第10話 悪の宰相は暗殺者を手中におさめる


 ライラを膝に乗せてなだめること数十分。ぷくーっとした膨れっ面がなおった頃を見計らってそろりと声をかける。ライラの好きな、優しめ低めトーンのイケボで。


「ライラ様?何度も言っているように、僕にはライラ様しかいません。だからそんな顔なさらないでください。可愛いお顔が台無しですよ?」


「むむむ……ユウヤはそうやってまた――」


 ぎくっ。


(丸め込もうとしていることがバレている?少しやり過ぎたか?もう同じ手は――)


 内心どきどきしていると、ライラはため息を吐いた。うんざりしたものでなく、うっとりするようなため息を。そして、頬を染めながら呟く。


「甘い台詞をためらいもなく……♡」


(………)


「……好き♡」


(――通じるみたいだな……)


 ああ、『溺愛』ってこういうことを言うのか。溺れて周りが見えてない………

 安心なような不安なような何とも言えない心地だ。だが、今は都合がいい。

 ――と、思いきや。


「でも!それはそれ、これはこれです!私の知らない間に他の子とイチャつくなんて……!やっぱりダメです!」


 ……怒られた。

 だから誤解だって。と言ったところでこれっぽっちも耳には入らないんだろう。

 俺はイケボでゴリ押すことにした。


「ああ、そんな妬きもちを妬いて下さるところも愛らしいですよ?ただ、眉間にしわを寄せてはいけません。ほら、笑って?」


 未だに若干不機嫌そうな口角を指で無理やり押し上げると、ライラの顔はハムスターのように頬っぺたがもちゃっとした。これはこれでなんだかブサ可愛い。思わず吹き出しそうになっていると、向かいのシートでグレルがくぐもった声を出す。


「ううう……」


「どうしました?」


 またやり過ぎたのかと視線を向けると、突如として悲鳴を上げるリリス。


「ちょっとヤダぁ!痛いってば!甘噛みならいいけどそれはガチ嚙みでしょぉ!?離しなさいよぉ!」


「グレル!?何してる!」


 リリスの腕に噛みつくグレルを引き剥がし、押さえつけて瞳孔を確認する。


「焦点が合っていない……酷い興奮状態だな。リリス、催眠術は使えますか?」


「使えるけど……それじゃあ、起きる度に使うハメになるわよ?そんなことしてたら本部に着くまでにマナが切れちゃうわ」


「マナ……MPか……」


「何ソレ?」


「いえ、こっちの話です。お気になさらず」


「異界の単語?」


「はい。こっちの世界で言うところのマナ……精神力のようなものでしたか?」


「てゆーか集中力とか諸々もろもろね。一言では表わせないわ。で、どうするの?」


 押さえつけたままのグレルに視線を落とすと、さっきまでとは一変。萎れた獣のように背を丸めてうずくまる。そして一言、力なく呟いた。


「おなかすいた……」


 焦点の合っていない目で、ぼんやりと虚空を見つめている。


(禁断症状か……薬を与えるか、鎮まるまで拘束するか……)


 もとより、拘束以外の選択肢は無い。だが、このまま本部の裁判が終わるまで馬車に拘束しておくのもリスキィだ。極限に達したときに何をしでかすかわからない。

 眉間にしわを寄せて悩んでいると、リリスの腕を治療したライラがひょこりと覗き込んできた。


「ユウヤ?その子、お腹がすいたの?」


「いえ。グレルの場合、純粋に空腹という意味ではなくてですね……」


「可哀相に。お腹が空くとさみしい気持ちになるものね?ほら、私のおやつあげるから元気だして?」


 ライラはやはり、人の話を聞かない。手提げの中から小さな包みを取り出すとグレルの目の前にクッキーを差し出す。


「ううう……」


 警戒心剥き出しで唸るグレル。危ないので離れるように指摘しようとしたところ、ライラは不意にその背をさすり始めた。


「こわくない、こわくない。あまーいクッキーを食べたら、きっと心も満たされるわ?――はい」


「ちょ、ライラ様。そうじゃなくて……」


 やはりライラは人の話を聞かない。グレルの口におもむろにクッキーを詰め込むと、何も言わずに静かに見守る。しばらくすると、頭を撫でるその手から緑の波長のようなものが出始めた。


(これは……)


「ライラ様……まさか『おまじない』を……?」


「はい。なんだか寂しい目をしてたから、つい放っておけなくて。でも、もう大丈夫みたいね?」


 にこっと笑みを向けたライラの視線の先では、自我を取り戻したグレルが呆然とした表情でクッキーを咀嚼していた。


「なっ――」


「……美味しい?」


 ライラが微笑むと、グレルはおずおずと頷く。そして、『理解できない』といったように口を開いた。


「ど、どうして?どうして苦しいのが治まったの?あなた、何したの?」


「いいえ、何も。ただ、クッキーに『美味しくなぁれ♡』って想いを込めたのよ?」


 まるでなんでもないようにふふっと笑うライラに、その場にいた全員が唖然とするばかり。だが、ライラは素でこれだから恐ろし――いや、。そのスペックと優しい心はまさに聖女。俺は勝利を確信しながら告げた。


「グレル。これであなたはマスターを庇う必要は無くなりました。洗いざらい吐けば、これからもライラ様のクッキーを食べさせてあげてもいいですよ?」


「――っ!」


「年上のメイドに鼻の下を伸ばすマスターと可愛い優しいライラ様。どちらにくみするべきか、賢いあなたならもうお分かりでしょう?」


 挑発するようにくすり、と笑うとグレルは真剣な面持ちで顔を上げた。綺麗な銀と蒼の瞳で、まっすぐにライラを見据える。


「聖女様……これからも、私にクッキーをくれますか?」


「はい、もちろん♡西の教会に帰ったら、一緒に作りましょうね?」


「……っ!」


「おやつが好きな子に悪い子はいません。よろしくね、グレル?」


「はいっ……!」


 元気な返事と共に、銀の瞳がぱあっと輝いた。

 こうしてグレルは『薬物中毒者ドラッグアディクト』から『ライラ様の菓子中毒者ライラスイーツアディクト』にジョブチェンジしたのだった。

 後に彼女が『ライラ様中毒者ライラアディクト』となることは、このとき誰にもわからなかった――


      ◇


 それからグレルは、今までの必死の抵抗がまるで噓のように洗いざらい全て吐いた。マスターの名前に潜伏先、屋敷にどの程度の従者がいるのか、マスターはいつ在宅でどの時間が手薄なのか、護衛は連れているのかいないのか。呆気なく思えるほどにみるみる明るみにでる暗殺の首謀者。

 犯人は想定通りと言うべきか、タバコの輸入関税の件で直談判してきた貿易商の男だった。『タバコなんて今どき流行らない』と一蹴したのを根に持っていたようだ。

 その話を聞いて、憤りを露わにするライラ。『ユウヤを暗殺しようだなんて、天誅です!』と息巻いては『神聖魔法は帰ったら』と俺になだめられる。


(帰ったら、全ての片をつけてやる……!)


 決意を胸に秘めたまま、俺はシートに横になった。気が付けばもう空が白むような時間になってしまっていたが、定刻になれば馬車は勝手に動き出す。森に火を放ったことや馬車の内部で騒ぎ立てたことに関しての記憶を封印するように、リリスが御者に暗示をかけたからだ。

 無論、森に放った火も消した。元よりリリスの使役する炎。発火も鎮火も自由自在というわけだ。我ながら強いカードを引き当てたものだと、自分の幸運を褒めてやりたい気持ちになる。

 俺はライラに膝枕されるようにして寝息を立てるグレルに視線を向けた。


(こいつも街の治安の悪さの被害者のひとり……改善するには、少々大きな構造改革が必要になるか?薬物の密輸に関して経済産業大臣に責を問うて、厚生労働省に薬物中毒者への支援と更生のための薬の開発を――)


 そんなことを考えているうちに、俺はいつしか眠りについていた。大幅な構造改革を進めることによって、また黒い噂が追加されることなど気づきもせずに。


 人は後に語る。

 悪の宰相が意のままにならない大臣を失脚させ、行政を牛耳ろうとしているのだ、と――

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