第29話

 基本的に、私たち高専チームと、鳥取たち総研チームとは関わりがなかった。訓練の際のオリエンテーションは結局名ばかりのものだったし、こうして旅立ちが間近に迫った今でさえ、一緒にミーティングを受けることもない。僅か私と鳥取がたまに話をする程度で、岡や殿下は彼らと挨拶すらしない。


 何故だろう。


 それは交流をする必要性がある訳ではないが、やはり月面基地は極地には違いない。親しくなっておいた方が、緊急事態が起きた時にも、何かと都合がいいだろうに。


 私の疑問に、羽場は例のごとく無駄な言葉を大量に挟みながら説明した。その五分に亘る独演から必要な部分を抜き出すと、こうなる。


「名目上、キミらは民間人だからさ。そして彼らは会社員。彼らはキミらと事情が違っていて、殆ど公団から助言を受けてないし。企業秘密を持ってるからね」


 つまり彼らは会社のために月に行くのであって、その手の内を軽々しく明かす訳にはいかないということらしい。だから高専チームと接触するのは少ないに越したことはないし、公団の職員とも同様だ。


「云われてみれば、その通りだな。彼らは公募の本来の趣旨に則って、起業のために月に向かうという訳なのだろう」


 したり顔で頷く殿下。


 将棋ブームは早くも廃れ、今は三人でも出来る大貧民が定番の暇つぶしになっている。私は2で岡のキングを流しながら、そういえばと首を傾げた。


「この間、殿下、勝田さんと食堂で話してませんでした? 何だったんです?」


「おっ、年増殺しの称号を殿下に譲れる日が来たか」


 おちゃらけて云う岡に、殿下は深いため息を吐く。


「別に何でもない。ただ月面基地にあるコンピュータの使用優先順位について話していただけだ」


 へぇ、と私と岡は気の抜けた声を出す。それはそうだ、殿下が口に出す言葉は常に正しい。


「それにしても、勝田さんって面倒な感じですよね。そうだ、NDAって何だか知ってます? それがどうとか、鳥取さんが云ってたんですけど」


「DNAじゃなく?」


 岡の台詞にため息を吐いて、殿下はフォローする。


「NDAとは、企業秘密を他者に公開する際に締結する、約束事のようなものだ。秘密を流出させてはならないとか、自社の利益のために用いてはならないとか。大抵の企業は、当事者同士でNDAを結ばなければ、企業秘密に属する情報は公開しない」


「当然のことじゃん。パス」


 敗色濃厚で頭を掻きながら呟く岡。


「まぁ当然のことではあるが、企業というのはそういう所だからな。口約束では、裁判になった時に証拠にならない。それに画期的な技術や企画は、会社の利益を大きく左右する。保身を図るのも、また当然のことだ」


「世知辛いねぇ」


 世知辛いのは、私たちの置かれている状況全てだ。元々楽に卒業するためだけに始めた話だというのに、次々と様々なしがらみが生まれ、馬鹿馬鹿しいことにも無理をして付き合わなければならない。


「こんにちは、都立小学校の皆さん。ウサギたちのために、素敵な名前を沢山考えてくれて、ありがとうございます」


 ハンディータイプのカメラを構える羽場は、大げさな身振りで背後のウサギ篭に向かうよう指示する。私は篭の一つのカバーを開き、その脇に立った。


「この子の名前は、皆さんの学校の佐竹さんが考えてくださった、〈イザコ〉に決まりました。十六夜の子、という意味なのだそうですね。私たちは一週間後、彼女と共に月に向かう予定です。これからも時々、彼女の様子をお伝えできればと思っています。皆さんが大人になる頃には、彼女の子孫たちが、月に沢山暮らしているようになるよう、私たちも頑張ろうと思います。それでは皆さんも、勉強を頑張ってくださいね」


「カット! オッケー、ゴッシーちゃん。ちょっと堅いけど、まぁいいでしょ」


 喜々として録画内容を見直す羽場に、私は大きくため息を吐いた。


「どうしてこんなことしなきゃならないんです? 小学生相手に」


「子供たちに夢を与えるのが、ボクらの仕事よん? 結構上にも、ボクの広報活動は好評でね。このカメラもご褒美で買ってもらっちゃったのよ。ソニーの最新型よ? いいでしょ」


「私には?」


 そうだ、というように彼は指をパチンと鳴らして、傍らに置いていた紙袋を取り上げた。


「はい、これご褒美」


「何です?」


「子供たちからのファンレター。ちょっと、大きなお友だちも入ってるけどね。あぁ、変なのは全部チェックして捨てちゃったから、安心して読んでいいよ」


 私はうんざりしながらそれを受け取って、思わず宙を仰いだ。


 その日は午後から、私たちの機材を乗せたロケットが打ち上げられることになっていた。なんとか雨は上がり、私たち三人は打ち上げ台がそびえる高台を一望できるラウンジで、その時を待っていた。


「何それ? ひょっとしてファンレター?」


 紙袋から適当に摘み上げて読んでるのを、岡はめざとく見つけて冷やかしに来る。


「ひょっとしなくても、ソレです」


「いいねぇ。オレにも届いてないのかな?」


「さぁ。聞いてませんけど」


「オレの人気に僻んで隠してるんじゃね? 羽場さん、結構そういうところで小心者だからなぁ。今度聞いてみよ」


 これまでに何度か小学校や中学校で短い講演をやらされた経験上、彼らの感性は私には毒だとわかっていた。もちろん、授業の一環か何かで、無理矢理書かされたのだろうとは思う。それでも彼らの名付けたウサギが月面で楽しく跳ね回る想像を突きつけられると、ブラックな作風ばかりの私は頭が変になりそうになる。


「現実は甘くない、って話ですよねぇ」


 ソファーに埋もれながら呟く私に、隣に座る岡は慌てたように手を振った。


「5、4、3、2」


 そのカウントダウンは、遠くの高台から発せられた閃光、そして音速の遅れを伴ってやってきた爆音に遮られた。


 小刻みな地震のような振動。硝子壁がピリピリと揺れ、サイドテーブルの珈琲が波打つ。そして六本の補助ブースターを装備したJ1ロケットは、最初はゆっくりと、やがて加速を伴って、宙を切り裂いていく。


「6、7、8、9」


 館内アナウンスのカウントアップが聞こえ始めた頃、既にロケットは薄雲の中へ突き進んでおり、まるで宙に刺さるロケット雲が雨雲を支えているような景色が残されていた。


 いつの間にか立ち上がっていた岡は、ドッカリとソファーに倒れ込む。そして何かを口にしかけたが、結局何も思い浮かばなかったらしい。そのままじっと、煙に包まれる発射台を凝視していた。


 私はファンレターの束を抱えて宿舎に戻る途中、構内の売店に立ち寄り、並んだばかりらしいシーズンズの最新号をペラペラとめくった。


 新人賞結果発表のページには、どこにも楓の名前はなかった。

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