第28話

「おぉ、すげぇ、あれにテツジ乗ってんの?」


 殿下のパソコンの小さな画面を三人で覗き込んでいると、岡が信じられないというような声を上げた。


「アメリカの最新型のスペースプレーンだな。日本と違って、向こうの基地には既に五百人近い人員が常駐している。あれくらいの人員を運べる設備がないと、回らないのだろう」


 ぱっと見は、昔の超高速旅客機コンコルドと見間違えるような形状だった。スマートで、デルタ翼型で、鼻先が尖っている。ただしエンジンは通常のジェットエンジンではなく、発展型のスクラムジェットエンジンと、大気圏外でも燃焼が行えるロケットエンジンを組み合わせた複合型が搭載されていた。


 ネットワークで配信されているNASAのライブ映像は、特に解説やらは行われていない。スペースプレーンの打ち上げは最低月に一度は行われており、特別なニュースではなくなっているのだ。ただ淡々とカウントダウンが行われる音声を聞きながら、私たちは特に言葉もなく見つめていた。カウントが2を唱えた瞬間、エンジンが一瞬だけ火を噴き、ゼロになった途端、曲線を描いて宙に延びるレールの上を、船体は滑るように走り始める。


 まるでスキー選手がジャンプするように、テツジを乗せたスペースプレーンは、ゆるやかなカーブを描きながら宙に舞った。カメラは望遠レンズに切り替えられ、どんどん小さくなっていく船体を追い続ける。そしてその姿が薄靄の中に消えていくと、カメラは静止し、後に残ったジェット雲をぼんやりと映し出していた。


「すげー。いいなぁ。オレもアレに乗りたかった」


 そう呟きながらベッドに倒れ込む岡。殿下はライブ中継の画面を閉じて、椅子をくるりと彼に向けて回した。


「私は、公団のロケットに乗れる方が嬉しいがね」


「私も。やっぱり打ち上げっていったら、ロケットでドーンと昇っていくに限りますよ。その方が格好いいですし」


 夢を語り合うのは、このプロジェクトが始まってからの数少ない楽しみだった。それ以外は、計算、整理、手続き、広報といった仕事が目白押しな上に、最大の問題児が制御下から外れてしまったという不安も大きい。


 テツジ、ちゃんとやってるだろうか。


 日に何度もそんなことを考えて、携帯が鳴れば何か大失敗をしでかしたんじゃないかとビクビクしてしまう。


 だが意外なことに、彼は何の、些細な問題も起こしていないらしい。


「いや、マジで勉強になるわ。来て良かったわ、マジで」


 勉強になる、などという言葉がテツジの口から出てきても、にわかに信じられるものではない。それは三人の一致した想いで、互いに怪訝そうに顔を見合わせた。


「あ、信じてねぇか。いや、別にいいんだけど」


 そう、端から諦め顔のテツジ。月面基地から送られてくる信号は時差があり、こちらが何か云っても、反応が返ってくるまでに一呼吸かかった。


「そりゃ、だってよ。テツジがんなこと云ってもさ」


 言い訳のように呟く岡。その時、テツジの後ろから禿げ上がった頭だけを覗かせていた上井克也が顔を出した。


「いや、結構真面目にやってるぞ。正直云って、結構助かってる。今はマスドライバーを突貫工事で作ってる所でな」


「マスドライバーって、電磁カタパルトで物を地球に送るヤツですか? いいなぁ、オレも作ってるとこ見たかったですわ」


「来たら見せてやるよ。結構凄いぜ、我ながら」


「楽しみにしてます。でも克也さん、テツジ、マジで甘やかしたら駄目っすよ。すぐ調子に乗るから」


「それは心配ない。今のところテツジの一人負けだからな。明日は戸部たちの施設の修理をやってもらう」


 私とおばちゃんは別格としても、テツジは高専の中ではトップクラスのギャンブラーだというのに。ここのところ負けが込んでしまい、反論する気にもなれないらしい。


「まぁ、こきつかってもらうのは構わないんですが」と、殿下が身を乗り出しながら云った。「肝心の我々の施設の方は?」


「やってるって、ちゃんと」テツジは傍らにあった写真を取り、カメラに近づけた。「進捗は五十パーセントってとこかな。アンカー打ちまでは終わってるから、あとは組んで、配線して、って感じやね」


 それはぱっと見ると、とても月面にあるとは思えないような施設だった。煌々と明かりが灯るコンクリート壁の広間に、何本もの支柱が立ち並んでいる。外観としてジャングルジムのような箱は出来上がりつつあるようだったが、内部を移動するウサギの篭は、まだ隅の方に積み上げられているだけだった。


「あと三週間だぜ? 間に合うのか?」


 尋ねた岡に、克也がテツジを遮って答えた。


「なに。地球上の感覚で考えると厳しいかもしれんがな。こっちじゃ重力が少ないから、結構楽に組み上げられるのさ。篭だって地上じゃ重機でないと運べないが、こっちなら二人で楽に持ち上げられる」


「はぁ、ならいいんすけど」


「そう心配すんな。テツジが信用出来ないなら、オレを信用しておけ」


 それも微妙だな、と私などは思ってしまうのだが、彼のような兄貴風のタイプは体育会系では受けがいい。岡も完全に克也を信頼しきっていて、それ以上の心配を止めた。


 私たちは昨日から、種子島にある公団の宇宙センターに居を移していた。これから半月で最終的な資材の確認を行い、J1ロケットへの積み込み、そして十三匹の宇宙ウサギの始祖たちと共に、月面基地へと向かう予定になっていた。


 この季節、半ば亜熱帯とも云えるこの地方は、梅雨の真っ最中で雨が絶えなかった。センターの宿泊施設は打ち上げ台の正反対を向いていて、鬱蒼とした屋久杉に近い原始の森に面していた。


 高台から望む森は靄に霞み、おどろおどろとしていた。漫画的には、靄の奥深くから巨大な人影が出てくるようなイメージが浮かんでくる。私は夕闇に沈んでいく森を眺めるのが好きになってしまい、夕食後に珈琲を飲みながら、食堂の一面の硝子壁から灰色に染まっている木々をぼんやりと見つめることが多くなった。


 センターには私たちと同時に、勝田、鳥取、佐治の総研チームと、我らが〈楽しく頼れるお兄さん〉、羽場もやってきていた。その日も食堂で不抜けていた私に、ふらりと鳥取が近づいて来たりしている。


「いいですよね、こういう所は。生命の宝庫で」


「そうなんです?」


「えぇ。こうした原始の環境が残っている所には、沢山の種が生息しています。月なんかと正反対で」


 ふとそこで、彼の背中の向こうに、殿下の真っ直ぐな姿が見えたような気がした。首を曲げて覗き込むと間違いなく彼で、立ち話の相手は、あろうことか勝田さんだった。


 視線に気づいた鳥取さんが、首を傾げながら呟く。


「あれ。彼、オタクの解析担当の人ですよね」


「え。えぇ。いつの間に勝田さんと仲良くなったんでしょう」


「それはないですよ」訳がわからず首を傾げる私に、苦い表情をした。「気づきませんでした? あの人、そちらのチームに、何だか凄いライバル心持ってるんです。ボクは仲良くした方がいいと思うんですけどね」


「たかが高専生相手に、大人げなくないですかねぇ」


 嘆息した私に、彼は曖昧に頭を掻いた。


 多目的モジュールプロジェクトに関わる物資の輸送は、計二回の打ち上げで行われることになっていた。一度目は来週予定されている貨物機で、私たちと総研チーム双方の資材が送り出される。二度目が人員輸送で、こちらが再来週。公団は最大週に一度の打ち上げ能力を有しており、現在は月面基地拡張計画に併せ、施設はフル稼働していた。慌ただしく人員や資材が出入りし、森とは反対側のロケット組立施設は昼夜を問わず明かりが灯り、巨大輸送船で運ばれてくるエンジンや燃料タンクを、こちらも巨大なクレーンでつり上げ、接合の溶接の火花が絶え間なく瞬いていた。


「うおぉ、でっけぇ!」


 見学のために案内された組立施設の中に入った途端、岡は叫び声を上げていた。一方の私は、声を失ってそのオレンジ色に塗られた巨大な塔を見上げる。暗がりの中にそびえるそれは、先端までは見渡せない。だがそれはこれまでに見たどんな人工建造物よりも圧倒的な存在感を持っていて、思わず鳥肌が立つほどだった。


「全長六十五メートル。補助ブースターは最大六本取り付け可能で、最大ペイロードは三トン。エンジンは川崎製N9EVp6。カワサキっていうと昔ニンジャってバイクがあって。いや、ボクが乗ってた訳じゃないんだけどね? ただ先輩に物凄い単車好きがいてさぁ」相変わらずの長ったらしい無駄話を挟んで、羽場はようやく元の説明に戻る。「まぁ、それはどうでもいいんだけどさ、これはアメリカのジュピター級には負けるけれども、ヨーロッパのエンタープライズ級と同等程度の性能を持ってる。それより何より、このJ1級は三十二回の打ち上げを一度も失敗していないんだ。これって結構、スゴいことなのよ?」


 ポケットに手を突っ込みながら、誇らしげに説明する。岡は四方からロケットを眺め回し、仕舞いには柵に身を乗り出して、エンジンの複雑な機械構造を見つめていた。


「羽場さんも、これの設計に関わってたの?」


「あぁ! うん、いや」微妙に言葉を濁して、ツンツンに立たせている髪を捻った。「丁度ボク、別の仕事が忙しくてねぇ。いや、別に能力がなかったとか、そんなんじゃないのよ?」


「私たちが乗るの、これなんですか?」


 長くなりそうな羽場を遮って尋ねると、彼は微笑みながら頭を振った。


「いや、これは来週打ち上げるヤツで、最終点検中なんだ。キミらが乗るのは、あっち」


 そう、巨大なガレージの反対側を指し示す。そこには組立半ばのロケットが横たわっていて、周囲で技師たちが忙しそうに作業していた。


「ついでに説明すると、コーンっていう先端部分が積み荷を乗せる場所になっていて、衛星を打ち上げる場合はそこに納めるんだけれども。人を打ち上げる場合は、アレを使う」そう彼が指さしたのは、貨物コンテナを二つ繋げたような四角い箱だった。「ボクらはランチボックスって呼んでる。最低限の生命保護装置と推進ノズルを備えた、シンプルな人員輸送船だね。最大搭乗人員は十人。もちろんあれじゃあ月まで行くのに何日もかかっちゃうから、軌道上で待機してるアメリカのカーゴ船に拾ってもらって、それで月まで二十時間ってとこかな。随分身近になったもんだよねぇ」


「そういえば聞いてませんでしたけど。羽場さんって行ったことあるんですか? 宇宙に」


 どうやらこれも、彼の負い目らしい。困惑したように両手を摺り合わせ、つま先立ちになる。


「いやぁ、機会がなかった訳じゃないんだけどね。なんて云うかなぁ、ボクはこれで結構、地上で重要な仕事があったもんだから。でも今回は、ボクが行かないとどうにもならない仕事があってね。上井のオッサンが作ってるマスドライバーの、制御プログラムをね。投入しに行かなきゃならないんだ。コレがないと、月から地球に物を送る計画が頓挫しちゃう。重要な仕事よ?」


「佐治さんは?」


「佐治? あぁ、ヤツはしょっちゅう行ったり来たり! 馬鹿は足で稼ぐしかないのさ。わかるでしょ?」


 貨物ロケットの打ち上げは、天候が一番の心配事となっていた。風は強くないものの、弱い雨が降り続いている。別に一週間程度順延されても構わなかったが、あまり遅くなりすぎると、十三匹のウサギたちが心配になる。彼らは生き物ということもあり、貨物扱いではなく私たちと同じロケットで向かうことになっていた。


 彼らの日々の世話は、私に一任されていた。殿下は最後までタスクチームとの詰めを行っていたし、岡は主に月面基地にいるテツジのフォローで手が一杯だったのだ。


 倉庫に積まれた、十三の篭。その奥には総研チームの積み荷もあって、時々鳥取が様子を見に訪れているようだった。


 その日、私が糞の掃除と餌やりをしていると、当の彼が水タンクを積んだ台車を押してやってきた。軽く頭を下げると、例の人懐っこい笑みを浮かべて近づいてきた。


「やぁ。ホントにウサギなんですね。ずっとカバーがかかってるから、わからなかった」


「敏感なので。静かに閉じこめていたほうがいいんです」


「近づいても?」


「検疫済みなんですが。変な病気持ってませんよね?」


 私の微妙な冗談に、彼は少し不安になったらしい。それでも一つの篭を指し示すと、鳥取はおずおずと近づいて、檻の隙間から手を差し入れた。


「へぇ。大きいし、毛も柔らかいし。これは生産性がありそうですね」


「まぁ、そう目論んでるんですけどね。実際はどうなることやら」


「こないだ、テレビで見ましたよ。ウサギに付ける名前を、全国の小学校から募集したんでしょう?」


 あれは全く、馬鹿な企画だった。


 私はため息を吐いて、箒の柄を支えに寄りかかった。


「羽場さんの発案だったんですけどね。一万近い応募があって、まぁまぁ好評だったみたいです」


「どんな名前に?」


「知りません。単なる話題づくりですからね。子供たち食べられるために向かうなんてことは知らないんですから」


「でも、月にウサギ。花があっていいじゃないですか」彼は格子越しにウサギの鼻を撫でた。「こっちは虫ですからね。とても名前なんて付けてられません」


「虫も、連れて行くんですか?」


「えぇ。見ます?」


 そう促されて、私は箒をクルクルと回しながら後に付いていく。彼が立ち止まったのは巨大なタッパーのような合成樹脂製の箱の前だった。鳥羽はその脇に低い脚立を持ってきて、上部にある幾つかのボタンを押す。すると中の方から錠が外れるような音がして、鳥取が天板に手をかけると、それは軽々と持ち上がって脇に滑り落ちた。


 軽い身のこなしで、彼は脚立を飛び降りる。登るよう促された私は、箒を抱えたまま段に足をかける。そして巨大タッパーを上から覗き込むと、そこには折り重なるように大きな葉っぱが積まれていて、何匹かの白い芋虫が張り付いていた。


「蚕です。植物は桑の葉」そう、鳥取が下から解説した。「ご存じのように、蚕は繭になり、繭は生糸になります。蚕自身も栄養価は高くて、食用に適します。味は、ともかくですが」


「食べるんですか? これを?」


 ウネウネと気持ち悪い動きをする幼虫を眺めながら尋ねると、彼は苦笑しながら云った。


「まぁ、目隠しして食べさせられれば。鳥みたいな味ですよ。擂り身にしちゃえば何だかわかりませんし」


 渋い顔で私が脚立から飛び降りると、彼は運んできた水タンクをアタッチメントに取り付け、再び上部のボタンを幾つか押した。途端に水は飼育機の中に吸い込まれていき、代わりに濁った廃液が満たされ始めた。


「凄いですね。全自動なんだ」


 私は自分の汚れた作業服と見比べながら呟く。


「まぁ、色々試行錯誤はありましたけどね。基地にはこれと似たような飼育機が設置されます。基本的に日々の世話は全自動で。繭から生糸を生産する設備も自動化されてます」


「じゃあ、皆さんは何をするんです?」


「何、って」彼は呆気にとられたような表情を浮かべ、首を傾げた。「管理ですよ。桑の育成状況や、蚕の繁殖度合いから、供給する水の量とかを調節しなければなりませんし」


「基地の農業プラントと、何か共業のようなことはしないんですか?」


「いえ? 特に。NDAとかありますしね。そちらは何かするんですか?」


 私は少し戸惑って、結局その場は曖昧に言葉を濁して終えた。

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