第3話 悪の宰相は錬金術師と密談する
午前の執務を見届けた俺は、教会の食堂からランチを取り寄せて部屋で昼食を済ませた。
ライラは俺に溺れ切っている為、極力ふたりきりで過ごす時間が多いのを好む。そんな聖女様のわがままを叶えてあげるのも、宰相の――というより、俺の仕事だった。
ふたり分の空になった食器を下げて、俺はクローゼットに向かう。
「では、午後は半休をいただいてますので、少し出かけてきます」
外出用のカジュアル目なジャケットに袖を通していると、ソファでくつろいでいたライラが不満の声を出す。
「え~!私も行きます!ついていきます!」
「何処へ行くかも知らないのに、ですか?」
「ユウヤの行くところならどこでも!それに、口調は直してって言ったでしょ?」
「仕方ないでしょう、もうこっちの方が慣れてしまったんですから。それに、ライラ様と一緒に出かけては僕が半休になりません。意味わかります?半休。宰相の仕事はお休みって意味ですよ?」
「う~……さみしいわ……」
ライラはとてとて、とこちらに寄ってきては通したばかりの袖をぎゅうっと握った。だが、こんな小動物的仕草にほだされているようでは宰相の名が廃る。
俺はその手をそっとどけて襟を正した。そして、ライラの顎にそっと手を添えて軽く口づける。
――ちゅ。
「――っ!」
ライラは驚いたように目を丸くして黙った。うっとりと目を細めて、綺麗な瞳の奥からじぃっとこちらを見つめ返す。
これだけで、さっきまでとやかく言っていたことをまるっと忘れてしまうのだから、ライラの溺れっぷりも中々に極まっている。
こないだまで童貞だった俺がなんでこんなに手馴れているのかって?そりゃあ数か月もこんな甘えたベタベタ聖女様と寝食共にしてたら、誰だってこうなるわ。
唇を離した俺は、そのまま笑顔を向けた。
「では行ってきます。ライラ様?午後は先程出した宿題をきちんと片付けておいてくださいね?魔術師組合からの新たな基金創設の件です。出資金と初期投資についてお考え下さい。出していただけるなら、聖女名義でも個人名義でも構わないとのことです」
「わかったわ。ねぇ、ユウヤはどう思う?その基金……」
「どう、と言われましても。我らが西方は騎士団が優秀な分、魔術云々に関しては他の聖女領に後れを取っています。ライラ様の治癒魔法もそうですが、魔術や魔法はその存在だけで破格の力を持っていますので……」
実際、あんなものが俺のいた世界にあったら、戦争は魔法頼みになるだろうからな。核兵器並みの爆発を防ぐバリアとか、なんだよアレ。反則だろ。
しかも、属性相性のいかんによってはそのバリアすら貫く術があるとか。バランスブレイカーも甚だしい。
それに、俺の傷を一瞬で癒した治癒魔法。さすがにあのレベルはライラくらいにしか扱えないが、もし他にも使える者がいれば、それだけで病院なんて要らなくなる。
そんなこんなで、俺は結構『魔術推進派』だった。
上目がちに俺の顔色をうかがうライラに声を掛ける。
「僕は“アリ”だと思いますよ?優秀な魔術師はきちんと守って育成するべきです。騎士団にばかり頼っていては、ライラ様に何かあったときに士気が下がってどうしようもない……なんてことになりかねないかと」
「そ、それもそうね……」
実際、ライラが俺にベタベタするようになってから、騎士団の男どもは仕事に熱が入らないようだった。まぁ、仕方ないと言えば仕方ないだろう。
それまでは、あんな男だらけのむさ苦しい空間で紅一点とも言える可愛い聖女様に褒められたい一心で仕事している連中も多かったんだ。
それが、ポッと出の俺みたいな小僧に寝取られた(公表はしていないので疑惑)とあっては仕事に身が入らなくなるのも無理はない。
そんな俺の意図を理解したのか、しないのか。ライラは大きく首を縦に振った。
「わかったわ。基金創設にお金を出しましょう」
「僕としても、それは嬉しいですね」
だって、魔術師とかなんかカッコイイだろ?味方してやりたくなるってもんだ。
「では、今度こそ行ってきます。僕が戻るまでイイ子にしててくださいね?」
「うん……!できるだけ早く帰ってきてね?約束よ?」
「ええ。善処します」
俺は微笑んで、街のご意見番と呼ばれる錬金術師の工房へと足を運んだ。
◇
「ごめんください。午後に約束を取り付けていた
工房に入ると、薄暗くて書物に囲まれた部屋の中から青い髪の幼女がひょっこりと顔を出す。
「おお、キサラギ宰相殿。少しそこで待っておれ。今、場所を開けるからの……」
幼女は高めのアニメ声でそう言うと、机の上の書物をバサッと床に落とした。落ちた拍子に部屋中に埃が舞い、得体の知れない標本が入った小瓶が転がり出てくる。
(相変わらず、“いかにも”って感じの館だな……)
俺は案内されるままに幼女の向かいに腰掛けた。
小瓶を拾い上げてパタパタと服を払うと、幼女は椅子にちょこんと座り直す。
「お久しぶりだの、宰相殿?直接会うのはライラの傍付きになったと、挨拶に来て以来か。なんだか随分と雰囲気が変わったように思うが?」
「普段は手紙でのやり取りがほとんどですからね。その節は、お世話になりました」
「お世話も何も。ただ、街の魔術師組合や職人組合に手紙を一筆。顔を広めてやっただけじゃから。朝飯前じゃよ」
「その錬金術師殿直筆のお手紙が、大変ありがたかったのですよ。あなたは街のご意見番。この街では誰もが信頼するご長寿なのですから」
そう。この見た目でな。
にこりと微笑むと、錬金術師はムスっと頬を膨らませる。
その表情はまるで駄々っ子な幼稚園児だが、変な秘薬でも飲んでいるんだろう。
実際の年齢は三桁という噂だ。
「そういう宰相殿は、案外デリカシーが無いのかの?女に歳の話をするなんて。ライラのあの様子からするに、レディの扱いには慣れているものだと思っていたのじゃが?儂のことは、可愛く『モニカちゃん♡』と呼んでくれ?」
「はは。とんだ誤解ですよ、メタモニカ様。僕はただの異邦のはぐれ少年です。宰相という肩書はライラ様の恩情により賜ったもの。慣れているだなんて、根も葉もない噂ですよ?」
「それにしては、随分とたらし込んでいるそうじゃないか?」
「ライラ様が、ひとりでお熱くなっているだけです。あれには僕も手を焼いているんですよ?」
「ほう……?」
「モニカ様のお耳にまでそんな噂が?一体どんな人間だと思われているのですか、僕は」
困ったようにくすり、と笑うとモニカちゃんは虚空を指差しながら口を開く。
「そうじゃな~。夜な夜な聖女を喜ばせては巧いこと言うことを聞かせておるとか、聖女の預金を使い込んでいるヒモだとか、そうやってこの街の権力を握ろうとする悪の宰相だとか……?」
「…………」
酷い言われよう。
そして、半分アタリで、半分ハズレ。
(SNSも無いのに、大した情報網だな。中世の噂、侮れない……)
「それで、モニカ様の目から見て、僕はそのように見えると?」
「いんや。儂からすれば、宰相殿は年の割に頑張って仕事をしているだけの少年じゃ。それに、金銭の使い道も、大抵は儂の工房や魔術師の工房、雑貨屋などで買い物しているだけだと、知っておるからの。買うものは、ちと変わったものばかりで何に使うかわからない、と聞いておるが……薄い、皮膜のようなゴム製品とかいったか?」
「…………」
アレは予備な。手持ちのが無くなったときの。
ほんと、罰ゲームでドラッグストアの棚にある分買い占める、なんてさせられてなければ、今頃在庫が尽きていたところだ。
それにしても……
(買い物の内容を把握されている?まったく。異世界には顧客の個人情報を守るっていう概念が存在しないのか?これじゃあ、プライバシーの法整備をするまでに俺は爺さんになってくたばるってもんだ)
ため息を吐きながら、俺は問いかける。
「それがわかっていながら、擁護はしていただけないと?」
「錬金術師を動かすのに、タダでは済むと思っていまい?」
幼女は『ふふっ』とおよそ似つかわしくない笑みを浮かべると一枚の紙を差し出してきた。
「情報操作が必要ならこれくらい。街の外、中、特定集団のみ……用法と用量によって金額は都度異なる。どれをご所望かな?」
「はぁ……これだから僕の給料じゃ足りなくてライラ様にお小遣いをいただくハメになるんですよ?あなたのところは良い薬や情報が手に入りますが、金額の設定にはいささか問題があるのでは?」
「ふふふ!こちらこそ、毎度世話になるのぉ!」
くすくすと、まるで口いっぱいにお菓子でも頬張ったみたいに両頬を抑えてほくそ笑む。
「まぁいいです。今後とも贔屓にさせていただきますよ。だから、今回の依頼は少しオマケしてくださいね?」
「ほう?直々に赴いてくるのは珍しいと思ったが、今日はどんな依頼なのじゃ?」
俺は、机に乗り出してくるモニカちゃんに書状を見せた。
ブラックレターでなく、不信任裁判への出廷命令の方だ。
「流石にわかるとは思いますが、この件は内密に。そして、中央教会本部、裁判所までの道中を護衛していただける者を紹介していただきたいのです」
「護衛?聖女騎士団の者では不足なのか?」
「それが、聖女騎士団や教会内部に聖女様をよく思っていない勢力がいるらしいのです」
良く思われていないのは、俺だが。
「今も昔も、ある程度の規模の組織であれば仕方のないこと。しかし、残念ながら僕には内部の誰が信頼できて誰ができないのかがわからない。そこで、完全に部外者である第三者の方を雇いたいというわけです」
「金の力で、信用を買うと?」
「ええ。ライラ様の命には、替えられませんので」
「ふむ。しかし、“あの”ゆるっとしたライラが内部に敵を作るなんて、にわかには信じがたいが……まぁ、このご時世だしの。心得た。数日中に見繕った猛者を送ろう」
こくりと頷いて、護衛の条件などをヒアリングする用紙を取り出すモニカちゃん。
「ありがとうございます、モニカ様。それで、本日はそれ以外にも個人的なお願いがありまして……」
「ほう?」
首を傾げるモニカちゃんに、俺は小瓶を差し出した。
「この魔法の粉……成分を解析して増産することは可能ですか?」
「ほう!なんなのじゃ?見たこと無い赤い小瓶じゃ!」
興味津々で身を乗り出すモニカちゃん。
噂によれば、うまみ成分の塊だとしか。具体的な言葉など思いつかない。
「詳しい成分はわかりませんが、食用の粉です。高名な錬金術師であるモニカ様なら、本業である物質の錬成……造作も無いでしょう?」
くすり、と挑発するように微笑むと、モニカちゃんのやる気は目に見えて増した。
「ほほーう!言ってくれるではないか、宰相殿!任せておけ!稀代の天才錬金術師メタモニカの崇高なる錬金の奇蹟、とくとご覧に入れよう!」
「頼りにしています、モニカ様。出来上がったものは後日僕とライラ様の部屋まで送ってください。そんな大それた貴重品ではありませんので」
俺の話を聞いているのかいないのか。
モニカちゃんは未知の物質のことで頭がいっぱいなようだ。
「ふふふ!やはり異邦の者は素晴らしいな、宰相殿!こうも儂をわくわくさせてくれるとは。これからも贔屓に頼むぞ!」
「ええ。それはこちらの台詞です。また何かあれば伺いますので。ああ、引き続き『異世界への帰り方』の調査、お願いしますね?」
「任せておけい!」
俺はモニカちゃんがしたためた護衛依頼の見積書を手にすると、館を後にした。
「ちょっと値は張るが……まぁ、これでもオマケしてくれた方か?」
背中を預けていいような悪いような、不思議な縁に感謝しながら俺は教会への帰路につく。
道中のこじんまりとしたパティスリーが美味しそうなスイーツの新作を出しているのを見かけて、ライラへの手土産にそれらを購入した。無論、経費で。
「あのパティスリー、接客も良いしケーキはどれも美味しそうだった。見た目もきれいで、ライラが好きそうだな。今度連れてこよう」
俺はスイーツの入った小箱を手に、鼻歌交じりでパティスリーを出る。
このとき、俺はまだ知らなかった。
後にこのパティスリーが『聖女様御用達』として大繁盛店になることを。
そして――
後日、俺の噂に
『悪の宰相が錬金術師と結託して怪しい白い粉を蔓延させようとしている』
という尾ひれが付く、ということを――
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