第24話

「よいしょぉ! よいしょぉ!」


 それこそ餅でもつくかのようにして、テツジは連呼しながら繰り返し繰り返し杵を叩きつける。私は何だか急に笑いがこみ上げてきたが、それを無理に飲み込み、何とか真面目な叫び声を上げていた。


「おい! 遊びじゃねーんだよ! 真面目にやれ!」


「まっ」それで彼も、何かが違うとわかったらしい。「っつっても、じゃあ何て叫べばいいの?」


「叫ばなくていいだろ!」


「そんじゃ気合い入んねーだろ」


「何でもいいから手を止めるな」


 ディーさんが死ぬかもしれない。そんな緊迫感に覆われていた司令室だったが、なんだかテツジのおかげで全員の気が抜けてしまったらしい。注意する佐治の声も何だか中途半端で、まるで威圧感がなかった。


「それより、行けそうか? あと三分だ」


「削れては、いるっすけど、コンクリ、結構、堅いっすね、これ!」再び餅をつきながら、彼は叫んだ。「コンクリ! この! コンクリ! 堅い! この!」


「気をつけろテツジ!」エアロックで待機している克也が、無線越しに叫んだ。「月面基地のコンクリは、水をケチってる! 地球並な粘性は」


 その時、テツジの悲鳴が無線に響いた。同時にムーンキーパーを捉えていたカメラは、まるで地下水の暴噴のような映像を送ってきた。


 テツジが必死に叩いていたコンクリート壁。その周囲に亀裂が広がったかと思うと、次の瞬間には周囲の砂礫や破砕したコンクリートを吹き飛ばした。すぐに画面は砂嵐に覆われたかたが、ジョーはすぐにライトを灯し、砂塵の奥に消えたムーンキーパーに向かってスラスターを噴射させた。


 渦を巻く砂は、ライトに照らされ様々な影を造る。その中には無数の小石も含まれていて、絶え間なくカツカツとカメラに当たる。


 間もなくカメラは、何とか膝を突いて堪えているムーンキーパーを捉えた。すぐ脇には天文台の中にあった空気を噴出させている、直径二メートル程の大きな穴がある。


「テツジ!」


 叫んだ私に、すぐに彼は答えた。


「くっそ、生きてる!」


 その間にもパワードスーツは、風圧にあらがいつつ穴に近づく。そこからは、無数の書類、ペン、機材といったものが絶え間なく投げ出されていた。下手に当たれば宇宙服に穴があく恐れがあったが、パワードスーツにとって、その程度の物は害にならない。鈍い衝撃音を響かせながらも開口部ににじり寄ると、すぐに内部の様子がスクリーンに届いてきた。


 急激な減圧で、様々な物が投げ出され、宙に舞う。


 一瞬、大きな椅子がカメラに迫ってきた。まるで自分に向かって飛んでくるような気がして、私は思わず、ヒッ、と声を詰まらせる。そこは当然、プロの軍人だ。ジョーは華麗にそれをかわしていたが、しかし彼は次いで、グラグラと揺れるコンピュータラックを視界に捉えていた。


「おい、ヤバい!」


 彼が叫んだ、その時だった。ディーさんが中に入っているラックは、自らを固定していたアンカーを引き千切り、ブワッと宙に舞った。


「ジョー!」


 叫ぶ佐治。直後に彼は叫び返していた。


「無理だ! 下手に抑えると、向こうが壊れる!」


 倒れ込むジョー。その目の前を、ラックは高速で過ぎっていく。


 カメラは一瞬の後に、その姿を追う。


 神々しく輝くベテルギウス。そこに向かってディーさんを納めたラックは、鈍い回転をしながら吹き飛ばされていった。


「追え! 追え!」


 叫ぶ佐治。


「さすがにあの速度じゃ、月の重力圏を抜けることは出来ない」震える声で、羽場が呟いた。「でも、あそこから墜落したら」


 軽く百メートルは、宙を舞っている。


「テツジ! テツジ!」


 叫ぶ私に、すぐ応答があった。


「わーってるって!」


 ドスン、ドスンと音を響かせながら駆ける一号機。彼はいち早く砂埃の中を飛び出していたパワードスーツを追っていく。


「クソッ、JTVで遊びすぎた!」ジョーは叫びつつ、スラスターで月面を滑る。「スラスターの燃料がヤバい! 追いつけるかわからん!」


 それでも彼は、一か八かの挑戦を選んだ。僅かに腰を屈めて力を溜めると、足の力でジャンプしつつ、スラスターを全開にさせる。


 白金色の炎を発し、飛ぶジョー。瞬く間にカメラの映像は宙を舞うラックに近づいていったが、その速度は不意に弱まり、フラフラと定まらなくなってきた。


「駄目か!」


 叫ぶジョー。その時、固唾を飲んで推移を見守っていた佐治が、不意に膝を叩いて叫んだ。


「ジョー! ロケットランチャーだ!」


「あぁ? 何云ってんだ! ラックを破壊しろってのか!」


「違う! 推力にするんだよ!」


 一瞬の後、ジョーの感嘆した声が響いた。


「あぁ、オマエ賢いな!」


 彼は宙を舞いつつ姿勢を変え、ラックに背中を向ける。そして腕のパネルを操作し、右肩に装着しているランチャーを月面に向けた。


「無反動機構解除、発射!」


 バッ、と例の砂散弾が発射される。だが必要だったのは、ミサイルを発射することによって得られる反動だった。更に一段、宙に向けて加速するパワードスーツ。


 そしてジョーの、精一杯伸ばされた左手は、辛うじて回転するラックに届いた。すぐに胸元に引き寄せ、抱えるジョー。だが放出の際に加えられた回転エネルギーを治めるほど、スーツの燃料は残っていなかった。バッ、バッ、と断続的に姿勢制御用スラスターを噴射させるが、ぐるぐるとした回転、それに月面に向かって落ちていく速度は和らげられない。


「畜生! これじゃあ無事は保証出来んぞ!」


「テツジ! 追いつけそう!」


 叫んだ私に、彼はゼイゼイと息を喘がせながら答えた。


「なんとか、届きそう、だけどよ!」


 回転するパワードスーツのカメラが、次第に大きくなってくる月面の岩場、そしてテツジの一号機を捉える。互いの速度、それに角度的に、かなりギリギリだ。


「気合い出せよ! 何やってんだよ! 走れ! 走れ!」


「うるせぇ! ちょっと黙って」


 不意にテツジが、あっ、と叫んだ。そしてカメラに映る一号機が、見覚えのある動きで膝を崩し、ゴロゴロと月面を転がった。


「クソッ! だから砂は駄目だって云ってんだろ!」


 舌打ちしつつ叫ぶテツジ。


 天文台の気密が失われた時に起きた、砂嵐。それはまたしてもムーンキーパーの関節にダメージを与え、膝を破壊してしまった。


 私は完全に、言葉を失う。テツジは何とか片足で立ち上がろうとしていたが、そんなことは不可能に決まっている。


 一号機の目の前を、すうっ、と落ちていくジョーとディーさん。


 私は思わず、手にしていたマイクを落とし、それを見つめる。


 もはや、手の打ちようはない。


「ベン! LRVを横付けさせろ! それと緊急蘇生措置の準備を!」ジョーも観念してか、矢継ぎ早に指示を下す。「クソッ! 誰だ超新星爆発が世紀の宇宙ショーだなんて云ってたヤツは! フザケんな!」


 そう、私たちが、この大宇宙というものを侮っていなければ。


 こんなムーンキーパーなんか造ったり、ゲーム機如きで遊ぶのに夢中になっていなければ。


 そう思ったところで、混乱した私の頭は、更に混乱する。


 あれ、でもムーンキーパーを造らなきゃ、そもそもディーさんは天文台に閉じこめられたままだったワケで。それにPS7争奪戦なんて馬鹿馬鹿しい戦いが起きなければ、こうしてジョーたちの助太刀も期待できなかったワケで。じゃあ私たちが遊んでいたのは、あながち無駄だったワケでもないワケで。


 いや、何でこんな時に、無様な言い訳を考えてるんだ、私は。


 そう辛うじて理性を取り戻した時、私はその現実逃避と現実の狭間から、無意識に一つの記憶を探り出していた。


 そうだ、それだ!


「テツジ! トリモチ!」


 マイクを拾い上げ、叫ぶ。すぐに彼の混乱した声が返ってきた。


「あ? 何?」


「トリモチだよ! 撃ち込め!」


 一瞬の間。だがすぐに彼も理解したらしく、意味のわからない叫び声を上げながら一号機の頭部を取り外し、変形させ、墜落してくる一つの固まりに、銃口を向けた。


「ね、狙い撃つ!」


 震える声で叫んだテツジ。


 そして発射された白い玉は、辛うじてラックの角を掠め、バッと大きく広がった。

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