第10話
「足りないもの?」
怪訝そうに問い返す克也に、彼は楽しそうに云った。
「いや。最初は基地で何かを作って地球に輸出して儲けるとか、旅行者向けのレジャー施設のようなものを運営するとか、色々考えたんですけどね。やっぱり基地で足りない物を供給するのが、一番いいんじゃないかと思ったんですよ。上手く安く作れれば、基地側でそれを買い取ってくれるだろうし。それが一番安定して稼げるだろうなと」
「なるほどね。高専生にしては、良く考えてるわ」大真面目に彼は云って、再び顎髭に手を伸ばして考え込んだ。「足りないものか。そうだな。むろん基地じゃ足りないものばかりだけど、強いて挙げるなら」
「何です?」
もったいぶる克也に我慢しきれずに尋ねると、彼はニヤリと笑って云った。
「肉だ」
一瞬、岡は聞き違いだと思ったらしい。「肉?」と問い返しながら、私たちの表情を確かめる。
「あぁ、肉だ。知ってるか? 娯楽なんてもんは、パソコンがありゃあ映画だ音楽だゲームだと何でも出来るけどな。一番切り詰められてるのは食い物なんだよ。見て見ろこれを」そう云って、彼はキャビネットの中から真空パックされた包みを引っ張りだした。「これが宇宙食ってヤツだ。これが非常に不味い」
延々と食べ物の不満をまくし立てる克也。私たちは呆気にとられながらそれを聞いていたが、不意に彼も場違いなことを云っているのに気がついたらしい。小さく咳払いして、背筋を伸ばす。
「そうだったな。オマエらにとってみれば、冗談なんて聞いてる場合じゃなかったな。正直スマンカッタ」
と、大きく頭を下げる。
大まじめに云ってたくせに。
所詮月にいると云っても、元は私たちと同じように、遊びほうけていた高専卒には違いない。これはあまり期待できないな、と眉間に皺を寄せている私の横で、岡は引き吊った笑いを浮かべながら、無理にフォローの言葉を探した。
「いや。でもメシは切実っすよね」
「あぁ。特に肉はな。いや、まぁそれはいい。足りない物だったな。まず軽元素だ。代表的なものは水素だな。月の低重力じゃ、軽い元素は地表にも地下にも押さえつけておけなくて、宇宙に飛んでっちまう。水素ってのは何にでも使える元素でな、今は定期的に地球から運んでるが、これが月で自給自足出来ればどれだけいいか。
同じように炭素も色々な用途に利用できるが、これも足りない。オレの担当してる建設には当然資材が必要だ。月面の土塊には、鉄、チタン、アルミなんかが含まれていて、小規模だが電気炉での精製を行っているんだが、それには炭素やマグネシウムが必要だ。オマエらも機械科なんだから、この辺は習っただろ?」
「えぇ。実習でやりました。鉱石に含まれている不純物を取り除いたり、元素を分離したり、合金を作るのに使うんですよね」
「そうだ。他にも炭素は、建築素材としても有用だ。CFRPって知ってるだろ? 炭素繊維強化プラスチック。これは軽くて柔軟で、強い。ロケットや建築物の部品なんかに大量に使われてる。これが好きなだけ使えれば、どれだけオレの仕事が楽になるかわからん」
「水や、酸素は足りてるんですか? オレたちが調べた限り、それが足りないんじゃないかって話になってるんですけど」
「水か。そりゃ、当然足りない。けどな、それも水素があれば何とかなる。月面の土塊には結構酸化物が含まれててな、水素還元すれば酸素が得られる。更に水素と酸素で水が作れる訳だから、何よりも必要なのは水素って訳だ。まぁ水でも、当然あるに超したことはないけどな」
「不足している化合物は何かありますか」
殿下の質問に、彼は首を捻った。
「そうだな。水耕栽培してる連中。基地じゃ〈農家〉って云ってるんだけどな。農家の連中は肥料? 養分? が足りないとか云ってたな」
「養液ね」と、おばちゃんが訂正した。「水耕栽培といっても、水だけじゃ出来ないから。栄養素を加えてあげるのね。主に、硝酸カリ、硝酸石灰、第一リン安、硫酸マグネシウムの四つ」
「良くできました」克也は皮肉に云って、手を叩く。「あとはオレも、合金を作るのにタングステンやモリブデン、クロムがあると嬉しいが、まぁこれはそれほど大量に欲しい訳でもない。他に化合物っていうと医薬品だが、まぁ今の人口じゃ、これもそれほど大量に必要になることもないな。あとは油かな。潤滑油、それに燃料。動物性、植物性、何でもいいが、有機物ってのは宇宙線の影響ですぐに劣化する。これも、あればあるだけ嬉しいな」
「じゃあ、工業製品はどうですか」と、殿下。
「工業製品ね。意外に思われるかもしれんが、工業製品は一通り揃ってるんだよな。消耗品じゃないからってのもあるが、ロケットの部品を分解すれば、電子部品でも機械部品でも流用出来るんだ。強いて云えば断熱材のような繊維質なものは不足してるが、それほど大げさなものじゃない」
「ロボットは?」
尋ねたのは岡だ。克也はニヤリと笑って、顎髭を撫でた。
「気持ちはわからんでもないが、十分間に合ってる。つか、ロケットの部品をばらして、建設ロボットや輸送機械を組み上げるのもオレの仕事だからな。悪いがこれは譲れん」がっくりと肩を落とす岡を面白そうに眺めて、彼は付け加えた。「つまりだ、基地に必要なのは軽元素、有機物、消耗品、それとロケットで運ぶには嵩張る建築資材。そんな所だな」
「あと、食べ物?」
微笑みながら尋ねたおばちゃんに、彼は苦笑して見せた。
「あぁ。チョコとか珈琲とかは慢性的に不足してる。輸送船が来るたびに奪い合いさ」
「煙草は?」
尋ねたテツジに、克也は大笑いした。
「かぐや基地は禁煙だ。空気清浄に幾らかかると思ってるんだ」口を開け放ったテツジを可笑しそうに眺めて、彼はふと膝を叩いた。「そういや、そういうのを調べてるんなら、いいのがある。月面基地で使われている資材の単価リストだ」
「単価リスト?」
問い返す岡に、彼はキャビネットからファイルを取り出して開く。
「あぁ。宇宙公団は、このリストを元に予算を決めてる。水や食料、雑貨といった消耗品から、建築資材、各種化合物といったものまで、調達して月面基地まで運ぶにしろ、基地で生産するにしろ、単位重量あたりどれくらいの費用がかかるかが計算されてるって訳だ。これをくれてやる」
「いいの? そんな重要そうなの」
と、おばちゃんが眉を顰める。克也は何でもないといったように苦笑してみせて、ファイルを団扇代わりに扇いだ。
「それほど重要な資料でもないさ。ま、これを参考にしたって公言されても困るけどな。後輩のためだ、上手いこと使ってくれや」
「助かります。ありがとうございました」
「おう。じゃあ、また何かあったら、いつでも連絡してくれや」
短い礼のやりとりの後に回線が切断されると、一同は大きくため息を吐いて、岡が印刷した資材リストに目を落とした。
「ま、参考にはなったな」
無表情に云う殿下に、岡はため息を吐いた。
「けど、軽元素、有機物、消耗品、建築資材って云われてもなぁ」
おばちゃんを含めた五人は、暫く黙ってそのリストに目を落としていた。そして岡が何気なく煙草に火を付けると、テツジが思い出したように叫び声を上げた。
「なんだよ急に」
驚いて尋ねる岡に、彼は煙が立ち登っている煙草を指さした。
「駄目だわ岡、基地は禁煙だぜ? この公募止めて別のにしようぜ」
云ったテツジの頭を、岡は大きく揺さぶった。
「ばっか、本気で行けると思ってんのか? 要はな、こういう公募に応募したって事実が重要なんだよ」
「正確には、応募要件を満たした提案が出来ることが、だな」と、殿下。「云うまでもなく、この公募は各種条件が非常に厳しい。このような高コスト環境で黒字を出せる事業モデルを構築するのは、非常に至難の業だ。もし応募要件を満たした提案が出来るのならば、仮に選考から漏れたとしても、十分に卒業研究として通用するだろうな」
「そう。なるほどね」不意に落ち着いて、テツジはリストに目を落とした。「でもなぁ。こっからどうするよ」
「まずこのリストの中から、克也さんが云ってた軽元素、有機化合物、建築素材をピックアップする。で、それぞれの製造方法を調べていって、何か原価を下げられるようなものはないか調べていく。って感じかね?」
岡の提案に、殿下は大きく頷いた。
「そうだな。そのデータは即、卒業論文のデータに出来る。各自分担し、ちゃんと調査結果を整理していくことにしよう」
「まぁ、何はともあれ、道筋は見えてきたみたいね」おばちゃんは楽しそうに云って、腰を上げた。「それじゃあ、また何か困ったことがあったら、いつでも云ってちょうだい。何でも協力するから」
「あ、ありがとうおばちゃん」
道のりの長さにウンザリしたらしく、岡は力無く礼を云う。それはそうだ、リストはざっと見ただけでも何千件もの物質や加工物、工業製品が記されていて、ここから基地で大量に消費するものをピックアップするだけでも一苦労だ。ただ一人、殿下だけは、研究とはそんなものだといったように、澄ました顔でリストの分類を始めていた。
それからの二週間、私たちは地味な調査活動に明け暮れた。
まず、リストから一つの対象を選ぶ。
例えば鉄。その地球上での販売価格を調べ、月面基地までの輸送費を加えて、リストに記された宇宙公社の調達目標価格と比べる。
当然、その両者は近いか、目標価格よりも高くなる。
そこで私は、鉄の製造工程を調べる。鉄鉱石の採掘費用、溶鉱炉の建設費用、精製に必要な添加物の費用、燃料の費用。それらの中から、月面で調達できそうな物は、輸送対象から除外していく。克也の云ったように、鉄が含まれている岩石自体は月面で調達できる。燃料は豊富な太陽エネルギーを使えばいい。溶鉱炉の代わりに電気炉を月面で建設する費用を求め、その施設を一年間稼働させた場合に精製できる鉄の量で、全費用を割る。
物によっては、それが宇宙公社の調達目標価格よりも安くなる。
はず、だった。
「鉱石類は全滅ですね」私は膨大な量になった計算用紙を整理しながら、虚ろに云った。「原料がただ同然で手にはいるのはいいんですけど、炉を月面に建設する初期投資が大きすぎて。どうやっても一年じゃ元が取れないんです」
「炉の規模は変えてみたの?」と、岡。
「電気炉はどんなに小さくしても、かなりの規模の発電設備が必要になります。かといって溶鉱炉にすると、石炭や重油の運搬に莫大な費用がかかります。これ以上、単価を下げるのは無理ですね」
「軽元素類も無理だな。研究され尽くされてて、かなり調達価格が押し下げられてる。素人の浅知恵じゃ、どうにもならないわ」
岡はため息を吐きながら云って、計算した紙を殿下に差し出す。彼はそれをちらりと見て、岡に突き返した。
「駄目だ。再提出」
「なんで?」
「この五所川原さんの計算を見てみろ。各種税金や、政府による補助制度がある場合には、その補助金の額まで考慮されている。やり直しだな」
ははぁ、と岡は私の計算した紙を眺めて、感嘆の声を上げた。
「会計得意なのね、ゴッシー。なんで?」
曖昧に笑って誤魔化す私。怪訝そうに首を傾げながらも、彼は続けてじろりとテツジを見た。
「やってるって。さすがに」彼は不平そうに云って、汚い字で殴り書きされたレポート用紙を手にした。「有機化合物? これは多少は筋があるかもな。ほら、化学科にいる中学の時のツレに相談したらな、屎尿の再処理でもしたら? って」
「げ、マジで?」
嫌そうな顔をする岡に、テツジは気味の悪い笑い声を上げた。
「調べてみたら、どうやらかぐや基地じゃ、まだ下水の再処理ってやってないらしいんだわ。全部宇宙空間に投げ捨ててるんだと。そんで、屎尿には豊富に有機化合物が含まれてるって訳。それで小型の簡単な下水再処理設備を設計してもらって、その値段を弾いたんだけどさ。やっぱ再処理水でも調達価格が結構高いから、何とか元が取れそうな感じで」
「残念だがキミのあたった情報は、多少古かったらしいな」殿下は云って、手元の紙をめくる。「多目的モジュールに合わせて、下水の再処理設備も完工する予定だ。そうなれば恐らく、調達価格は引き下げられるだろうな」
「あら、そう」あっさりと諦めるテツジ。「で、殿下は?」
「こちらも、今の所は芳しい結果は出ていない」大きくため息を吐く三人に、彼は眉を顰めながら付け加えた。「どうした? キミらの割り当ては、まだ半分も消化できていないはずだ。絶望するのは、まだ早い」
「けど、締め切りまであと一月半しかないぜ。あんまちんたらやってられねぇし。何か思い切った手も考えないと」
そう考え込む岡に、殿下は思い切りため息を吐く。
「思い切った手を打つだけの材料も、今の我々にはないだろう。時間がないのは確かだが、今は一刻も早くこの分析を終わらせるしかない」
「でも、全然先が見えねぇじゃん?」と、テツジは積み上げられた分析リストをペラペラとめくる。「全然、儲けどころかトントンになりそうなものもねぇじゃん」
「そう簡単に見つかれば、公団も民間の力など借りようとしないだろう」
「そりゃそうかもしんねぇけどさ。なんか段々、オレらには無理なんじゃねぇかって気がしてきたわ。こんだけやって、何も出てこねぇんじゃ」
「とはいえ、他に何か手はあるか?」口を噤む一同に、殿下は小さく首を傾げた。「では、今はこれを最後までやるしかない」
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