第8話 可憐なる暗殺者
聖女教会中央本部へ出立の日。用意されたキャンピングカー並みにデカい馬車に荷物を積み込み、後は俺達が乗り込むだけとなった。今いる西の聖女領から中央本部までは数日かかる。長旅の始まりだ。
俺は馬車の搭乗口でそわそわと浮足立つライラにそっと手を差し出す。お出かけ用の華奢なフリルがあしらわれた白のワンピースに身を包み、足首にリボンがついたサンダルを履いて、いかにもおめかしといった格好だ。夏の軽井沢あたりでよく見かけそうなご令嬢。いや、それよりもっと高貴な――高貴な知り合いの居ない俺には軽井沢が精一杯だった。
「ユウヤ、お出かけ用のベストもよく似合ってますね?カッコイイです♡」
「そうでしょうか?宰相服を羽織ってしまいますので、あまり外に出す機会はありませんが。僕なんかより、ライラ様の方こそよくお似合いですよ?まるで涼しい野に咲く花のようです。さぁ、お手を」
我ながらまったく上達しない賛辞の言葉。だが、溺れるライラにはそれで十分だ。
にっこりと嬉しそうに俺の掌に手を添える。
「はい♡」
ぽすっ。
「……あの?犬じゃないんですから。乗り込んでください?」
「ふふっ。ユウヤの手がひんやりして気持ちよくて、つい……♡」
「はぁ……朝からお元気なことで。ハネムーンに行くわけでもあるまいし」
「もう、ユウヤってばツレないわ?」
「そうそう!ツレなぁ~い!」
「リリスもお元気そうでなにより。お手をどうぞ?」
「まぁ!レディファーストね?」
「いいから、早く」
結局他の護衛は連れず、全員が乗り込んだのを確認して馬車が動き出す。馬車を動かす御者はモニカちゃんのツテの腕利き。念のため逆らう気にならないような金を握らせておいたので、こいつが俺に牙を剥くということはないだろう。命を狙われているかもしれないんだ、その辺は抜かりない。馬車の車輪や設備もチェック済み。事故死を装われてはたまったもんじゃないからな。
座席が硬くて尻が痛くなるのをある程度覚悟していたが、乗り心地は思ったよりも悪くなかった。流石は聖女専用車。中のシートはクッション素材でふかふかなうえ、寝転んでも平気なくらいの広さがある。ソファというよりはベッドに近いかもしれない。
そんな中、リリスがおもむろに服を脱ぎ始める。
「さぁ、ふたりとも。こっちいらっしゃい?」
「は?」
「何とぼけた顔してるのよ?道中暇でしょ?お姉さんが全身マッサージしてアゲルって言ってるの♡」
では何故服を脱ぐ?どう考えてもいかがわしいマッサージにしか思えない。
(こいつは放っておくとすぐコレだな……しかし。女もイケるとは。危険極まりない……)
俺は隣にいたライラの腰を抱えて傍に寄せた。『きゃっ♡』なんてデレつくライラを無視して、下着姿のリリスを睨めつける。
「ライラ様。淫乱魔術師の言葉に耳を貸してはいけません」
「あらぁ?東方のオイルマッサージ、王宮でも好評だったのよ?」
「高貴な身分の殿方に……でしょう?」
「ふふっ。宰相君てば、結構おマセなのね?
(歴史ドラマでよく見る戦略だからな。色仕掛けなんて、むしろ初歩中の初歩だ)
「別に。少し考えればわかります。全く、とんだ宮廷魔術師がいたものだ。あなたのような実力者が故郷を離れてこんな遠方で油を売っているのも、大方ヤりすぎて追放でもされたのでしょう?」
「ふふふっ……♡」
「いいから、服を着てください。ライラ様が動揺してしまいます」
横目で見ると、案の定胸の大きさの違いに愕然としている。両手をおぼつかなさそうにわきわきと動かし、リリスの胸部に視線が釘付けだ。
「ど、どうすればあんな風に……」
「うふふ。教えてあげましょうか?ほら、こっちおいで♡」
向かいの席で隣をぽすぽすと叩くリリス。妖艶な笑みの裏で何を考えているんだか、油断も隙もありゃしない。俺はそっと膝を差し出した。
「行ってはいけません。ライラ様、あちらへ行くくらいなら僕の膝に」
「いいの?ふたりきりのとき以外はしちゃダメって……私達がラブラブなのは教会の皆には内緒なんでしょ?」
「本来ならば関係が露呈すると不利益を被るのですが、今回は構いません。リリス相手に今更隠す必要はありませんので」
「わぁい!」
嬉しそうに膝枕に寝転ぶライラを見て、にっこりと目を細めるリリス。
(よもや奴の狙いはこれだったのか?いや、まさかな……)
呑気に膝の上で揺られ、ライラが寝息を立て始めた頃。窓の外に大きな森が見えてきた。西の教会から街道を行った先。『
鬱蒼と生い茂った木々や蔦に囲まれ、難攻不落のダンジョンを彷彿とさせる佇まい。ザァッと風が吹くと、カラスが悲鳴のような鳴き声をあげながら飛び立っていく。
「薄気味の悪い森ですね……」
「そぉ?あたしは好きよ?魔女の住処っぽくて」
「はっ。あなたのような魔女は住んでないでしょうけどね?」
「あら、どうして?」
「男がいないから」
平然と告げると、リリスは楽しそうにくすくすと笑う。
「それもそうね。でも不思議。宰相君ってあたしみたいな人間に偏見とか無いの?」
「あなたみたいな?」
「そう。
「別に。実力があってきちんと依頼をこなしていただけるのでれば、嗜好云々に口出しするつもりはありませんよ。あなたが好きでそうなったのであれ、そうならざるを得なかったのであれ……」
探るように目を細めると、リリスは口元に笑みを浮かべる。
「ふふっ。それ以上は詮索してこないのね?見た目以上に紳士なのかしら?」
「いいえ。深入りして巻き込まれるのがイヤなだけですよ」
「またまた、そんなこと言って。ライラちゃんがまだ幼いのに本部から一番遠い西に飛ばされた理由を聞かないのも、そういう気遣いなんじゃなくて?」
「…………」
(モニカちゃんか……案外口の軽い女だ)
俺は冷静に切り返す。
「僕のような力のない異邦人が生き残るには、厄介事とは無縁でいることが肝要です。ライラ様の方から話してこないのであれば、詮索するだけ危険に首を突っ込むようなもの。そんな自殺行為をするほど、僕は馬鹿ではありません」
「ふふ。だからかしらね?あなたの隣は居心地がいいわ」
リリスはそう言って、穏やかな笑みを湛えた。俺は釘をさすように言い放つ。
「この状況だからって、夜這いはやめてください?前も言った通り、胸の垂れかけた女に興味はないので」
「わかってるわよ。あたしだって、身体を許しても心が手に入らないような男に興味はないわ」
「そうですか。僕らはお互いがウィンウィンなようでなによりです」
くすり、と笑うとリリスも同様に肩を上下させた。腹の底が知れない魔術師だとは思っていたが、案外うまくやっていけそうでひとまず安堵する。
その後もリリスと他愛ない話や宮中、教会あるあるなどで話を弾ませているうちに日が沈み、『
リリスが魔法で火をおこし、馬車に獣が寄り付かないようにしたところで、夕食を済ませて眠りにつく。ライラは俺の隣、リリスはカーテンを挟んだ向かいのシートだ。昼間に散々寝たせいで中々寝付けないライラを寝かせるのには苦労したが、カモミールティーを淹れて背中をさすっていると、ライラはうとうとと眠りに落ちた。
(まったく……裁判へ行くというのに、呑気な寝顔だ)
満足そうに俺のシャツを握るライラに視線を落とし、ゆっくりと目を閉じる。
(裁判か……無事に終わればいいが……)
願うように逃れるように目を固く瞑っては、落ち着かない呼吸を整えながら眠りについた。
◇
「はぁ、はぁ……」
息苦しいような、聞いているだけで胸が痛む呼吸の音で目を覚ます。
(ライラ……?)
不思議に思って目を開けると、何も見えなかった。真っ暗で、視界いっぱいに闇が広がっている。目隠しをされているようだ。
「なっ――」
上体を起こそうと腕に力をいれるが、上に何かが乗っているようで思うように起き上がれない。腹部から胸元にかけて加わる柔らかい圧。覚えがあるような無いような心地の良い感触と、それにしては慣れない重み。
(乗っているのは、女か?だが……)
「ライラ、なのか……?」
どうにもそうは思えない。しかし、この軽さはリリスでもないだろう。
となると――
俺は目隠しを取って上に乗る人物を拘束しようと一気に起き上がる。
「誰だっ――!?」
「――っ!?」
銀の瞳と、目が合った。よく見ると、もう片方が青みがかったオッドアイ。顎下までのふわりとした銀色のミディアムボブ。見る限り可憐な美少女だが――こんな女に夜這われる覚えはない!
「どけっ!何者だ!?」
「くっ――!」
「――ッ!」
起き上がった拍子に、少女が手にしたナイフの先が手をかすめる。僅かだが、鋭い痛み。俺は一瞬で覚醒した。
「
「――っ!」
再び振り下ろされるナイフ。俺は咄嗟に少女の手元を掴んで抵抗した。隣で眠るライラには目もくれない暗殺者。両手で短剣を構え、力一杯に俺を殺そうと刃先を突き付けてくる。
(狙いはやはり俺か……!だが、まさかこんなに早く、直接手を下しに来るとは……!)
「くっ……どこぞの手の者だ!?」
(ここで突き止めなければ、また同じ目に……!)
「言え!誰に言われて来た!」
ぷるぷると震える手を押し返そうと力を込めるが、流石暗殺者。少女にしては中々力がある。体重をかけているのか、思うように押し返せないうえに腹部に乗られているので脚で抵抗も出来ない。だが、体重をかけられているにしては相手の力が弱いように感じるのは気のせいだろうか?
震える手に潤んだ瞳。苦しげに漏れる呼吸。そして、心なしか徐々に弱まる力……
俺は、笑った。
「お前、人を殺すのは初めてか?」
「――っ!」
「その
「くっ――!」
「ふっ……そんな俺が今更、貧相な身体のお前に
「白い肌、黒い髪、鎖骨の十字傷……聖女を惑わす歪んだその笑み……!キサラギ宰相だな!?」
「だとしたら?」
「殺す……!」
「ククッ……ナメられたものだ」
いくら俺でも。こんな、獲物相手に怯えるような女に負ける気はしない。これならロイズの方が幾分マシだった。奴の剣先は確かに殺意に満ちていたのだから。
一向に身元を明かさない女に痺れを切らした俺は声を荒げる。
「俺を殺すということは、殺される覚悟があるんだろうなぁ!?」
「――っ!」
「リリス!いつまで寝ている!仕事の時間だ!!」
その瞬間、カーテンがサッと開く。姿を見せたのは、黒い下着姿のリリス。少女は思わず目を見開く。
「はぁい?こんばんは♡可愛いアサシンちゃん?」
「――っ!」
「じゃ、バイバイ?」
リリスが杖の先から仕込み刃を覗かせる。その鈍い光を見るや否や、少女は馬車から飛び出した。
「――っ!」
「逃がすな!追え!」
「はぁ~い♪」
リリスは軽い身のこなしで飛び降りると、杖を振るって焚き火を舞い上がらせた。少女の行く手に火の海が広がる。
「――っ!」
「ねぇ。わるーい女の子の行きつく先……知ってる?」
くすり、と迫る妖しい瞳。今では少女が俺達の獲物だ。リリスが赤い唇を開く。ゆったりと、撫でるように、諭すように、懐かしむように……
――くすっ。
「――っ!」
「 火・あ・ぶ・り よ ♡」
「……っ!」
絶望する少女の瞳に映るのは、視界を埋め尽くす炎。そして……
妖しい魔女を従えた『悪の宰相』だった――
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