁ?俺のこと好きだった魔術師の子が――」


 ……やっぱり。


「なんかキレちゃったみたいで、王宮の男性陣を総ナメ――じゃない。食い散らかして――違う。寝取って――ダメだな。ええと……何て言えばいいんだ?ユウヤ君まだ十七歳だよな?うーん……」


(いや、バレバレ。オブラートの包み方ド下手くそかよ……)


「……おおよそ察しました。後処理、ご苦労様です。それで?その方は王宮から追放したのですか?」


「うん……仕方なくね。俺は止めたんだけど。だって、一緒に魔王を倒した仲間で、英雄だし。でもなぁ、王宮の皆もこないだまで『英雄リリカ様!』とか言ってたのに悪さした瞬間掌返しちゃって。『勇者を誑かす魔女は王宮に置けない』とか言って」


(…………)


「リリカは開き直ってキャラが豹変するし、マヤも妬きもちやくし。止めきれなくてさ……悪いことしたなぁと思ってるんだよ。魔王を倒したら皆で褒美を山分けして悠々自適に暮らそうって言ってたから。約束守れなかった。ちゃんとリリカに話していれば、あんなことにはならなかったのかなぁ……?」


「だから僕には、『後悔のない選択を』と?」


「うん。長くなっちゃったけど、そういうこと」


 にこっと話をまとめたハルは、空の湯のみを持って立ち上がった。


「聞きたいこと、他にある?マヤがいると話しづらい内容なら今のうちに聞いておくけど?」


(やっぱり……そこを気にしてライラ達異世界の住人と部屋を分けたのか)


 『勇者』のその気遣いに、俺は頭を下げた。


「聞きたいことは、これで全てです。お時間いただきありがとうございました」


「いいんだよ。元の世界の人と『あるある』が話せて俺も楽しかったし。またいつでもおいで?」


「はい。あ、ハルさん……」


「?」


 俺は、最後にひとつだけ疑問を投げかける。


「あなたが何故マヤ様を選んだのか、他の方にはお話しないのですか?」


 その問いに、ハルは困ったように笑った。


「言えるわけないだろ?だって、きっと聞いたらぐうの音も出なくなる」


「ですが、誤解を受けたからこそリリカさんはそのような――」


「――いいんだよ。恨まれるのは俺ひとりで」


「…………」


 その言葉は、いったい誰に向かって放たれたものなのか。ハルの遠い眼差しに、胸が苦しくなる。その『想い』に、気づいてしまったから。


 ――『恨まれるのは俺ひとり』……


 彼はきっと、リリスや他の女性を選ばなかったこと以外にも、マキを救えなかったことに対して計り知れない後悔と自責の念を負っているのだ。だからこそ、俺にはその言葉が『マキに恨まれるのは俺ひとりでいい……』と、そう言っているようにしか聞こえなかった。


(なにが『英雄譚』だ。こんな優しい青年を異常なまでに担ぎ上げ、その肩に全てを背負わせて……)


 俺は、心の中で歯噛みした。その『想い』を隠しながら、ハルに続くように部屋を出る。


 部屋から出ると、どこからかきゃいきゃいという楽しげな声が響いてきた。

 ……隣の部屋だ。



『それで?ハルさんとは普段どういった生活をお送りに?』


『そらもうラブラブやわ~♡結婚してからもずぅっと♡顔から出る火ぃが究極魔法より熱いんちゃう?みたいな~』


『きゃああ!いいなぁ♡私もユウヤと究極魔法より熱い夜を過ごしたい!』


『ええなぁ、ええなぁ♡その話、もっと聞かして?』



「「…………」」


 俺はハルと顔を見合わせる。


「聞かなかった、ことにしようか……」


「……はい。ハルさん……」


「なに?」


「応接室の扉、もっと厚くした方がいいのでは?」


「……うん。そうする」


 俺達とは打って変わってスイーツピンクな話で盛り上がるライラを待つ間に王宮を見学することを許された俺は、ハルに見送られてエントランスまで戻ってきた。


「じゃあ、俺は午後の謁見があるからここで。近くまで来た時はまた寄ってね?あと、コレありがとう。めっちゃ嬉しい」


 ハルはにぱっと笑って俺の渡した赤い小瓶を振る。モニカちゃんお手製(複製)――『味の素』だ。


「いえいえ、ささやかなものですが。マヨネーズの方も、キューピーの味が再現できた時はまたお知らせ致します」


「うわ、神!ご飯がすすむ~!」


 俺は楽しげに浴衣を翻すマヨラー勇者の背を見送って王宮の散策を始めた。

 赤い木の柱が立ち並ぶ吹き抜けのホールは、見上げると天井に星座で描かれた神獣のようなものが見える。


(こうして見ると日本風と中華風が入り混じったような、不思議な国だな……元々中華風だったのを、復興の際に日本風にしていったのか?となると、これはハルさんの趣味?)


 ぶらぶらとそんなことを考えていると、不意に足元に熱を感じる。


「にゃぁ……」


「なっ――レオンハルト、外で待ってなさいと言ったでしょう?」


「ふみゃ……」


 すりすり。


「はー……もう……」


 仕方のない子。可愛い子。


 せめて王宮に足跡をつけないようにと抱きかかえようとすると、レオンハルトは腕の中から飛び出した。


「にゃあ!」


 離れたところにジャンプして、『ついてこい』と言わんばかりに振り返る。


「こら、こっち来なさい」


「ふにゃ~ぉ」


「おいで?」


「みゃあ!」


「……遊んで欲しいのですか?」


 首を傾げると、満足そうに『にゃう!』と鳴く。


「…………」


 俺は、猫にはとことん甘かった。


「……少しだけ、少しだけですからね?」


 向かう先に黙ってついていくと、廊下の隅でしきりに床を叩くレオンハルト。見ると、そこにはタイルとタイルの間に千切れた札のようなものが挟まっていた。


「これが欲しいのですか?」


 不思議に思って引っ張り出すと、『ゴゴゴ……』という音がしてタイルの間が軋む。


「え……」


 呆然と為すすべなく開いていく床の空間に目を向けると、そこには地下へと続く階段があった。覗き込むと、ひんやりとしたうすら寒い冷気が中から風に乗って漏れ出してくる。

 ――どう見ても、隠し部屋だ。しかも地下室。


 うずうず。


 俺は、そのうずきを抑えることが出来なかった。


「……少しだけ、少しだけですからね?」


(ハルさん結構ミーハーっぽいし、こういうの好きなのかな?)


 俺は好奇心の赴くままに地下室に降りる。

 すると――


「なっ――」


 俺は二重の意味で驚愕した。

 何故なら、そこは地下室ではなく『地下牢』だったから。

 そして、そこに捕まっていたのは……


 俺の妹にそっくりな少女だった――


(あ、ありえない……!)


「どうして幽希ユウキがここに……!?」

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