第2話 悪の宰相と呼ばれた日


 俺がライラの治める『聖女教会・西方支部』で住み込みの宰相を始めてから数か月が経った。俺はいつものように隣で眠るライラよりも早く起床し、身支度を整えて二人分の朝食を用意する。

 『聖女様のお部屋♡』と書かれたこの部屋は備え付けのキッチンまである、いわゆるコンドミニアムのような作りになっている為、ライラと俺は公私関係なく四六時中一緒にいる、というわけだ。


 齢十七にして美少女と同棲、と言えば聞こえはいいが、傍付き宰相の仕事は思ったよりも多かった。

 朝食の支度にお茶の用意。聖女としての執務の管理からスケジュール調整、謁見希望者のリストアップに提言。執事のようなことから宰相本来の仕事まで。それこそなんでもさせられた。勿論、夜のお相手も。


「全く……なんで俺がお前のスケジュールから生理周期まで完全に把握しなくちゃいけないんだよ…………おっと――」


(口調がつい『俺』に戻ってしまった……いけない、いけない)


 宰相になってからというもの、どうにも"それらしくない"気がして『俺』ではなく『僕』に口調を改めた。『私』でもよかったが、年若い俺が使うとどうにも胡散臭くなってしまう。そこで、普段から一人称を『僕』に切り替えることにしたのだ。

 だが、ふとした拍子にまだ出てしまうことがある。気を付けないといけない。


 朝食の目玉焼きに味の素をかけながら愚痴をこぼしていると、寝室からもそもそとライラが起きてきた。


「おはようございます……ユウヤ……」


 寝ぼけまなこをこすり、とぼとぼと近づいてきてはキッチンに立つ俺の背中にぎゅうっとしがみついて顔を擦り付けてくる。

 背中越しでもふわふわとした髪と身体の感触が伝わり、なんともいえずこそばゆい。


「おはようございます、ライラ様。危ないのでキッチンにいるときは離れてください?」


「ん~……イヤ……可愛がって、ください……」


 すりすり。


(はー……朝から甘えたモード全開。もう慣れたけど、仕事中はやめて欲しいんだよな、まったく……)


「昨晩もちゃんと可愛がってあげたでしょう?」


「そ、そういう可愛がりじゃないです……////」


「じゃあどういう――」


「んん……ふぁ……」


「話、聞いてます?まだ眠いのなら、ギリギリまで寝ては?」


「イヤです。ユウヤと朝ごはんが食べたいから……」


「そうですか」


(はいはい、わかりました。わかりましたよ……)


 猫でもあやすようにこしょこしょと顎下を撫でると、ライラは心地よさそうに目を細める。


(こうしてみると普通に可愛いんだけど……ちょっとベタベタすぎるんだよなぁ。糖分過多ってやつ?)


 見ての通り、ライラは朝から晩まで俺にべったりだ。

 結局、勇者(仮)である俺と結ばれたというのにそれらしい奇蹟も授かっていない。当たり前だ。俺は勇者じゃないんだから。

 だが、ライラは未だに伝承を信じているのか俺といることをやめない。教会に置いて貰えるのはありがたいから構わないのだが、機嫌の悪い時にこれをやられると思わず素っ気なくしてしまいそうになる。


 俺は、ライラにはできるだけ冷たく接しないように注意していた。だって、全力で愛されなければ、この世界では生き残れないから。

 そう決めて、できるだけライラとはウィンウィンな関係でいられるように昼も夜も努めてきたつもりだ。実際、ライラは俺を溺れるように愛しているし、俺もそれがまんざらでもない。

 チート無しで転移したにしては、ここまでうまく立ち回れていれば上出来だろう。


 美少女の機嫌を取って、飴と鞭を使い分け、尽くし尽くされ――

 そんなこんなで、俺は結構充実した日々を送っていた。

 だが、教会内には能力の無い異邦者である俺の存在を煙たがる者も少なくない。

 異世界の居心地は、チート能力でサクセスストーリーを繰り広げてきた本物の勇者達のソレとは大きく異なっていた。だから、俺はこうしてライラと暮らしながら元の世界への戻り方を探しているというわけだ。


 俺は用意できた朝食をトレーに乗せてライラを食卓へ促す。


「今日の朝食は目玉焼きと白ごはん、味噌スープでございます」


「まぁ!ユウヤの故郷の味、和食ね?ユウヤの作る和食はとても美味しいから好き!」


 両手を合わせて『ふふっ』と微笑むライラに、『味の素をかければなんでも美味くなる』とは言えない。味の素――このうまみ成分を凝縮した魔法の粉があるおかげで、俺の料理の腕前は聖女様お墨付きとなっていた。


(母さんの買い物リストに感謝だな……)


 ランチやディナーのように教会専属のシェフに作ってもらうという手がないわけではないが、如何せん聖女様は俺の手料理をご所望だ。故に朝食の支度は俺の仕事だった。それには、あの魔法の粉が欠かせない。

 しかし、この魔法の粉もあと残りわずか。何か手を打たねばならないだろう。

 その前に――


「ライラ様、席に着く前にお顔を洗ってきては?お肌の手入れも聖女様の大切なお仕事ですよ?見目麗しくない聖女に統治されたとあっては、領民もテンションガン下がりというものです」


「もう、わかってます!それより、その口調どうにかならないの?」


「と、言いますと?」


「そのよそよそしい敬語よ!いくら公私混同は仕事に支障をきたすからって、そんなに口調を変えなくても……せめて、ふたりきりのときくらい……」


「イチャコラ口調で話して欲しいと?」


「――っ!そ、そうです!悪いですかっ!?」


「はいはい、わかったよ」


 俺は真っ赤になって抗議するライラの頭を撫でた。『えへへ……』と、さも嬉しそうに身をすり寄せるライラのなんとチョロ可愛いことか。


 そんな俺達の甘いモーニングを邪魔するベルが、突如として鳴り響く。


 ――リリリリリ!


 来訪者のようだ。


「こんな朝から誰が……?ライラ様、僕が出ますので、その間に身支度を」


「わ、わかったわ!」


 俺は白シャツの襟を正して背筋を伸ばすと扉に手をかける。

 開いてみると、そこには鎧を着こんだ騎士が数名立っていた。見慣れない胸元の紋章。この街の騎士団の者ではない。


(この紋章エンブレム……中央本部か?)


 警戒しつつ口を開く。


「おはようございます。聖女様は只今身支度をしておりますので、代わりに宰相である僕が要件を伺います」


 この数か月で身に着けた歳不相応な威圧感を出しながら告げると、騎士の一人が書状を手渡してきた。


「我々は中央聖女教会本部からの使者である。今日は貴公らに不信任決議裁判への出廷を求める書状を持って参った」


(おい、今、なんて言った?)


「――不信任決議裁判?」


「そうだ。ここのところ西方の聖女が真面目な態度で執務を行っていないとの噂が広がっている。その真偽を確かめる意味でも、出廷願おうか」


「ちょ……!待ってください!聖女様は僕の手助けの元、きちんと仕事を――」


「その貴公が、問題なのだ」


「僕が?」


「詳細は書状を読めばわかる。弁明ならその時に聞こう。では、中央本部裁判所にて――」


 俺と取り合うことなく、騎士達は踵を返して去っていった。


「書状……?」


 包みを開けると、書状には確かに中央本部のエンブレムがついている。

 開けてみると、そのには目を疑うような文章が――


 ――西方聖女ライラとその宰相、ユウヤ二名に不信任決議裁判へ出廷を命じる。

主な不信任内容は以下の通りである。


一. 勤務中の態度が著しく責任感の欠如した様であること。

二. 私生活における私的感情を公務に持ち込んでいると思われること。

三. 聖女として決を下す際に、ある特定の者に対して有利な選択を行っていると思われること。

四. 聖女として与えられる賞与などの報酬のうち、常識の範囲を超えて他者に譲渡していると思われること。


などなど……


 とどのつまりは、ライラが聖女としての役割そっちのけで俺に溺れているとの指摘らしい。


(うわ……当たらずとも遠からずなご指摘で……)


 この数か月という間。ライラと俺はこの街を治める聖女と宰相として、街のさらなる発展の為に執務に励む――予定だったが、俺を溺愛し、その名の通り溺れるような生活を送ってきたライラ。

 会議中にも関わらず俺にちょこちょこ視線を送ってくるし、廊下を歩くときも腕を組みたがる。そして、決を下す際には必ず俺の意見を聞いて、宰相としての給料以外に月々の小遣いまでくれる始末。その額と頻度が、問題だったようだ。


 そして、書状の後ろにはもう一枚、小さなメモのようなものが入っていた。

 綺麗に折りたたまれた小さな紙。表面には、俺の名前が書いてある。


(俺宛の……手紙?)


 開けてみると、そこには俺への罵詈雑言が呪いの文字のように殴り書きされていた。


『聖女を惑わす異端の悪魔に鉄槌を!悪の宰相、正義の裁きを受けよ!』


「なっ――!」


 慌てて書状の入っていた包みを確認する。そこには、ほんのわずかな切れ込みがあった。おそらく、この悪口が書かれたブラックレターは後から入れられたものだろう。


(一体誰が、こんなことを……!)


 俺は手紙を握りつぶす。

 だが、すぐに思い直してそのブラックレターを畳んで胸ポケットにしまった。

 少なくとも俺は、この手紙の送り主によく思われていないようだ。この書き方、恨みのこもった筆跡。下手をすれば命を狙われていそうな圧を感じる。

 犯人に心当たりは――


「…………」


 ――ありすぎた。


(こないだ弾圧した異教の開祖か?縮小した事業のオーナー?ライラのファンクラブメンバー?それとも、実は長年ライラのことが好きだった騎士団の副団長?)


 頭の中をぐるぐると、悪い予感が渦を巻く。


「くそっ……」


「ユウヤ?どうかしたの?」


 悪態を聞きつけたライラが部屋から顔を覗かせる。俺は咄嗟にブラックレターを隠し、書状のみをライラに手渡した。


「いえ、なんでも。ライラ様、これを……」


 書状に目を通したライラの表情が、みるみるうちに変わっていく。


「そんな……!これって……!」


(やっぱ、そうなるよな……)


「こ、こんな中央まで私とユウヤのラブラブ度が伝わっているの!?ヤダ!恥ずかしい!」


「どうしてそうなるんだよ!?もっと焦ろって!?不信任裁判だぞ!さ・い・ば・ん!!」


「ふふ、怒ったユウヤも凛々しくて素敵♡」


「お前!そんなんだからこんなことになってんだぞ!わかってんのか!?」


(この、脳内お花畑ドリームガールが!)


「ええ~でもぉ~」


「でももへったくれもない!いいから仕事の支度をしろ!今日こそ真面目にやって、態度の改善を示すんだ!ついでに大臣共に媚び売って、騎士団の奴らに愛想を振りまいてこい!ハート満載なウィンクと投げキッスでな!!」


(俺の為にも、がんばってくれよ……!)


 今日は幸い、午前の執務だけで午後の予定は入っていない。

 俺は、午後の時間に街のご意見番と呼ばれる錬金術師にアポを取りつけた。

 裁判へ向かう前に、対策を練っておいた方がいいだろう。


 なんとかして、俺の暗殺ルートを回避する為に――

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