第39話

「生後半年グループの体重、ですね」私はプロジェクターで映し出したグラフを指し示してから、一同に顔を戻した。「赤が地上で推定していた増加予測。それで青が今までの推移。六匹の平均です」


 ふむ、と殿下がうなり声を上げる。


「先日までは誤差かもしれないと考えていたが。ここまで明確なずれが生じるならば」


「えぇ。明らかに成長度合いが大きいです。地上の約、一倍半」


「このまま行けば、九キロくらいまでなるのかね。地上だと六キロがせいぜいだけど」と、岡。


「まぁそこまで行くかわかりませんけど。現状で、一番大きい子が既に五キロあります。それはそれでうれしい事なんですけど、問題は食糧と水です」私はパソコンを操作して、次のグラフを写し出した。「消費量です。これも地上生育時と比べて、一倍半とは云いませんが、1.3倍ほど消費しています」


 このミーティングの場には、基地の仲良し四人組もオブザーバーとして参加し、加えて羽場がチョコチョコと動き回ってカメラを回している。その中から、忙しい合間を縫って参加してくれたドクター津田が目を細め、ペンの先をくわえながら片手を挙げた。


「これは、比較グループを作るべきじゃないかしら?」


「比較グループ?」


 首を傾げる私に、笑みを浮かべる。


「これだけじゃあ、体重の増加が月面環境によるものか、単なる餌の与えすぎなのかがわからないでしょう? だから十二匹を二グループに分けて、一つは今までと同じように好きなだけ食べさせて、一つは地上と同じくらい。そうすれば、もう少し特性がわかると思うの」


「いいですね、それ」


「でも、ですけど」と、岡がドクターに振り向いて口を挟む。「それで痩せちゃったり、身体壊したりしたら」


「その可能性はあるけど、元々半分は成長度合いを確かめるための物なんでしょう? じゃあ活用しなきゃ。繁殖は残りの六匹がいる訳だし」


 あまり納得しない様子ながらも、岡は頷いた。


「でも、それ以上に問題なのはメシのストックだよな。こんなバクバク食われたんじゃあ。それに水の消費も。供給制限解除って、いつ頃になりそうなんです?」


 四人は顔を見合わせ、互いに牽制するような様子を見せる。何だろう、と首を傾げていると、一応最年長でリーダー格の克也が大きく唸った。


「現状、全然見通しが立ってねぇな。詳しくは云えんが」


「ですけど。そうだ、農場も大変ですよね。どうするんです? この状況が続いたら」


 話を振られた戸部と木村は、気まずそうに顔を見合わせる。そして答えたのは戸部だ。


「オレたちは何とも云えないな。水の供給が減ったとしても、結局は隊員の総数と、それに必要な水と食糧の供給が第一だ。農場は既に食糧供給に一定の役割を果たしているから、今のところ供給制限を受ける予定はない」


「えっと、つまり?」


 回りくどい言葉に、珍しく岡が苛立ったように切り込む。すると戸部は椅子に座り直し、背筋を伸ばして言い放った。


「じゃあ、云おう。水の供給は基地運営の根本に関わる問題だ。誰が騒いでどうなる問題じゃあない。そして基地の運営に農場は必要だ。飲み水も、洗浄水も必要だ。けどこの牧場は、今のところ基地の運営に必要不可欠なものじゃあない。つまり、真っ先に切り捨てられる覚悟をしておくことだ。いいか? これは悩んでどうなる問題じゃあない。供給された資源で、何が可能か。場合によっては何かを切り捨てなきゃならないかもしれないが、その決断はキミらがするしかない。事この牧場に関しては、隊長も筑波も大して重要に考えてないはずだからな。加えて、お隣さんは与えられた水で上手くやってる。キミらだけ優遇することは出来ない。だろう?」そのまま続けて、ビシッと羽場を指さした。「おい、今の所はカットだぞ?」


 どちらかというと私は、多少酷なことでも、こうして真っ直ぐに説明してくれた方が有り難い。


「つまり、ウサギ牧場は元々おまけなんだから、恵んでやってる水で適当になんとかしろ、ってことですね」


 解散して四人プラス羽場だけになった所で、私は考え込みながら呟く。殿下は考え込むときのクセで眉間に皺を寄せ、低く唸った。


「確かに、総研チームを比較に出されては、こちらも弁解のしようがない。とはいえ、最終的には基地に資源を供給するという目標がある。それを何処まで遅らせ、縮小させるべきかは、我々では判断出来んよ。それを私たちだけで何とかしろとは。彼の云うことは無茶苦茶だ」


「無茶苦茶」彼から聞く初めての言葉に、苦笑した。「そうでしょうか。実際この牧場って、誰からか何か重要な期待を受けていた訳でもないじゃないですか。そりゃあ肉が食えたら嬉しいでしょうけど、結局贅沢品ですもん。そもそも私たちがここにいるのって、公団の広報が第一の目的だったじゃないですか。だから公団にはウサギ牧場についての明確なビジョンなんてないし、月面での動物の飼育については筑波のタスクチームも素人同然だし、運営チームにしたって好意で手伝ってくれてるだけで。ひょっとして私たちって、月面に来たことで、もう役割を果たしちゃったのかも」


「おうおう、ゴッシーさんよ。下手なこと云うもんじゃねぇぜ」


 大分凹んでる風な岡の台詞にも、私は苦笑する。


「でも、置かれてる現状を正確に把握するのは重要ですよね。でも、その先は考えようですよ。誰からも重要視されてないってことは、それだけ好きにやってもいいってことですし」


「キミは何だか、月面に来てから随分ポジティブになったな。とても楽観視出来る現状ではないと思うが」


 しかめっ面の殿下に、笑みを浮かべる。


「んー、何というか、面倒なことを誰かのせいにするのは簡単ですけど、それって自分が何もしなくていい言い訳に使えちゃうんですよね。それって何だか、傲慢だな、と」


 珍しく哲学めいたことを云ってしまったせいか、目を丸くして黙り込む三人。そこで例によって空気の読めない羽場が、カメラのファインダーから目を上げて、グッと親指を立てる。


「うん! いい! いいね青春だね! これは星雲賞もののドキュメンタリーになるよ!」


「星雲賞ってSFの賞じゃなかったです?」


「オレたちフィクションかよ。つか、マスドライバーからこっち、暇そうっすね羽場さん」


 呆れた風な岡の台詞に、彼はパチンとカメラのディスプレーを閉じながら肩を落とした。


「嫌だな岡ちゃん、ボクの広報任務は終わった訳じゃないんだから。これも仕事よ? あれからウサギたちがどうなったのか、ボクのドキュメンタリーの続きを期待してるユーザーが一杯いるんだから。それにさ、ボクはボクなりに応援してるのよ? 裏で筑波に圧力かけたりさ。少しは感謝してよ」


「っても、じゃあ何でさっき、戸部さんに文句云ってくんなかったんすか」


「だって事実だもん」と、ため息混じりに。「残念だけどさ。ウサギ牧場は、墜落事故の影響で空いた穴を、無理矢理埋めただけの物。正直、公団はそういう認識だからね。水の供給量は増やせないと思うよ?」


「そうは云っても、何かアイディアくらいあるでしょう? 博士でしょ羽場さん」


「博士ったってさ。キミらは気づいてないかもだけど、博士も高専生も、そんなに差はないんだよ」


 んな馬鹿な、と、岡とテツジが声を揃える。


「いやいや、真面目な話。実際さ、ボクが仕事で使う数学の基礎なんて、難しくて微分積分行列程度なんだよ。それより難しいのなんて理論天文学者とか物理学者くらいしか使わなくてさ、キミらもボクも持ってる基本は同じなんだよ。そっから先は専門が細分化されてって、それ以外のことは全然わかんなくなる。例えばボクは論理演算は得意だけど、ウサギの血液だとか栄養だとかなんて全然わからないし、農家の二人はバイオのプロだけど、溶接なんて出来ない」


「それは、やったことないだけでしょ。簡単っすよ?」


「そうだよ。やったことない。つまりさ、誰も宇宙でウサギ牧場なんて作ったことないんだ。ここで起きた試行錯誤を知ってるのはキミらだけで、他の連中は綺麗に整理された結果を見てるだけでしょ。云いたいこと、わかる? 逆にさ、キミらは機械科って云っても、学校で化学とか電気とか勉強したばっかでしょ? そりゃあボクも学校で勉強したけどさ、忘れちゃったよとっくに。なんかあったよね、モルとか、キルヒホッフとか。何だっけアレって? まぁそんだけ、キミらにはキミらにしか出来ない事って、すっごく沢山あるんだよ。今からボクに牧場引き継げって云われても、無理、不可能って答えちゃうよ真面目な話。つまりさ、戸部っちにしても、上手い解決方法なんて思いつかないんだ。けど馬鹿なの認めたくないもんだから、偉そうに建前を云っただけなのよ」


 モルは混合液の成分比を表す単位で、キルヒホッフの法則は電気回路の決まり事だ。


 そう授業で習ったことを思い出しながら、私は漠然と牧場を見渡した。飼育駕篭の殆どはまだ空で、十二匹の白い毛玉が暇そうにもぞもぞと蠢いている。三層ある牧草棚も青々と生い茂っているのは二層だけで、一番下の層は半ば物置になっている。


 月に来て、まだ二月弱。全然、まだまだ、何も出来ていない。


「そうは云われてもな。オレらが基地の水を増やすことなんて出来ないし。それはどうにもならんから、じゃあ出来ることは、もっと水を節約する方法を考えることだけど。どう? 誰か名案は?」


 岡の振りに、殿下が軽く片手を挙げた。


「考えてみたんだが。水の供給が減らされているのは、我々だけではないだろう? 多目的モジュールBは?」


「朝、ちょっとその話をして」と、私。「虫牧場は水の再循環率が異常に高いらしいです。だからそれほど困ってないと」


 ふむ、と喉の奥で唸って考え込む殿下。しかしそれ以上彼から何か言葉が出てくる事はなく、それは私たちにしても同じだった。


 とにかく悩もう、と岡は話を収束させて、今日の当直である私を残して施設を出て行く。


 私は一通りのチェックとレポートを作り上げ、ベッドに横になりながら頭を悩ませてみたが、やはり何の名案も浮かびそうもない。ウサギたちはグウグウと特有の鳴き声を上げながら、それでも半ばは眠りについている様子だった。水耕栽培部は丁度環流タイマーが作動し始め、層と層の間をさらさらと水が流れ、栄養素の補充等を行うための調水槽がフル稼働している。


 私はそれらの間を歩きつつ、足は自然と例の隠しポイントに向かっていた。あれから何度か昼間にも潜んでみたが、全く誰にも気づかれる気配はない。考えれば考えるほどニコチンが欲しくなるのは、中毒者の悲しい性だ。これなら真面目に煙草を吸ってもばれないな、と確信を持ちつつも、そもそもの煙草が存在しない。


 あるいはテツジは隠し持って来ているのでは、と一縷の希望を抱いたりもしたが、第一あのテツジだ、仮に持ってきていても無理難題を云って優越感を得つつ、結局恵んでくれるはずもなかった。


 だいたい、こっちから頭を下げるなんて願い下げだ。


 そう件のポイントに座り込みながら、勝手に彼の憎たらしい顔を思い起こしてプリプリする。そうしている間に、無為に床のコンクリートを撫でていた指先が、不意に何かの屑を拾い上げていた。


 当然のごとく、ウサギの寝床から零れ落ちた藁か何かだとしか考えない。しかしそれにしては妙に太く、円筒で、なんだか酷く懐かしい触り慣れた感覚がするのだ。


 それに気づいた途端、私はぎょっとして、その小さな円筒の屑を明かりに透かしてみる。


 その一方が焦げ付いた真新しい紙の筒には、キャメル、と英語で書かれていた。

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