第12話 魔女の初恋


「チッ……」


 俺は忌々しい『判決書』を手に、扉を静かにノックする。


「リリス。よろしいですか?」


「はぁい♡夜這いかしら?」


「なわけ無いでしょう……」


「あら、残念」


 息を吸って吐くようにそんなことを口にするリリスを無視して、部屋のソファに腰掛けた。そして、今しがた手に入れた『リスト』と『判決書』をテーブルに置く。無駄に露出度の高いネグリジェ姿のリリスは、その紙を手にすると僅かに口角を歪ませた。


「あらあら……困ったわね?」


「はい。想定内ではありますが、ここまでとは。僕たち西の聖女領は教会本部とは疎遠な関係にあったので、街での僕の噂を耳にしてのことでしょうが、些かやり過ぎな気がします。それに、これをご覧ください」


 そう言って、リリスの持つ『リスト』を示す。


「明日の裁判に出席する裁判官のリストです。裁判長をはじめ、魔術関連の役職者が多いのが気になります。普通ではこうはならない。作為的なものを感じる。いくら小法廷で裁判官が五人に限られるとはいえ、五人全員が魔術院出身者や中央文部科学省の技術研究部に所属していた経歴がある。魔術だけが全てではないこの世界において、仮にも『西の聖女』を問題視する法廷で教会の要職が不在。ここまで偏りがあるのはおかしい」


「…………」


「思いあたる要因はありますか?あと、その対策は――」


 言いかける俺に、思いつめた表情でリリスが口を開く。


「ねぇ、宰相君。あなた、本当に異世界からの来訪者なのよね?」


「ええ。正真正銘、日本から来た高校生です。この世界の住人ではありません」


「だとすると……」


 リリスの表情が曇る。俺を気遣い、言い淀んでいるのだ。

 だが、その挙動が俺の予感を確信に変えた。


「やはり、僕は研究機関に狙われているのでしょうか?それで判決が『禁固刑』?」


「聡いわね……このメンツ。多分、そう……」


「ははっ。異世界からの来訪者は貴重な研究材料。だが、彼らはチート能力者ばかりで英雄揃い。実力はもちろん、世間からの支持も厚く、簡単には捕まらない。僕のような非力な者を除いては……」


 わかっては……いた。だが、やはり不愉快だ。どうして俺が。腹の底から湧き上がる、卑屈な笑いが止まらない。


「ククッ……石を投げられ、悪魔呼ばわりされたと思ったら。今度は実験材料ですか?まったくこれじゃあ禁固されている三年の間にどんな実験をされるかわかったものじゃない。これだからこの世界は――」


 ――理不尽だ。


 チートが無いと、何もできない。運よくライラに拾われ、権力を手にしたから人並みに暮らせているが、そうでなければ捕まって解剖ひらきにされていたかもしれないというわけだ。異界の研究のために。

 言葉を無くしていると、リリスは空気を変えるようにそっと微笑んだ。


「そういうアンニュイな顔の男、あたしは好きよ?心ここにあらずって感じで。浮世離れしてて」


「そう、見えますか……?」


 なんておめでた――優しい、奴だ。


「やっぱり帰りたいの?元の世界に」


「当たり前じゃないですか……僕が街の人間にどう思われてるかは知っているでしょう?こないだなんて、少しぶつかられただけで土下座されたんですよ?一般市民に『どうかお許しください、妻も子どももいるんです!』と……」


「まぁ♡こわーい!」


「人があんなに怯える表情を、初めて見ました。いったい、僕はどんな人間だと思われているのか。鬼ですか?悪魔ですか?」


「でも、言えないんでしょ?ライラちゃんには。『帰りたい』って……」


「言えるわけが、ないでしょう……」


「それは、悲しませるから?困らせるから?後ろめたいから?それとも――」


「――全部、ですよ……」


 自嘲気味に笑うと、リリスはくすりと笑みを浮かべた。


「街の皆は気づいてないみたいだけど、宰相君って中々いい男よね?涼しい顔して一途な男ってたまらない♡異世界からの来訪者って、どうしてこう魅力的な人が多いのかしら?」


 懐かしそうに目を細めるリリス。その表情は憂いに満ちていて、いつもとは違った妖艶さを醸し出している。俺はその憂いが気になって、話題にのることにした。


「その口ぶり……異邦の者に、知り合いが?」


「東の英雄と、少しね……♡今は聖女領を治める王様みたいなものだけど」


「ライラ様が憧れる、東の聖女の婚姻譚ですか……」


 その問いに、笑みが浮かんだ。あまり見ない、何かを慈しむような、愛おしむような笑みだ。リリスは以前、ライラが俺に膝枕をされたときも同じ顔をしていた気がする。


「ふふっ。ズルいわよねぇ?巫女だか聖女だか知らないけど。強敵を前に、踏ん張る脚ももう限界!ってときにあんなあったかい光で包まれたら……誰だって惚れるわよ?」


「彼らと一緒に……旅を?」


「昔の話♡あの頃はあたしも若かったわ~」


 うっとりと虚空を見つめる瞳。見たことのない筈のリリスの表情に、俺は見覚えがあった。ライラもよく、その顔を俺に向けるから。


「リリス。あなたはひょっとして、その英雄のことが――」


「……好きだったわ。ずっとね?聖女ちゃんがパーティに来る前からずっと……でも、当時のあたしは今みたいな性格じゃなくて、内気で陰気な魔術師だった。魔術だけがオトモダチの……」


 懐かしそうに目を細め、杖を撫でるリリス。


「そんなあたしが、見た目も性格もカワイイお姫様な聖女ちゃんに敵うわけがないわよね?でもいいの。フッ切れて、腹いせに王宮の男を食い荒らしてやったわ♡」


「…………」


「あーあ!あのときは楽しかったなぁ!周りなんて気にしないで自由に振る舞うってなんて素敵なんだろうって!世界が三百六十度回っちゃった感じ。弱冠十うん歳にして、真理を掴んだかと思った!これが魔術の極みか、根源への到達か、って!」


 ふふふ、と楽しそうに笑うリリスに後悔の色はない。

 俺はその笑みに応えるように笑った。


「僕は、陰気な魔術師よりも、今のあなたの方が好きですよ?たとえそのせいで王宮からつまみ出されたのだとしても」


「ふふっ。そう言ってくれると思ったわ♡やっぱり優しいのね?だからかしら?柄にもなくこんな昔話をしちゃうなんて。らしくない……」


「らしいか、らしくないかの問題ではありません。話したいか、そうでないかの問題です」


「そうね……」


 穏やかに呟くリリスに、俺は礼を述べる。


「ありがとうございます。おかげで少し落ち着きました。『らしくない』昔話をさせて申し訳ありません」


「いいのよ?あたしも、誰かに聞いて欲しかったのかもしれないしね♡特にこんな、陰謀渦巻く深い夜には――」


「ふふっ。最終決戦前夜にも、英雄とこうして話をしたのですか?」


 からかうように尋ねると、リリスは可笑しそうに笑った。


「まっさかぁ!彼は……あいつは……あの子のところに行ったのよ……」


「リリス……」


「でもいいの!おかげであたしはこうして自由を手に入れた!むしゃくしゃして、八つ当たりするみたいに魔術にのめり込んで。そのおかげでモニカみたいなイイ友達に出会って。こうして宰相君を助けてあげることができる。だから、後悔なんてひとつもないわ♡」


(東の英雄もバカだな。こんなイイ女を放っておくなんて……)


 俺は小さくため息を零してリリスに向き直る。


「頼りになる魔術師に恵まれて、僕は幸せ者だ。ところでリリス、あなたの使える魔術の中に幻覚を扱うものはありますか?もしくは、記憶を操作し、歪ませる類の術は――」


 その問いに、リリスは自信たっぷりの笑みを浮かべた。


「ふふっ……あるに決まってるでしょ?あたしを誰だと思ってるの?元・勇者のパーティメンバー、魔王を殺した東の魔女……リリス様よ♡」

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