EP.32 この世で最も強く尊い――それは愛ではなく、溺愛。
この『忘れ物をしたような世界』から出ろと言われ、俺とライラはひとまず、この世界にあるという不可解な点を探すこととなった。ここ数日の出来事といえば、朝起きて、ライラと一緒に学校に行って、授業を受けて――思い返せば返すほど、おかしな点など見当たらない。それこそ、可笑しなくらいにな。
俺はラブホからの帰り道、警官に補導されないように人目につかない路地を選んで歓楽街を移動する。ここが夢なのか、術者であるミントのせいで現実に誤って紛れ込んだのかがわからないうちは、警察のお世話になって母さん達に迷惑をかけるわけにはいかないからだ。そういう意味では、制服姿の高校生がラブホから出てくるところを見られるわけにはいかない。
俺は見慣れないネオンの輝きにふわふわと目をくらませるライラに話かける。
「ライラ? この世界のおかしな点に心当たりは? それがわかればこの世界から出て、冥界で戦っている皆の元に加勢に行ける。そして、俺達をハメた憎き『女王の愛人』に制裁を――」
「ユウヤ、あれ!」
「?」
不意にぐん、と引かれた手。
何か手がかりを掴んだのかと、期待した俺がバカだった。
「見たことのないタピオカ屋さんがある!」
「おい、帰る気あるのか?」
「ねぇねぇ、一杯だけ! タピオカミルクティーをユウヤと分けっこしたら、きちんと考えるから! ねぇお願い!」
「はぁ、わかったよ……お小遣いなら父さんに貰ってるだろう? 待っててやるから、買ってきな?」
きらきらとした笑顔に絆されてそう答えると、ライラは何故かむすっと頬を膨らませる。
「それじゃあダメなの! 私はユウヤと分けたいんです! ひとつのタピを! ふたりで飲みたいの! どうしてわからないの!?」
「う……」
だって、そんなんバカップルみたいで恥ずかしいじゃないか。
せっかく離れのベンチでそれとなくやり過ごそうと思っていたのに。伊達に長い付き合いではない。俺の目論見など、ライラにはとうにバレていた。
ため息を吐いてついていくと、ライラはご満悦な表情でタピを買う。そうやって高校生らしい放課後を過ごしながら、俺達は一旦帰宅することにした。
るんるんとストローに口をつけるライラに手を引かれながら歩く緑道。
思い返せば、俺はこの緑道で小さな子供にぶつかられ、川に転落して異世界に迷いこんだのだった。
「懐かしいな……」
ふいに呟くと、ふわりと風に乗って涼やかな香りが鼻に届く。
(ん……? 野草のハーブか? 春でもないのに、こんなに香りの強い……)
不思議に思って立ち止まると、ライラも同様に立ち止まっていた。ミルクティーをちゅるちゅるしながら、視線をぽけ~っと遠くに向けている。
「どうかした?」
問いかけると、ライラはストローから口を離してこくりと頷く。
「あっちに、男の子がいたような気がしたんだけど……」
「こんな時間に子ども? まだそんなに暗くないとはいえ、もう十九時だ。さすがに家に帰らないと危な――」
ライラも同じことを考えていたのか、繋いだ手を離すと、とてとてと少年の元に駆けていく。
しかし、ライラが辿り着いたときには、そこには既に少年はいなかった。
「お家に帰ったのかしら……? さっきまで、確かにここにいたのに……」
「…………」
俺はその言葉に眉を顰める。
(なんだ? この空間の違和感は……)
朝も感じた、なんだか『忘れ物をしているような』……
「まさか、あの少年……ミントなのか? 俺達をこの世界に閉じ込めた――だとしたら、姿を隠して俺達を監視している?」
「たしかに、リリスさんも『見つかったら追い出される』って言ってたものね? でも、それならどうやってこの世界から出ればいいの? あの子、見つけてもすぐに逃げちゃうわよね? 今みたいに」
「そうだな。思えば、冥界で出合い頭に住居をもろとも破壊したときも、一目散に逃げていった。まるで、『負けなければ勝ち』みたいなやり口だ。小賢しい……」
思わず舌打ちしながら視線を落とすと、緑道の脇に花が咲いているのが目に映る。小さな鈴を垂らしたような、白いすずらんの花が。夕暮れにぼんやりとそのシルエットを光らせて――
「ん……? すずらんって、こんなに光るものだったか? それに、この香り……ここまで匂わないだろ、すずらんは」
ウチでは母さんが趣味でガーデニングをするので、俺は植物にはそれなりに詳しい。母さんの手伝いをしながら庭に花を植えては、季節になって咲く姿を楽しみ、幼い頃は『将来は花屋さんになりたいな』なんて、可愛らしいことを口にしたものだ。幼稚園の頃だったろうか。それが今では『悪の宰相』だからな。どうしてこうなった。
花を愛する心は未だ忘れていないが、俺はその『違和感の塊』を遠慮なく引っこ抜いた。こんな単純な罠に引っかかたうえに、気が付かなかった己の浅はかさを恥じながら、八つ当たりをするように。
「花に罪はない、が――!」
ブチィッ……!
俺がその『光るすずらん』を引き抜いた瞬間――
「みぎゃああああっ……!!」
マンドラゴラ顔負けの叫び声が、ひと気のない緑道にこだまする。
「何ッ!? なんなの!?」
叫び声の主はどこかと周囲を見渡すライラ。俺も声の方を追って緑道の川向いに駆ける。手近にあったすずらんの花を、もう一本引き抜いて。
「うぎゃあああ……!」
「そこかっ……!」
「あ、あうっ……!」
俺は頭部を抑えながら涙目になる
「お前っ……! よくも俺達を嵌めてくれたな!」
「ぎゃああ! やめろ! 花だって生きているんだぞ!?」
「へぇ……? コレ、お前の頭皮と痛覚が繋がっているのか。道理で匂うわけだよ。クク……!」
ブチィッ……!
「あぎゃぁ! 植物を虐待するのはやめろ! ハデスたんに言いつけるぞ!」
「ククク……! ヒモがヒモらしく女の権力に縋りやがって……俺とライラを陥れた罪、その身でとくと味わえ……!」
ブチィッ……!
「ひぎゃあ……!」
「ほら、どうした? 助けを呼ばないのか? それとも、来てくれないのかな? 愛しいハーデス閣下は、愛人を助けに来てはくれない、と? いや、それどころじゃないのかも……?」
「……!?」
「だって、ハーデス閣下なら今頃、魔王と勇者と裏切りの死神相手に苦戦を強いられている頃だろうからなぁ!」
「ハデスたん!」
女王の危機に、愛人の目の色が変わる。
どうやらそこには、確かに愛があったようだ。
「お前ら、よくもハデスたんに謀反なんて……!! あの子は、人に裏切られるのが一番嫌いなんだよ! 本当は、さみしがりで甘えん坊な、優しい子なんだ! くそっ、やれるものならやってみろ! いくら毟られても、僕はお前たちをここから出さない!! ここでくたばれ!」
「へぇ……?」
ブチィッ……!
「ふぐっ……!?」
その鈍い悲鳴を聞いて、ライラが駆けつけてきた。
「ユウヤ!? 絵面がひどいわよ!? その顔と台詞、どう見ても悪い人……!」
「いいんですよ、僕は悪の宰相なんですから。そうさせたのは、ライラ様でしょう?」
「急に宰相モードにならないで!? それについては、ちょこっと悪かったなぁと思ってるけど!」
「別に、ライラ様が悪いわけではありません。ライラ様はあくまで僕が宰相になるきっかけを与えただけで、生き残るためにその手をとり、『悪の宰相』となるのを選んだのは僕なのですから。それに、僕はこの選択に後悔なんて微塵もしていませんし、今だって、楽しいですよ……?」
ブチィッ……!
「ふみぎゃあ……!?」
絶え間なく続く俺の拷問に痺れを切らしたミントは、ライラにキッ!と向き直ると、両手をかかげた。
「その子が、お前の大事な子だな……!?」
「なっ――待て! 何をする!? ライラ様には手を出すな!」
「知るか! 大事な子と離れ離れになる気持ち……その絶望を、お前にも味わわせてやるよ!!」
「開け冥界の夢見扉!!――【
ミントが唱えると、次の瞬間――
「えっ――?」
ライラの足元の花がぼんやりと光を灯し、瞬く間にその光がライラの姿を包み込んで消し去った。俺は思わずミントに馬乗りになり、直接殴りかかる。
「ふざけっ――!! 貴様、ライラ様をどこにやった!!」
「はははっ! 殴るなら好きにしろ! いくら殴られたって、僕にはハデスたんの【再生の加護】がある! 道端に咲く野草の如く、何度でも何度でも。踏まれたって萎れたって、あの子には会わせてやらないよ!!」
「くそっ……! このヒモ男め!」
バキッ! ゴスッ!
「痛っ! 痛い! くそぉ! そんなことしたって、あの子はもう冥界に送り返したんだ、手遅れさ! お前は僕と、一生ここで夢を見てくたばるんだよ!! ハデスたんが僕を助けに来るまでなぁ!! そしたらお前は、僕を殴った回数と同じだけ殴られて死ね!」
そんな、男と夢の狭間で心中なんて、死んでもごめんだ。俺はライラとの輝かしいリア充ライフを、つい先日始めたばっかりなのに。
「このっ、よくも――!」
思わず拳を振りかぶるも、俺は『あること』を思いついて、不意に手を止める。
(待てよ……? ライラは『冥界に送り返された』? それって、ライラがこいつのせいでピンチになったんじゃなくて、『俺がこっちに取り残されて』ピンチになってるってことなんじゃないか?)
その考えに、俺の口元はにやりと歪んだ。
俺を想い、俺がピンチになればなるほど、ライラの力は増していく。
それがライラのスキル【溺愛】だ。
(だったら……)
俺は天高く、どこまでも届くように声をあげた。
この胸いっぱいの、『愛』を込めて。
「ライラ様……! 助けてください! 僕は、ここにいます!!」
「……!?」
「さぁ……!」
天に向かって、まるで神に祈るような仕草で手を伸ばす。
しかし、俺にとっての女神など、この世にひとりしか存在しえない。
(おいで、ライラ……!)
そう、想いを込めた瞬間。天がガラスを砕いたように割れ、雲を裂いて、稲妻の如き一筋の光条が降り注いだ。
――ドォオオオンッ……!
「ユウヤ……! やっと見つけた!!」
泣きべそを拭いながら、天からふわりと俺に手を差し伸べるライラ。
「もう! どこに行っちゃったのかと思いましたよ!」
「ふふふ……」
「バカ、な……! 僕の【
俺は慌てふためくミントの喉元に、ライラが手にした槍の刃先を突きつける。
「この槍は、ライラ様の愛の結晶――【
「は――?」
信じられない、といった表情のミントに、俺はにやりとほくそ笑みながら付け加えた。
「そして――最強の槍だ」
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