第38話

 その日の内に水の利用制限が基地から正式に発表され、私たちは牧場稼働早々に再循環水のみでの稼働を余儀なくされてしまった。計算上では一月ぐらいならしのげるはずだったが、その計算には十分な根拠がない。日々の牧場の運営で蓄積していく予定のものだったからだ。そこで私たちは、苦肉の策として三層ある牧草育成モジュールのうち一つの稼働を見合わせることにした。まだ種まきもしていないモジュールなので特に問題はなかったが、将来的な餌不足を誘発する危険性はあった。


 アームストロング基地の事件の真相、それに基地内の警備強化については箝口令が敷かれていて、上井や農家の二人は容易に口を開こうとしなかった。私は折を見て司令センターの防諜活動を行ってみたが、なかなかタイミングが合わず、肝心の会話を耳にすることが出来ずにいる。


 ただ、ドクターの奮闘だけは時折聞こえてきていた。


「なんとか、解毒薬の合成に成功しました。これで軽傷者に対しても、積極的な治療が出来るはずです」


「よくやった。早速アームストロングに向かってくれ」


 隊長の指示を受けて、駆け出していくドクター。まったく、勝田さん以上に優秀な女性はいないものだとばかり思いこんでいたが、彼女はまさに男勝りだった。


 しかし、他にも問題はある。私が月に来ることになってしまった出来事以来の謎だった、殿下の正体。それがこんな所に来てからクローズアップされるというのも、なんだか凄く今更な感じがして、探求しようにも切っ掛けが掴めなかった。彼に直接尋ねるのも何だか気が引けていたのだが、今日は殿下の宿直の日だ。朝食の席には岡とテツジだけで、絶好の機会とも云える。相変わらず訳のわからない与太話を続けている彼らに、私は可能な限りさりげなく割り込んでいった。


「そういえば、殿下って。何者なんです?」


 途端に口を噤む二人に、ちょっとストレート過ぎたかな、と後悔する。しかしそれは私の考え過ぎだったらしく、彼らは一様に首を傾げて顔を見合わせた。


「何者って。殿下は殿下だろ?」と、岡。


「つか、そういや、何で殿下なの?」


 と、テツジ。岡は一瞬硬直して、口をパクパクとさせた。


「えっと。どっかの国の殿下なんだよ」


「何処の?」


「シラネ」


「聞いたことねぇな、シラネなんて。アフリカ?」


「シエラレオネとかいう国、なかったっけ?」


「シラネーよ」


 訳のわからないループに入り込んでいる。何とか他の手段で調べられないかな、と箸を咥えて考え込んでいるところに、ふらりと隣に固まって座る一団がいた。視線を感じて顔を向けると、久しぶりのような気がする鳥取さんが、例の柔らかい笑みを浮かべながら軽く頭を下げていた。加えて、相変わらずこちらを完全無視な勝田さん、イマイチ立ち位置が掴めないダンディー豊橋さん。彼は先行隊で来てからテツジと仲良くなったらしく、軽くこちらに片手を挙げ、テツジも軽く頭を下げる。それと同時に、鳥取さんは私に話しかけてくる。


「どうも。狭い基地にいるのに、お久しぶりですね」


 やっぱり久しぶりだったらしい。私は無理に余所行きの笑みを浮かべる。


「あー、そうですねぇ」と、ふとチャンスを掴んだ気がして身体の向きを変えた。「そういえばそちらのチーム、水が削減されて、どうなんです?」


「あぁ、まぁ、ウチは元々、水の再循環率が高いですからね。それで運用にかかる費用を削ってるってのもありますし」


「へぇー。凄いんですねぇ。ウチは結構パンパンで」


「そうですか。何かお手伝い出来たらいいんですが」


 いい感じだ。と思っていたところで、真っ直ぐに背筋を伸ばしながらご飯を食べていた勝田さんが、これ見よがしに咳払いする。途端に鳥取さんは怯えるように首を縮め、曖昧な笑みを浮かべながら茶碗を手に取る。


 まったく、感じ悪い姑みたいだな。


 そう心の内で舌打ちしていると、不意に豊橋さんが気味の悪い笑い声を上げ、机に肘を乗せながら私に向かって身を乗り出させた。


「あぁ。キミ。五所川原さん? だよね?」


「え? えぇ」


「ウチの女王様は固くてね。気を悪くしないでくれ。一応こちらも仕事で来てるもんで、下手なことは云えないんだよ」


「黙って」


 鋭く口を挟む勝田さん。しかし豊橋さんは鳥取さんほど尻には敷かれていないらしく、戯けたように身を引きながら苦笑した。


「まぁいいじゃないか、せっかくこんな地の果てで巡り会ったんだ。友好を深めたって、出世には影響ないだろう? 尤も、ボクはそんなのはとうに諦めてるが」


「いやぁ、さすがの豊橋さんでも。ゴッシーは難しいと思いまっせぇ」


 ニヤニヤとしながら云ったテツジ。訳がわからず首を傾げると、豊橋さんは私の手を掴まんばかりに身を乗り出した。


「でも、やっぱり運命だろう? こんな、地球から何十万キロも離れた所で出会ったんだ」


「いや、単なる偶然だと思いますけど」


 身を引く私に、彼は首を傾げながらテツジを見る。


「ボクのコレクション、セイラさん陵辱同人誌じゃ釣れないかな?」


「無理ちゃいますかねぇ」


 テツジの答えを受けて、ストンと腰を下ろす。


「そっか。やっぱり女性にはボーイズラブものがいいのかなぁ。持ってくるコレクションの選択に失敗したかも。スレッガーさん陵辱ものとか、どう?」


 変態だ!


 心の中で叫びながら、胸の前に両手を開いて壁を作った。


「いえいえ、遠慮しておきます」


「そういえば」と、勝田さんが食膳に顔を向けたまま声を発した。きっと聞くに堪えなかったのだろうな、と想像しているところで、彼女は思いがけないことを言い出す。「例のアームストロング基地の事故。テロリストの仕業だっていうけど、本当かしら」


 彼女以外の五人が、戸惑って顔を見合わせる。口を開いたのは豊橋さんだ。


「まぁ、そんな噂もあるけどね。平和主義者のキミとして、テロはどうなんだい? 単なる無差別殺人? それとも有効な抵抗手段の一つ?」


「それより心配なのは、この基地も安全なのかってこと」


「まさか。この基地もテロにあう可能性があると?」豊橋さんは苦笑した。「それは考えすぎじゃないかなぁ。第一、この基地は日本人ばかりだろう?」


「それがね。どうもそうじゃないらしいの。この基地にも、イスラムと関係のある人間がいるらしくて。佐治さんが調べてるらしいの」そこでようやく、彼女は私たちに顔を向けた。「そういえばオタクの佐藤さん。亡命王子様でしょう?」


 どうしてそんなことを、彼女が知っているんだ?


 目を白黒させている私たちに、ふと嘲笑を浮かべる。


「あら、知らなかった? 彼は中央アジアにある国の、正当な王子様でね。お父様が民主革命で追い出されてから、ずっと日本にいるの。でも毒ガス戦争の煽りで政府はボロボロ。旧王家に繋がりのある反政府勢力が、国内を制圧しようと攻勢に出てるって」


「それと殿下と、何の関係があるって云うんです!」


 思わず叫んだ私に、彼女は呆れたようにため息を吐いた。


「現政府はアメリカの傀儡。そして旧王家は、イスラムの教えを受け継いでいた。つまりイスラム系反政府勢力の旗印は、オタクの佐藤さんってこと」


「そんな」


 馬鹿な、と言い掛けた所で、岡が久し振りに真面目な顔をして口を挟んだ。


「だとしても、そりゃあ殿下に何の関係もないことだぜ? もし何か関係がありゃあ、公団がここに来るの許すはずがねぇだろ。それよりアンタの方が怪しくねぇか? アンタの団体のホームページ見たけどさ。平和運動とか云っておきながら、結局反米反グローバリズムじゃん。毒ガス戦争には黙んまりなクセに、アメリカ主導の平和維持軍構想には大騒ぎ。革命の大勝利のためには弱者のテロだって肯定する。しまいにゃあ簡単に殿下にレッテル貼ってよ。何処の工作員だよソレ。こんな国境もないトコに来ておいて、未だに頭ん中が七十年代なんてな。くだらねぇデモなんてする前に、現地に行って人助けでもしてくりゃぁいいんじゃん?」


 まるで予想していなかった反撃だったのだろう。急激に勝田さんは顔を真っ赤にして口を開きかけたが、絶妙のタイミングで豊田さんが笑い声を上げた。


「ハハ、いやいや、朝食の話題には少々重いんじゃないかな。胃もたれしそうだ」


「そうっすね」途端に岡は表情を緩めて、席を立った。「行こうぜ」


 促されて、私とテツジも席を立つ。そしてウサギ牧場に向かいながら、私はすぐに尋ねた。


「何か、凄いこと云ってましたね、岡さん」


「ロッカーの基本、ラブアンドピース。あんな左翼と一緒にすんなよ」


 あぁ、そういうことか。


 それにしても意外だったな、と思いながら、岡の背中を追う。彼の口から政治が出てくるなんて、まるで考えもしなかった。当の彼はふと扉の前で立ち止まって、私とテツジに云う。


「とにかく、殿下がテロに関係あるはずもねぇ。だろ?」


「えぇ。それは」


「じゃあ、いつも通り。な」


 全く、こうした所が、彼が私たちのリーダーとして相応しい。


 それにしても、総研グループが全く水に困っていないという情報が得られたのは、一つの大きな収穫だった。


 何とかして、彼らの再循環技術を盗めないだろうか?


 そう自然と考えてしまうほど、最近はウサギ牧場での破綻が見え隠れし始めていた。日々取得したデータをグラフ化してみると、地上での推定とのずれを予知させる大きな角度の急上昇が現れ始めたのだ。

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