第14話 人殺しの聖女(マーダー・セイント)の真実


 翌日。聖女教会は、本部で行われた裁判が突如として降ってきた彗星の欠片によって中断され、にも関わらず判決が下されて閉廷していたことで混乱を極めていた。

 だが、そんなことはお構いなしに聖教都の街はいつもと変わらず活気に満ち溢れている。その様子を、どこか羨ましそうに眺めるライラ。


「…………」


「何か気になるお店でも?」


 教会本部の客間で帰りの支度を整えながら声をかける。が、いつものような明るい笑顔が返ってこない。


(ライラ……やはり昨日の言葉を気にして……)


 昨日、裁判長はライラを人殺しの聖女マーダー・セイントと、確かにそう呼んだ。

 いくら過去のこととはいえ、優しくて温厚なライラがそんなことをするなんてにわかには信じられない。だが、いつまでもこのままではなんだか調子が狂ってしまう。

 俺は思い切って踏み込むことにした。ソファの背にもたれかかって窓を眺めるライラの横に腰掛け、その手を引いて隣に座らせる。


「そんな浮かない顔、似合わないですよ?」


「…………」


「まぁ、僕がそんな顔してたらライラ様は『そんなユウヤも素敵♡』なんて言うんでしょうけど?」


 くすりと笑うと、ライラはようやくこっちを向いた。


「もう、そんなんじゃありません。そんなんじゃ……」


「では、どんなのですか?」


「…………」


 しょんぼりとうなだれる背をさすり、優しく声をかける。


「ライラ様?たとえどんな過去があっても、僕はあなたの傍にいるつもりです。よければ、その肩の荷を半分分けてはもらえませんか?僕は、あなたの宰相ですので」


 いつの間にかこんな台詞がすらすらと出るようになった己の学習能力の高さに我ながら呆れる。しかし、ライラの心がそれで軽くなるというのなら、このタラシスキルも捨てたものではない。にっこりと待っていると、しばらくして口を開くライラ。


「ユウヤ……」


「?」


「私は……私は、人殺しなの……」


「昨日、裁判長もそんなことを言っていましたね?本当に、そうなのですか?」


「正確には殺してはいないんだけど、その子は今も病院にいるわ。寝たきりで、もうずっと起きないの……だから、殺したも同然……」


「その子はどうして病院送りに?」


「私が聖女認定試験を受けたとき、実技試験の神聖魔法に巻き込まれて……」


「ああ、また張り切り過ぎちゃったんですか」


 くすっと笑うとライラは『ちょっと!こっちは大まじめなのよ!?』と珍しく憤った。俺の胸元をぽかぽかと力ない拳で叩き、じゃれついているようにしか見えない素振りに胸を撫でおろす。


「治癒魔法も試したのよ?何度も何度も病院に通い詰めて……でも、一旦バラバラになった身体を繋ぎ合わせるのは限界があったみたいで、血管も身体も繋がってはいるし、暫くして心臓も動き出したんだけど、心だけが帰ってこないの……」


「ちなみに、それを知る人間は他に?裁判長はよく知っていたようですが……」


「裁判長は、当時の魔術院の学長先生だったから……知っているのは被害者の子と親御さん、その場にいた監督の先生を含む、聖女教会の上層部の人だけ……西の領民をはじめ、周囲には極力隠してあるの。私の力を活かす為に、って……」


(なるほど。そうやって匿うふりをして弱みを握り、将来的に利用するつもりだった、と……)


 俺は、笑った。


「なぁんだ。セーフじゃないですか」


「え?」


「別にライラ様なら何人殺してても受け入れるつもりでしたけど、まさか未遂であそこまで言われているなんて。どうして言い返さないのですか?」


「でも……」


 けろりと受け応えると、ライラはぎゅっと手を握る。


「ユウヤは、私が怖くないの?」


 心細そうなその瞳を隠すように、そっと抱き寄せて頭を撫でた。


「――怖いですよ?あんな、叫ぶだけで辺り一帯が消し飛ぶような魔法が使えるなんて、人間業とは思えません」


「――っ!」


「でもそれ以上に、僕はこの世界のすべての人達が怖い。異邦の存在である僕を理不尽に蔑視し、研究対象として手に入れようと陥れる、悪意に満ちたこの世界が……」


「ユウヤ……」


「僕は……ライラ様。あなた以外の人間を信用できない。あなただけが僕を助けてくれました。あのときも、その後も……まぁ、最近ではリリスやグレルといった友人にも恵まれましたが。それでも、僕にはあなたしかいないんです」


 心配そうに見上げるライラに、俺は問いかける。


(いい機会だ、『あのこと』を話しておこう……)


「ライラ様、ひとつお聞きしてもいいですか?」


「なぁに?」


「ライラ様はどうして、勇者でない僕をいまだに好きでいてくださるのですか?」


「それは……」


「このまま僕を手元に置いても、あなたは神から奇蹟を授かれるわけじゃない。それなのに僕を傍に置いてくださるのは……愛情ですか?同情ですか?憐みですか?それとも別の――」


 言いかけていると、ライラはぎゅうっと胸元に縋り付く。


「ユウヤ、ちゃんと言わなくてごめんなさい。神様の奇蹟なんて、実はどうでもよかったの。私はあの日、ユウヤを助けた日……『救われたような顔をしたあなたに救われた』。人殺しの私でも、誰かのためにこの力を使えるんだって。あの瞬間から、その顔が頭に残ってどうにもならないの」


「…………」


「またその顔が見たくて、ずっと一緒にいたくて、それであんな無茶を言って、まるで色仕掛けみたいな真似をして迫って……それからずっと一緒にいるうちに、私がわだかまりを抱えているのに気付いていそうなのに、何も聞かないで傍にいてくれる優しいあなたをどんどん好きになっていって……」


「ライラ様……」


「もう、ユウヤ無しでは生きられないのは私の方なの。どうにもできないの……だから、ちゃんと言うわ」


「?」


「私は、ユウヤが好きです。大好きです。だから、お願いだから……傍にいてください……傍に、置いてください……」


 急に自信なさそうに俯くライラに少々面を食らう。今まで、なんとなくそうじゃないかとは思っていたが、こんなに思いつめるほど溺愛されているとは思わなかった。この様子では、『恋に恋するお年頃』というわけでもないだろう。俺は、その想いをきちんと受けとめることにした。そうでなければ、ライラにあまりに失礼だから。

 『今度は俺の番』。そう思い、ずっと考えていたことを口にする。


「ライラ様……愛してくれて、ありがとうございます。本当に……心の底から。異邦人である僕にとって、『ここにいて欲しい』という言葉はなにものにも代えがたい。ですから、僕も正直に話します」


「ユウヤ?」


 不思議そうに見上げるライラに、俺はそっと耳打ちをする。


「僕は、元いた世界に帰りたい。だから、その前に……」


『―――――――』


「――っ!?」


「……協力していただけますか?」


「ユウヤ、それは――」


「お返事は今でなくとも構いません。ですが、ご検討いただけると幸いです」


 にこりと微笑むと、ライラは顔を赤くする。


 その時、この世界の誰もが知ることはなかっただろう。もちろん、俺も知らなかった。後にこの『相談』が――


 ――世界に破滅を齎すことになるなんて……


      ◇


 その後、しばしソファでイチャついた俺とライラは控えめなノックの音で出発の時間を知らされる。さっきまでのシリアスな雰囲気とは一変して、ライラの愛情を受け入れた俺に今まで以上にべったりなライラ。その様子は溺愛以上の何かなんだろうが、生憎ボキャブラリーが乏しい俺は溺愛以上の溺れる愛を表現する単語を知らない。すっかり調子が戻ったライラに安堵しつつ半ば呆れていると、再び扉がノックされた。


 ――コンコン。


「ああ、はいはい。もうそんな時間ですか?」


「え~?もう~?もっとラブラブしてたいわ♡」


「はいはい、続きは帰ってからで」


「もう!そんなクールなユウヤも素敵♡」


(……結構キテるな……大丈夫か?)


 膝の上に跨ってくっついているライラをひょいとどけて扉を開けると、そこにはグレルが立っていた。


「ご主人様、時間です」


「わかりました。グレルは先にライラ様と乗っていてください。僕はリリスに少々確認が」


 視線を向けると、グレルの背後に控えていたリリスがにんまりとした笑みを返す。


「その様子だと……口封じはうまくいったようですね?」


「ふふ……あの裁判長、思ったよりやり手だったわ。まさかあたしの『誘惑テンプテーション』が効かないなんて。伊達にお偉い肩書持ってないわね?色仕掛け用に耐性魔術を敷いてたのよ?なんてナンセンスな男なのかしら!」


「まぁ、一応魔術院の元・学長だったらしいので。それで?今回の件を忘れるように仕向けられたのですか?一応、あなたお手製の『無罪の判決書』には血判を押させているので、履行されなければ呪いがかかるように細工がしてありますが、解呪されては厄介です」


「ふふん、あたしを誰だと思ってるの?」


「最強の助っ人」


「あら嬉しい♡」


「で?どうなんです?」


 さらっと流すと、リリスはぬるり唇を舐める。その仕草はなんとも艶めかしいが、リリスがこれをするときは、悪いことをしたときだ。俺はそれを見てほくそ笑む。


「万事うまくいったようで何より。今回は一体どんな手を?」


「ふふっ……手のうちを晒すのは良くないんだけど、宰相君になら教えてアゲル♡あなたは『特別』だもの♡」


 リリスはふわりと近づくと、俺の耳に息を吹きかけた後に囁いた。


「『洗脳マインドコントロール』よ……♡脳細胞に幻覚を焼きつけて、ちょちょいとね♡一昨日のことは、彗星が落ちた事故。裁判のことは、宰相君とライラちゃんへの恐怖の記憶以外は曖昧にしておいたわ。今は事故の対応に追われてる。目の下のクマがセクシーでいい感じにダンディになってた♡」


「へぇ……いいですね、それ。僕も勉強すればできますか?」


 にやりと尋ねると、リリスはくつくつと楽しげに笑う。


「教えてアゲてもいいけど……ちょっとイタズラ好きなカミサマと契約しないといけないわよ?」


(それ……絶対『悪神』だろ……)


「じゃあ、却下で。」


「え~?なんで?一緒にカミサマに血を捧げましょうよぉ!道連れ~♡」


「イヤですよ。契約に縛られて帰れなくなったらどうするんですか」


「あ~、そういうこと言う?宰相君がいなくなったらあたし寂しいなぁ!」


「あなたまでライラ様みたいになるのはやめてください。懐っこい猫は一匹で十分だ」


「またまたぁ!照れちゃって可ぁ~愛い!!」


 ぐいぐいと胸を押し付けてはしゃぐリリスは、まるで幼い少女のようだ。一昨日に変な話をしたせいで、異界の勇者と旅をしたときのことを思い出したんだろうか。

 もしリリスが俺に『彼』を重ねて、『あのときしたくても出来なかったこと』をしているというのなら、付き合ってやるのが正解か、あるいは酷なことなのか。俺にはわからない。

 だが、ひとつだけ言えるのは――


「リリス?僕はライラ様に愛されないと生きていけない。変な噂が立つような真似はご遠慮いただけますか?」


 抱き着く腕をそっとどけると、リリスは満足そうな笑みを浮かべた。


「それは、経済的に?物理的に?それとも……精神的に?」


 俺は一瞬迷ってから、短く笑う。


「ふふっ……ご想像に、お任せします」


「ヤダぁ!ツレな~い!でも、ミステリアスな男って好き♡」


「いいから離れろって。ライラ様に見られたらどうするんだ」


「焦る宰相君が見たぁ~い!きっと可愛いんだろうなぁ~♡」


(こいつは……!)


 若干のいらつきを隠すことなく俺は荷物を手に馬車へ向かう。そそくさと後からついて来るリリス。俺の隣に並ぶと、イタズラっぽく話しかけてきた。


「ねぇ……猫を二匹飼う予定は無い?」


(…………)


「それは、あなたのことですか?」


 ジト目で見ると、こくこくと頷く。俺は一蹴した。


「先程も申し上げた通り、一匹で充分ですので。二匹飼ったら――」


「『愛情』が分散しちゃう?」


「…………」


 満足そうな顔。俺の答えをもう知っていると言わんばかりの表情だ。なんか気に食わない。


(まったく……歳をとると、女はこうもお節介になるのか?)


 だが、リリスが俺を気に入っているというのは本当のようだ。俺はある提案を持ちかける。


「リリス。あなたが帰りの旅路を名残惜しく思って下さるのなら、提案があります。西で新設した『魔術騎士団』の顧問魔術師になっていただけないでしょうか?」


「――顧問魔術師?」


「はい。魔術師たちの教育係です。今は魔術師組合の上の者が行っていますが、たまにでいい。あなたが教えてくだされば教育水準は跳ね上がる。それになにより、あなたは住居と地位、安定した収入を得ることができます。どうです?悪い話じゃないでしょう?」


 問いかけに、うっとりとため息を漏らすリリス。


「それって……また騎士さんを食べていいってこと?」


(そうか、まだその問題が……)


 だが、ここで元・勇者のパーティメンバーを手放すのは惜しい。俺は、譲歩した。


「騎士団の規律や風紀が乱れない程度なら構いません。二股以上をかけるようなら記憶を消して、問題が起きないようにしてください。既婚男性も不可」


「え~?既婚でも新しい出会いを望んでる人はいるわよぉ?奥さんが構ってくれないとか。不倫返ししてやりたいとか。世間には『ざまぁ』なムーブもあるのよ?」


(……案外シビアな見解だな)


「わかりました。手段は任せますが、問題を起こさなければいいとだけ言っておきましょう」


「やった♡」


「あと、もうひとつ」


「?」


 首を傾げるリリスに、釘をさすように告げる。


「僕は胸の垂れかけた女に興味はありません」


「知ってる。何?あたしが夜這いに来るんじゃないかって心配してるの?」


「百パーセントしに来ないとは言い切れない」


 それに、万一来たとしても俺の横にはライラがいる。それを承知で来るとなると……俺の手には負えない。いくら慣れてきたとはいえ俺もそんなオトナじゃない。


「ふふっ。しないわよ、安心して?あたし、一途な乙女から横取りをするほど落ちぶれちゃいないのよ?」


(……やはり、重ねているのは『俺』ではなく、『ライラ』の方か……)


「あなたがそう言うのなら間違いないのでしょう。安心しました。だったら、もうひとつ教えておいた方がいいですね」


「なにを?」


「騎士団長のクラウスだけはやめておきなさい」


「え?あのイケメン?うそ。狙ってたのに」


「やっぱり……既婚とか言い出した時点でそんなことだろうと思いました」


 俺は再びジト目を向ける。そして、リリスの魂胆を打ち砕くべくはっきりと告げた。


「クラウスは新婚で、かつ自他ともに認める愛妻家です。長年幼馴染だったご令嬢とやっとの想いで結婚し、それこそ、溺れるように愛していると」


「…………」


「わかりましたか?心が手に入らない男に興味は無いのでしょう?」


「…………」


「あなたは昔、こうも言ってましたね?『自分に振り向かない男はキライだ』と」


「…………」


「顧問魔術師の件、引き受けていただけますか?」


 問い直すと、リリスは渋々首を縦に振った。


「独身で、我慢しま~す……」


(その前に給与と待遇を聞け、この淫乱魔術師!)


 相変わらずの様子に呆れながらも俺は手を差し出す。赤いネイルに彩られた手が、それを握り返した。


「では、これからもよろしくお願いしますね?リリス?」


「ふふっ!新しい出会いに感謝しないとね?旅はこうでなくっちゃ!やっぱり異界の男っていいわねぇ♡」


「色目を使うな、淫乱魔術師」


「あらぁ?これからは顧問魔術師って呼んでくれるんじゃないの?」


「はっ。淫乱なのに変わりはないですから」


「まぁ♡」


 こうして俺は、『魔術騎士団』に元・勇者のパーティメンバーを迎え入れることに成功した。そのせいで後日、西の教会と騎士団(独身寮)にはある噂が蔓延する。


 顧問魔術師によく似た淫魔が夜な夜な夢に現れては、文字通り夢のような体験をさせてくれる、と――

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