第ニ話 放課後の女王様


 都立学校の裏掲示板にあった『助けてください』という書き込み。上がっては消え、消えては上がってを繰り返すその内容は、いずれも『助けてください。女王様に殺されてしまいます』しか書いていない。

 しかし、書き込み主の名前はいつも違う者ばかりだった。それも、その高校に通うという男子高校生ばかり。噂によると、その『女王様』は異世界帰りの異能チートを使って、男子高校生を屈服させているのだとかなんとか。


 事の真相は不明だが、煙の無いところに火は起きない。俺は藁にも縋る思いでその『女王様』の元を尋ねることにした。


      ◇


「ここか……」


 そこは、全国模試でもトップに名を連ねる生徒が多く通う、都内でも有数の進学校だった。放課後の時間帯、校門付近でネットに書き込みのあった『女王様』に似た人物を待ち伏せる。だが、待てども待てども出てくるのは女子高生ばかり。書き込みによると、『女王様』はそうではないのだ。


(違う、違う……あれも違う。一体いつになったら出てくるんだ? 女王様は……)


 そう思い、下校する生徒の影がぱったりと途絶えた頃、件の裏掲示板に新しい書き込みがアップされた。


 ――『助けてください』


(……!)


 驚くのも当たり前だ。だって、まさかこの書き込みがリアルタイムに更新されていて、『今』助けを求められているなんて、誰も思わないんだから。

 だが、思い返せば、この書き込みはいつも、ネットが盛り上がるであろう夜の時間帯に一切の返信を行っていなかった。そうして、『どうかしたのか?』『どうすればいい?』などと手を差し伸べる書き込みに対しても反応が全くないまま、『誰か』に見つかって書き込みを削除されていた。


(『放課後の女王様』……まさか……!)


 今、ここで。誰かが。殺されようとしているのか?


 背筋に走る嫌な予感に促されるまま、俺は校舎の中に足を踏み入れた。


      ◇


 『助けてください』の書き込みに、思い切って返信してみる。


 ――『今どこにいる?』


 間髪入れずに書き込まれた答えは、『四階の書道室』だった。

 俺はひと気のない場所を選んで移動し、書き込みを続けつつ書道室を目指す。


 ――『ひとりか?』


 ――『今日は俺だけだ』


 ――『? 複数いる場合もあるのか?』


 ――『ああ』


 ――『女王様に、脅されているのか?』


 ――『ああ。言うことを聞かなければ、死ぬ目に遭わせると』


 ――『どういう状況だ? 女王様はそんな大層な力を持っているのか? それとも弱みでも握られているのか? どうして今書き込みをすることが許されている?』


 ――『女王様は、今はトイレに行っていて、今まで犠牲になったと思われる生徒の落書きが、書道室の壁に。URLがこのサイトで、助けを――』


 ――『どうした?』


 ――『このトピックは、削除されました』


「…………!!」


 見つかったようだ。


(間違いない。今、書道室に『女王様』がいる……!)


 俺は急いで書道室を探し、四階を走り回ってようやく隅っこの小さな部屋を見つけた。


「……書道室。ここか……」


 放課後の人が居ない時間帯。書道部というものがこの学校に存在していないのなら、この部屋は所謂空き教室ってやつなんだろう。そんな小さな部屋の中で、女王様は一体なにを男子生徒にさせているのか。そうして、そんな奴が本当に異世界帰りの少女で、果たして俺に力を貸してくれるのだろうか。

 興味と嫌悪、期待と不安のない交ぜになった感情のせいで、手が小刻みに震えている。


(もし女王様が正真正銘のチート能力持ちだった場合、俺の特殊能力、『映し身のミラー』では太刀打ちできないだろう。魔王の姿を映すにしても、相手が魔王を知らないのなら、その姿は映せない……だが、ライラの為に異界へ行かなければならない事実は変わらない……)


 開けるしか、ないのか。


 たとえ太刀打ちできなかったとしても。俺は扉を開けなければならない。

 だって、今ライラの為に何かできるのは俺しかいないから。


 ライラは、異世界で迫害を受け途方に暮れていた俺を助けてくれた。

 守ってくれた。愛してくれた。

 だから今度は、こっちの世界で、俺がライラを守るんだ。

 何ができるかなんてわからない。けど、それでも。前に進まなければ。


 恐る恐る扉に手をかけ、隙間から中を覗き込む。

 鼻腔をくすぐる、和紙と墨の匂い。そこには、夕陽に照らされて睫毛に影を落とした女子高生が椅子に腰掛けていた。


(あれが――)


 胸元まである艶やかな黒髪。物憂げな視線と、どこか覇気のない顔立ちからは彼女が『女王様』だなんて想像もできない。

 控えめなバストに、膝下何センチだってくらいに長いスカート。真面目というには通り越した、洒落っ気のない制服姿。もっと気を遣えば綺麗になれるだろうという素材の顔立ちなくせして、なんて勿体ない奴だ。一言でいうと、野暮ったい。


(……書き込み通りの人物だ……)


 普段は目立たない生徒なのだが、放課後にだけ豹変する、『放課後の女王様』。その本性を見た者は絶対服従を命じられ、死ぬまで沈黙を守らされるという。そうして、服従できない者は『得体の知れない力で』殺される――


(あいつが……!)


 身を乗り出して中を覗き込むと、夕陽に照らされたふたりの人物のシルエットが見えてくる。


(……!!)


 想像通りというべきか。だが、できれば当たらないで欲しかった予感が、的中した。


 ――舐めて、いたのだ。


 『放課後の女王様』


 そう呼ばれる彼女の足を、屈辱に顔を歪ませた生徒が舐めていた。


 冷ややかに見つめる彼女の、長いスカートから覗く黒いストッキングを這いまわるように、男子生徒の舌先がソレを舐めていた。


「もっと、上」


 凛とした、それでいて氷柱が落ちるような細い声。男子生徒は命じられるままに舌先を脛に、腿に伸ばしていく。そうして――


「もっと、上」


 スカートの中を舐めるように命じられた男子生徒は、当然躊躇う。だが、女王様は自らスカートをたくしあげると、冷ややかに、ただ、命じたのだ。


「舐めなさい」


「……でき、ません……」


「イヤなの? どうして? ココはこんなになっているのに?」


 顔を逸らした男子生徒の太腿の間に、するりと脚をのばす女王様。赤面しつつ、それでも頑なに拒否する男子生徒を見限ったのか、その脚を高く上げると、一気に振り下ろした!! 何処へ向かって、とは言わない。だが、同じ男として、これ以上は見ていられない!!


「逃げろ!!」


 書道室の扉を開け放つと、男子生徒は女王様が声に驚いた一瞬の隙をついて、俺と入れ替わるようにして教室を去っていった。


「……恩に着る!」


 すれ違い際、礼を言うだけの判断力を残していた生徒に尋ねる。


「待て、あいつの名前は?」


「……鈴城令香すずしろれいか。放課後の、女王様だ……!」


 上履きも履かずに去っていく男子生徒の背を見送って、俺は鈴城令香に向き直った。


「大層なご趣味をお持ちですね、女王様?」


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