第22話

「四方だ」隊長は館内放送をオンにし、マイクに向かって云った。「運営班以外の全隊員は、五分以内にフロアB2以下に待避。繰り返す。運営班以外の全隊員は、五分以内にフロアB2以下に待避。設備班は三次緊急マニュアルに従って関係装置を安全停止せよ」


「繋がった! 監視カメラの映像が見れるよ!」


 羽場の叫び声。佐治は素早く指示を下した。


「正面スクリーンに」


 間もなく、巨大なスクリーンには九分割された監視カメラ映像が映し出された。天体観測室をあらゆる角度から撮影している物で、中の一つは天井に取り付いているディーさんの後ろ姿を捉えていた。


 佐治はジョーと通信し、彼女の注意を背後のカメラに向けさせる。すると彼女は再び例の紙片をカメラに突きだし、必死に何事かを叫んでいた。


「こちらからメッセージを送る方法はないのか!」


 叫んだ佐治に、羽場は頭を抱えた。


「それがあれば、とっくにやってるよ!」


「あれ」不意にテツジが、鈍い声を上げた。「そこのラック、何で倒れてんの?」


 彼が指し示す先。それは彼がコンピュータの設置を一緒に行っていたラックの一つで、中二階から転がり落ち、エアロック付近を塞ぐ形で転がっていた。


「コイツだ」羽場が鋭く云った。「コイツがガンマ線の影響か何かで吹っ飛んで、倒れるついでに、いろんな回線を引きちぎっちゃったんだよ」


「しかも本館との通路を塞いでる。アレの重さはどれくらいだ?」


 佐治の問い。答えたのはテツジだった。


「確か百キロくらいのコンピュータが、三十台くらい積んであったっす」


 そこから先は、云うまでもない。


 三トン。


 僅かな沈黙。だがそこは訓練された軍人だ、佐治がすぐに沈黙を破り、腕組みしつつ声を上げた。


「状況を整理しよう。あと十五分から三十分以内に、直撃を食らったら死にかけない宇宙線放射がある可能性が高いらしい。天文台に繋がる通路は遮断され、エアロック三つと三トンのコンピュータ・ラックを突き破る必要がある。最悪なのは」と、彼はラックが倒れ込んだ一角を、ポンポンと叩いた。「宇宙服が格納されているラックは、この裏にある。それでカーン博士も、宇宙服を身につけられないでいるんだろう。なにか手は?」


「出来ない事を云っておく」まず最初に、回線越しの克也が云った。「十分以内にエアロック三つも破壊するのは不可能だ」


「なら、外壁を破るしかない。方法は?」と、佐治。


「それを考えていたが、十分以内となると、用意できる手段が限られる。破砕機は足がノロくて間に合わんだろうし、他の機械も宇宙線の影響で使えるか怪しい」


「云っておくが」こちらも回線越しのジョーが口を挟んだ。「パワードスーツはパワーはあるが、工作機械じゃないんだ。この覗き窓を破ることくらいは可能だろうが、鉄板やコンクリートにでかい穴を開けられるかは、わからん。成果は保証できない」


「いや、いや。ムーンキーパー」


 パチンパチン、と指を鳴らしながら云う佐治。克也がすぐに同意した。


「実はオレもそれを考えていた。あの杵でぶっ叩けば、外壁に人が一人通れる程の穴を開けることは可能かもしれん」


「問題はカーン博士だ。どうやって気密を保たせる? どうやって月面経由で基地に運び込む?」


 再び沈黙。そこに運営の一人が、怖ず怖ずと手を挙げた。


「穴をあける。完全に減圧する前に宇宙服を放り込んで、トリモチで気密を確保する。そして宇宙服を装着して貰う」


「無理だ!」羽場が叫ぶ。「映画じゃないんだ! 佐治みたいな軍人ならまだしも、ディーちゃんがそんな急減圧に耐えられると思えないよ!」


 喧々諤々の議論がわき起こった。一秒以内の減圧ならば耐えられるはず。いや、こんな緊迫した状況で、正常な判断力が残っているとは思えない。無理。不可能。


 私なんかが、そんな議論に口を挟めるはずがない。それでただ呆然として彼らの動きを追っていたが、ふとテツジが、テーブルに広げられた図面類を眺めているのに気が付いた。


「何してんの」


 尋ねても、彼は例の感情の読みとりづらい顔をしているだけで、答えない。それで彼が覗き込んでいた図面を一緒に眺めてみると、それは観測室に設えられている、例のコンピュータ・ラックの設計図だった。


 及川工業製、月面基地向けコンピュータ・ラック。型番CV-2025-42rev2。


 そこで私は、ふと、首を傾げた。


「及川?」


 どうやら想像は当たっていたらしい。テツジはバリバリと頭を掻き、云った。


「知らんかった。ウチで造ってたんだな、アレ」


 及川鉄次。それがテツジの本名だった。


 私の見守る前で、テツジはボソボソと、続ける。


「オレが変な手を入れた所為だわ、アイツが爆発か何かしたの。月面って低重力だろ? そんでコンピュータって、廃熱がもの凄いじゃん。でも空気の流れって重力が違うと全然変わっちゃうから、その辺ちゃんと計算して、月面用の特別なコンピュータじゃなくても使えるように、色々考えられて造ってたみたいだわ。でもオレ、そんなん全然知らなくて。邪魔だからって裏っかわにあるフィンとかダクトとか外しちまってた」


「あ。あら。そうだったのか」何とも云いようがなくて、私は無理に言葉を探した。「でも、しゃーないじゃん。そんなん知らないテツジに、克也さんとか全部押しつけてたんだもん」


「ん。おう。だよな。オレ悪くねーわ」


 ケロリとして云うテツジ。


 ホントにコイツは、と苛立ちが襲ってきたが、ふと彼の説明が引っかかって、再び図面に目を落とした。


「ちょっと待って? あのラックって、空調ちゃんと考えてる?」


「あ? まぁな。考えてるっつーか、温度の高い低いっていうのを考えなくてもいいようにしてるっつーか」


「どういうこと?」


「普通よ、地球のコンピュータセンターは、下からラックに冷たい風を送り込んでるんだわ。そんで上に熱い空気を吐き出して、ソイツをエアコンで吸い取ってる。でも月面じゃそこまで期待できねーから、とにかく完全密閉して、下から何でもいいから空気を吸い取って、上に吐き出させるっていう流量に頼ってて。でもオレがソイツを止めちまったもんだから、熱が全然排気されなくて、ガンマ線とかもあって、コンピュータがボカーンと逝っちまったんじゃねーの?」


「ちょっと待って! つまりそれって、何もしなきゃ完全密閉ってこと?」


「そりゃあ」


 そこでテツジは言葉を止め、小首を傾げ、暫し思案する。


「どう?」


 私が重ねて尋ねると、彼は虚ろな顔を上げ、フラフラとテーブルから離れていく。そして隣で議論の先行きを眺めていた佐治の脇に寄ると、チョンチョンと彼の背中をつついた。


「あの、いっすか?」


「あ?」


「宇宙服、いらんすわ」


 その言葉は、議論を戦わせていた一同にも届いたらしい。彼らは一斉に黙り込み、テツジを見つめた。


「どういうことだ?」


 怪訝そうに問う佐治。私がテツジに例の図面を差し出すと、彼はそれを一同に広げて見せた。


「あの中二階にあるコンピュータラックっすけど、まだ半分は空なはずなんすわ。そんでこれって、結構気密があるらしいんす」


 一瞬の後、技師たちは一斉に図面に顔を寄せ、奪い合うようにしてその数値を追い始めた。


「待て待て本当か? あんなラック、普通隙間だらけで」


「あ? これ完璧に塩ビで埋まってるぞ? 本当かこの設計図!」


「気密はいい。耐気圧は?」


「あぁ! コイツは内部エアフローを圧縮して、単体でコンプレッサ的な動きも可能らしい! なんだこの無駄な機能は!」


「内部圧力十気圧まで耐えられる!」


 矢継ぎ早に放たれる言葉。それは最後には馬鹿馬鹿しいような笑いにとって変わり、ついには理解しがたいといった風で佐治が口を挟んだ。


「おい、どうして笑ってる! 一体何なんだ!」


 応じたのは羽場だった。


「いやさ、コイツってコンピュータラックっていうより、業務用冷蔵庫みたいな設計なんだ! 誰だよこんな馬鹿馬鹿しいの造ったヤツ! しかもこんなの、一本百万程度で公団に売るなんて! 五百万はするよ!」


「つまり?」


「つまり」と、羽場は笑みを潜めた。「この中にディーちゃんに入ってもらえれば、外壁を壊しても何とかなる!」


「そうか! よし!」佐治は叫んだ。「あとは、それを彼女に伝える方法だ!」


「それなんだけど、思いついたんだ。ジョー」羽場は回線越しに、彼に話しかけた。「パワードスーツの腕に、モニタースクリーンが付いてるよね? そいつにメッセージを表示させればいい」


「あ? こいつはWindowsじゃないんだ! スーツの内部ステータスを表示させるようにはなってるが、メモ帳機能なんて」


「でも、指揮車やアームストロングからの指令なんかは表示される」


 一瞬の後、あぁ、と、ジョーは声を上げた。


「そうだ、すっかり忘れてた! ベンに云って、LRVからメッセージを送ってもらう!」


「よし、決まった!」


 佐治は叫び、一同を見渡した。


「テツジ。すぐに一号機を出してくれ。克也さんは可能な限りハンマーの強化を。他は一番効果的な破壊場所を探してくれ。よし、これから本当の、ベテルギウス作戦、開始だ」

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