第25話
ジョーの抱えていたラックは、微細な破損はあったものの、トリモチのおかげで気密が失われることは免れた。そして繰り出されたベンのパワードスーツによって三人が回収され、LRVに待避した直後、ディーさんの予言した宇宙線放射が発生した。継続時間は三秒、線量は予想より少ない五百ミリシーベルトだったとはいえ、その被害は甚大だった。ルナ衛星、そして地球の人工衛星の幾つかが再起不能になり、世界中の宇宙機関が必死でリカバリーを試みている。
だがその被害にしても、ディーさんの予言によって、大幅に抑えられたのは確かだ。かぐや基地からの緊急通報、そして宇宙機関の対応が間に合った範囲では、人工衛星の休眠措置が執られていたのだ。おかげで月面基地も孤立無援な状況になるのは避けられたし、現代文明に必要不可欠な気象衛星、通信衛星といった類も、辛うじて必要最低限な機能を維持している。
第二次ベテルギウス作戦は幾つかの機転によって辛くも成功したとはいえ、それが必要になってしまった原因自体が、酷く微妙だった。ベテルギウスを侮っていたこと。急場に併せて、ありあわせの改造を行った天文台の構造的問題、それにディーさんの、身勝手な行動。責められるべき人物が何人もいた。
ただ幸いにして、公的に処罰を加えられる人物は出なかったらしい。前年発生した毒ガス戦争。そのおかげで人的リソースが逼迫しており、天文台ラックの機能を誰も正確に把握していなかった件にしても、その影響ということで片が付いたようだった。
「どうもアレな、時田先生がウチの工場に特別発注してたらしいわ」あとから実家に事情を聞いたテツジが、そう云っていた。「いざとなったら緊急避難ポッド的に使えるようにってさ。でも先生死んじゃったし、公団もとにかく月にラック送らなきゃってんで、あんま詳しく確認してなかったみたいなのね」
とにかく、おかげで成功が大々的に祝われるということはなかったし、テツジはテツジで結構な放射線を浴びた可能性があるということもあり、ドクター津田の徹底的な検査を受けることになってしまった。結果は良好だったが、彼にはあまり満足感、達成感というのはなさそうだった。
そして基地には以前より強力な緊縮措置が行われた。ディーさんの予測によれば、あの時のバーストがベテルギウス最後の叫びだったはず、ということだが、隊長にしても筑波にしても、油断大敵が新たな信条になってしまっている。一週間の息を潜めるような緊縮措置の後、ようやく一部制限解除ということになった。
何れにせよ、この物語の主役は、ディーさんに違いない。
だが彼女の姿を見かけることは、全くなくなってしまっていた。
テツジと違い、彼女は生身で、かなりの線量の放射線を浴びた。それは健康被害が発生するギリギリの所まで行っている可能性が高く、彼女は基地の奥深くから出ることを許されなかった。
しかし私は、果たしてそれが本当の理由だろうか、と思う。
彼女の思想信条。それを私は、どうこう云える自分を持っていない。
彼女の行いは凄かったようにも思う。あれほど人類の進歩、あるいは自分の探求心、目的、夢のために、必死になれるのは。凄いんじゃないかと思う。
一方で、こうも思う。彼女の行動は身勝手で、周囲を危険に巻き込み、基地に多大な被害を及ぼしかねなかった。
けれども彼女の予言がなければ、地球文明は更に酷い被害を受けていたのも確かだ。だから今の私には、彼女の行いが正しかったのか間違っていたのか、まるでわからない。
けれども、少なくとも隊長は。彼女の行いは、悪だと、しているようだった。
事件から二週間後、地球への帰還者リストが発表され、その中にディーさんの名前があったのだ。
表向きは、これ以上放射線を浴びては不味い人たち、ということになっていたが、いつもならばそれに併せて開かれる簡単なお別れパーティーのようなものは開催されず、彼女はひっそりと、月を去ることになった。
次第に弱くなっていく、ベテルギウスの残光。それを基地のラウンジでぼんやりと眺めていた佐治を見咎め、私は裏事情を聞こうと、彼に寄っていった。
「何だか少し、可哀想ですよね。そうは思いません?」
尋ねた私に、佐治は曖昧に唸るばかりだった。
「隊長の決断は、ある面では正しい」彼はパックの水を口にしてから、云った。「人命第一を考えるなら、彼女のしたことは許されない。そういう判断なんだろう」
「でもディーさんのおかげで、色々と助かった人だって」
「じゃあ彼女を英雄として称えるか?」皮肉な笑みを浮かべつつ、云う佐治。「それも出来ないだろう。彼女はニーチェ的な超人ではあったが、隊長のポリシーには合わないさ」
「それ、何なんです? ニーチェって。前にも仰ってましたけど」
「そうだな。ただ一つ決めた目標を達するためには、なりふり構わない強靱な精神を持った人物、とでも云うかな。彼女はベテルギウスの謎、あるいは大宇宙の真理を掴むためならば、自分の命、数人の命は捧げて構わないと信じていた」
「じゃあ、隊長は?」
「あの人はあの人で、シンプルなポリシーを持ってる。目前の人命を軽々しく扱う種族に、未来はないって考え方だ。アトロピンの件に関してもそうだろう? まず身内の命を大切に考え、そしてそれを、世界に広げていく」
「でも、一人を助けて、何万人と死ぬことになったら」
不意に佐治は哄笑した。なんだろう、と首を傾げる私の前で、彼は椅子に寄りかかり、俯いた。
「止めとけ。そんなのは他人に聞く話じゃない。オマエの中で、答えを探せ」
ただな、と、彼は続けた。
「仮に隊長がカーン博士と同じ考えだったとしたら、天文台を躊躇なく見捨てていただろう。最後の最後まで観測を続けろ、と。結果どうなった? 天文台は全滅していただろう。だが実際は? 誰も死なずに済んだし、被害も最小限に抑えられた」
「それはたまたま、結果的に上手く運んだから」
「たまたま? 違うな。隊長が鋭い決断を行ったからだ。カーン博士を救うのが第一と決めていたからだ。違うか?」
「それはそうですけど、天文台にあったデータの半分は失われちゃったじゃないですか。もしディーさんが、最後の最後までデータを確保していて、その中に、もの凄い重要なデータがあったとしたら? その中に、全人類の未来を切り開く、もの凄いデータが含まれていたとしたら?」
「オマエらが阿呆になるだろうな」
佐治の云っている意味が、わからなかった。
「はい?」
眉間に皺を寄せながら尋ねる私が、可笑しかったらしい。彼は再び哄笑した。
「このご時世、簡単に生きていけると思うな。食べて飲んで寝て、それで幸せな未来が来ると思うなよ? カーン博士は、要するにオマエらを。次世代の連中を、全く信用してなかったのさ。私がやらなきゃ、未来はないかもしれない。そういう焦りがあった。だから全てを自分で片づけようとした」つまりだ、と、彼は身を乗り出した。「人類の未来は、オマエらにかかってるってことさ。データが消えた? それが何だ! 親切な先輩たちが残した勉強課題だと思って、努力しろ。パワードアーマーに負けないロボットを作り、超新星の謎を解き明かせ。そうして人類は、世代を経て進歩していく」
「親切というか、ただの親の負債なような気もしますけど。年金とか、税金とか」
「代わりにオマエ等は、すばらしい遺産も受け取ってるはずさ。オマエが絵を描いてるタブレットとか、あのラックとか。月面基地だってそうだ。違うか?」
確かに。
でも何だか、上手く誤魔化されたような気もする。それで私は渋い表情を続けていたが、それをニヤニヤと眺めていた佐治が、息を吐きながら大柄な身体を上げた。
「そういや、餅つき大会。来週やるんだって?」
「え? えぇ。そろそろ気晴らしをしようって、隊長も考えてるみたいで」そこで私は自分の役割を思いだして、大きくため息を吐いた。「でも二号機って私のサイズじゃないですか。結局餅つきの半分は私がやらなきゃ駄目でみたいで。たまらんです」
「よし。じゃあその前に、この基地で一番〈親切で馬鹿な先輩〉を片づけておくとするか。それで少しは、オマエらも楽になるだろう」
ん? と首を傾げる私。それに佐治はニヤニヤとした笑みを浮かべつつ、私を手招きした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます