第23話
タイムリミットは、刻々と迫っている。司令室での議論で五分を消費し、残り十分。最短でそれで致死量の宇宙線が降り注ぎ、ディーさん、それに救助活動を行う隊員たちの命を奪ってしまう恐れがある。そのため司令室には最低限の人員だけを残し、他は全員、かぐや基地の一番深いエリアに待避させられた。
「五所川原、オマエも待避だ」
私は当然のように佐治に云われたが、こちらも当然のように返す。
「嫌ですよ。テツジがヤバいのに、私だけ逃げるなんて」
「しかしオマエが居ても、何の役にも立たん」
「そう思います? テツジを上手いこと制御できるの、私くらいだと思いますけど」それでも言葉を重ねようとする佐治に、私は押し込んだ。「はい! 時間がないです。これで終わり!」そして私は通信機を耳に装着し、話しかけた。「テツジ、どう?」
僅かな間の後、相変わらずな彼の気怠い声が響いた。
「なんつーか、ワケわかんねーことになっちまったなぁ」
「まぁ、責任の一端は私らにあるワケだしさ。だいたいアンタのロボット、大活躍の巻じゃん。頑張りなよ」
「ういうい」
そしてエアロックの外、月面を映し出している監視カメラ映像に、彼の乗る一号機の姿が現れた。テツジは軽くムーンキーパーを屈伸させて調子を確かめると、機体を旋回させ、天文台の方向に向かって大きくジャンプする。
向かう先には、アームストロングの巨大LRV、そしてジョーの乗るパワードスーツの姿があった。彼はスラスターを噴射させて宙に飛び、再び天文台の白いドームの中に飛び込んでいく。
私は視線を、正面スクリーンに向ける。パワードスーツの視線映像。それが例の小窓に近づいていくと、軽く指先で叩いてディーさんの注意を向けさせる。そしてすぐに飛んでくる彼女に対して、ジョーは腕のメッセージパネルを向けた。
彼女は既に死を覚悟し、下手な救出作戦で二次被害を出されるのが嫌だったのかもしれない。それで最初は、なにをしている、早く逃げろ、というように片手を振っていたが、それでもパネル上の文字の存在に気づくと、目を丸くし、怪訝そうに首を傾げ、背後のコンピュータラックに目を向けた。
そして再び、窓に目を向けるディーさん。その彼女に対し、ジョーは身振り手振りをする。ラックに入れ。それからオレたちが外壁を破壊し、搬出する。
ようやくディーさんは作戦の概要を理解したらしい。ラックを指し示し、すぐにそこに飛んでいき、中を確かめる。
「よし、さっさと入ってくれ」
状況を確認しながら、呟く佐治。
だが、彼女はそうしなかった。不意に踵を返すと、周囲を見渡し、あちこちに飛んでコンピュータのコンソールを操作し始める。
「何だ! 彼女、何をやってる!」
苛立たしげに叫ぶ佐治に、羽場がため息混じりに云った。
「研究成果を確保しようとしてるんだ。減圧されたら、色々全部吹っ飛んじゃうかもしれないし」
「何だって? そんなことしている場合じゃあ」
「あっあー、こちらテツジ、こちらテツジ」そう、彼の声が割り込んだ。「着きましたけど。もう、ぶっ叩いてオッケーすか?」
「ちょっと待って」私は答え、正面スクリーンに目を戻す。「参ったな。ディーさん、そんなことしてる場合じゃないでしょ」
呟いている間にも、彼女は大慌てで幾つかのコンソールを行き交い、平行でキーを叩き、記憶装置を引き抜いて机に積み重ねていく。
それはここ二週間に渡るベテルギウス観測記録は、彼女にとって非常に思い入れがある物に違いない。
彼女は、云っていた。
『冗談じゃありません! そんなに簡単に諦めるなんて。それは確かに、今の科学は万能ではありません。でもそれで諦めたら、私たちは何のために宇宙に出て、月にまで来てるって云うんです?』
彼女は非常な苦労をして大学に進み、日本にやってきて、天文台に潜り込んだ。彼女自身は大したことはないような口振りではあったが、あんな異国に来て、誰の助けもなく、たった一人でここまで来たことを考えると。とても生半可な意志だとは思えない。
意志。
それは、星が好きだという単純な物かもしれない。加えて彼女は、科学の進歩、未知への挑戦が、人類の果たすべき義務だという風に信じているのかもしれない。
その心情を、簡単に想い計ることは。彼女にとって失礼だろう。
けれども、こんな状況で。自らが命を失いかねないという状況で、二度までも。こんな選択を出来るだなんて。
そうだ。佐治も云っていた。
『夢ってのは、望みだろう? 今の自分にない物を追い求める。そんな物が、黙ってて手に入るはずがないだろう。手を伸ばして、爪先だって、ようやく指先を掠めるんだ。違うか? 要は、自分をどれだけ信じられるかって話さ』
彼女は自分の目的、理想を追い求めるためには、自らの死をも厭わない。そこまで自分自身を突き詰め、純化し、そしてその結果として。ベテルギウスの未来を見通せる力を得た。
そんな風に自分を突き詰め、人類の未来のため。あるいは自分自身の夢のために。頑張ることが。
私には、可能だろうか。
彼女のように自らの死を忘れ、何事かを突き詰めることが。
私には、出来るんだろうか。
そう思うと、軽々しく彼女を批判する気にはなれない。それは羽場や佐治にしても同じようで、苛立たしく監視カメラ映像を眺めてはいたが、何故か何処かに、彼女の行動を賞賛するような、諦めに近いような表情も浮かんでいた。
けれども。
「羽場。電力遮断」
それまで、黙って佐治の指揮に任せていた隊長が、重々しく云った。
一斉に、彼に視線が集まる。
隊長の表情は、これまでに見たことがないほど、完璧な無表情だった。
「どうした羽場。天文台の電力をカットしろ」
繰り返され、羽場は僅かに身を縮ませた。
「え。いや。それは、効果的な手かもしれないけれども。でも彼女も必死で、超貴重なデータを守ろうと」
「いいからやれ。これ以上、子供の我が儘に付き合っていられない」そして彼は、付け加えた。「これは命令だ」
完全に、板挟みになった羽場。それでも彼は命令という言葉に追い込まれた様子で、困惑しつつも電力網の操作パネルに向かった。
「やれやれ。ホント、ここにいると色々と人生について考えさせられるよ。参ったね」
愚痴りつつ、パン、とキーを押し込む。
途端に監視カメラの向こう側では、変化が現れていた。不意に全てのコンソール画面がブラックアウトしたのを見て取り、ディーさんは混乱したように身を震わせ、監視カメラを見上げ。そして次いで、積み上げていた記憶装置を抱え、ようやくコンピュータ・ラックに向かった。
「よし」多少気まずそうにしつつ、佐治が声を上げた。「テツジ、場所は間違っていないな? 基地を背にして、天文台の九時の位置。そこが一番、隔壁が薄い」
「大丈夫っす。図面は頭に入ってるんで」
コンピュータ・ラックの中にディーさんの姿が消えるのを確かめ、佐治は云った。
「いいか、わかってるな? 気密が保たれるとはいえ、絶対零度近い月面の温度、それに放射線は防げない。壁を破壊したら、迅速にラックを回収、そしてLRVに運び込むんだ。残り時間は、あと八分。とにかく一刻を争う。五分以内に破壊出来なければ、諦めて撤収だ」
「了解っす」
「じゃあ、いつでもいいぞ。とにかく全力でぶっ叩け!」
「おいっす」
相変わらず、気力の感じられない彼の声。パワードスーツはドームの中から飛び立ち、テツジの乗る一号機の姿を捉えていた。両足を開き、灰色の砂地にしっかりと足を食い込ませる一号機。それはおもむろに背中に手を伸ばすと、少しでも破壊力を増させようと先端部を尖らせた杵を手に取り、両手で握りしめる。
「せーの」
云いながら、テツジは大きく、杵を振りかぶった。
「よいしょぉ!」
声と共に、杵はドームと砂地の隙間に突き刺さる。途端に周囲の砂がブワッと宙に舞い、パワードスーツの足下も僅かに揺らがせた。
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