第4話

 テーマ。テーマ。


 電車に揺られながら、ぼんやりと考える。


 話のテーマを考えるのは得意なはずなのに、やっぱり研究となると勝手が違う。読者に対して私は知識的・経験的に上位にある。だからその知識を元にして描いた私の漫画は、千部以上売れる。けれども研究となると、相手は教授たちだ。彼らの上位とは云わないまでも、同位くらいまでに知識を高めなければならないのだ。


 何と無謀なことか。


 ともかく知識を高めるには資料が必要だ。そう思い、寮を出る前に、パソコンで月面基地の現状について説明した資料を印刷してきた。


 そう。ロボットをテーマにするなら、何かしら思い浮かぶ。月の低重力を利用した輸送機や、月の主要資源である〈ヘリウム3〉の採掘機械。そんなものは遙か昔からSFアニメで描写されているもので、私も昔、SFを描くために散々調べたからある程度詳しい。


 けれどもそれは、子鹿たち機械工学の先生たちの方が遙かに詳しいだろう。別にロボットを研究するのに、月に行く必要もない。それでも私は諦めきれずに手元の資料に目を通していたが、そこであることに気が付いて、持論を翻さざるを得なくなった。


 月面における重機、各種ロボットは、その殆どが民間の重工企業によって開発されたものなのだ。その開発者たちは件の国際会議にも参加しておらず、体制は盤石だろう。


 とても、高専生ごときが口を挟む余地などない。


 どうせならロボットとかの研究をしたかったな。


 でも無理だなこれは。


 クソ、どうせなら戦争がもっと派手になればいいのに。そうしたら重工企業は兵器開発で忙しくなって、月面開発どころじゃなくなるのに。


 そう物騒なことを考えているうちに、電車は目的の駅に着く。


 とかく、高専は県内でも僻地にある。楓が通う国立大学がある街までは、電車で一時間半以上。とても気安く来れる距離ではないが、月に一度は必ず顔を合わせることにしていた。


 いつものファミレスに入ると、楓は窓際の席でネームに鉛筆を走らせているところだった。私は向かいに座って、よう、と声をかける。


「おう、後藤」と、私たちは互いにペンネームで呼びあう。「今見直してたんだけどさ。ちょっと最後、甘くないかコレ」


「そうか? どこが」


「結局彼氏、死んじゃうのかコレ。曖昧に終わらせたい感じはわかるんだけどさ。それなら伏線入れた方が良くないか」


「あぁ。考えたんだけどね。隙間がないんだ。ページ数に制限あるし」


「そっか。ページ数制限ね。賞に送るのも大変だな。どっか削れるとこないかねぇ」


 そう、私たちは早速打ち合わせを始める。


 私たちの共同執筆は、どちらかがネームを書き、空いた方がペン入れをするというやり方をしている。そうすることで話の幅が広がるし、絵の品質に偏りが出にくい。それで三年近く上手くやってきたが、私が高専の機械科、彼女が総合大学の文学部に進んだことによって、若干の変化が見え始めたのも事実だ。


 どんどんハードになっていく私に比べて、彼女は何だか、温くなっていっている。


 今日の格好もそうだ。私が昔からのジーンズとシャツ、ジャケットなのに比べて、彼女はひらひらのスカートにタートルネックのカットソー。その色は真っ赤ときている。更に彼女が鉛筆を振り回す手首には、チャラチャラしたブレスレットが揺れる。私なら、漫画の中でしか描かないような格好だ。


「うん、だいたいのイメージはわかったけどさ。鬱陶しくないか、この主人公」


 と、言葉遣いも含めて、中身があまり変わっていないのが救いではある。


「それは、そう描いたからな。鬱陶しいヤツが死ぬんだよ。いいじゃん」


「そうだけどさ」彼女は笑いながら原稿を置いて、珈琲に手を伸ばした。「賞向けてんなら、もう少し甘い話の方がいいんじゃない?」


「そこまで主義主張曲げる必要、あるかねぇ」


「曲げるってかさ」


 そう彼女が云いかけたが、不意に視線を私の肩越しに投げて、微笑みながら軽く手を挙げた。振り返ると、痩せた一人の男子がこちらに駆け寄ってきて、少し息を切らしながら楓の隣に座った。


 細長い顔に、丸刈りの頭。銀縁の眼鏡の奥の瞳は少し垂れていて、気弱そうな笑みを浮かべていた。


「こいつな、桜庭っていうんだけど」と、楓は恐縮したように身を縮ませている彼を指さした。「漫研の後輩でさ。後輩って云ってもダブリなんで、私らとタメなんだけど。前に少年誌の賞に送って佳作もらってるんだよ。そんで、何かアドバイスもらおうと思ってな」


「すいません遅れて」


 そう、半笑いで頭を下げる。私がどう反応していいか戸惑っていると、察した楓が小さく咳払いした。


「悪いな、勝手に呼んで。けどま、やるなら何でも参考にした方がいいだろ?」


 いや、別に。後藤楓は後藤楓なんだから、誰に文句をつけられようが変える気はない。


 と、相手が楓だけならば云ってしまえるのだが、さすがに無関係な人物の前で騒ぎを起こす気にもなれない。


「いえ、別に。経験者のアドバイスがもらえるなら」


 そう、気持ちを後藤から五所川原に切り替える。


 桜庭という彼は楓から原稿を手渡されると、真剣に目を通し始めた。私は煙草が吸いたくて仕方がなくなってきたが、苦い珈琲を口にして我慢する。間もなく読み終えて顔を上げた彼の口から出たのは、先ほどの楓と同じような指摘だった。


「話自体は綺麗に纏まっていて、いいと思いますけど。ちょっと読者を突き放した感じがありますね。話の流れとして、主人公はイヤなヤツで、なんとなく死にそうなのは冒頭からわかってる。けどそれに魅力を持たせようとする部分が幾つも出てきて。それで読者が少し好きになりはじめたところで、やっぱり死んじゃうっていう」


「ま、それが後藤の作る話の持ち味ではあるんだけどね」と、楓。「高度なテクニックだと思うよ、私は。鬱陶しい主人公が、だんだん格好良く見えてくる。上手いと思う。けど賞に送るなら、ここはあえてハッピーエンドにするべきじゃないかと思うのよ。どう?」


「ボクも、そう思います。その方が読者も受け入れやすいですしね」


 読者、読者。


 そんなに読者に媚びへつらうのが偉いのかよ。


 そう後藤は青筋を浮かべながら怒っていたが、私は小さく息を吐いて、机の上に散らばっている原稿を綺麗にまとめた。


「そう。少し考えてみるわ」そして苦笑する。「いやね、今、例の卒研でさ。すっかり逆のことやってるもんだから」


「逆のこと?」


「理解されちゃいけない研究をしなきゃならなくてね」


「理解されちゃいけない?」


 声を揃えて尋ねる二人に、私は自分が陥ってしまった奇妙な状況について説明した。


「そりゃ、面白いですね」桜庭は目を大きく見開いて、身を乗り出した。「それ、状況を随時教えてくださいよ。漫画のネタになりそうだ」


「ハッピーエンドになるとは限らないけどね」私は我慢出来なくなって、煙草に火をつけた。「それにね。何かピンとこないんだわ。誰にも理解できない研究をする。その殿下の案は正しいと思うんだけど、それをどこまで突き詰めていったらいいのか。漠然としていて」


 桜庭は腕を組んで考え込む。一方の楓は私の苦境をあざ笑うかのような笑みを口元に浮かべ、手首のブレスレットを弄んだ。


「ま、自業自得だからな。私が去年、宿題の山でヒーヒー云ってた時に、百ページ以上描いたんだから」


「今はボクがその状況です」と、桜庭。


「ウチの学校、一年の時は大変だからね。ま、二年になれば随分楽になるよ」


「その前に落第するかも。ボクもまた応募作描いてるんで」彼はふと苦笑して、その細い首筋を掻いた。「けど、そういう研究にも、漫画みたいに賞とかないんですかね?」


 首を傾げる私と楓に、彼は少し顔を赤くしながら云った。


「いえ。普通の卒業研究って、出版社に持ち込みするようなものでしょう? たまたま出てきた編集の人によっては、何度も駄目出しされるかもしれない。けど賞なら、ある程度のクオリティーがあれば、一気に大御所漫画家の目に留まるかもしれないじゃないですか」


「一次選考で切られて終わりかもだけどね」皮肉に云う私。


「ま、そうかもしれませんけどね。でもそういう研究にも賞があったら、多少は選択肢が広がるかもしれないですよね」


「確かに、そんなのがあったら、一発逆転だろうけど」


 私は呟きながら、そういえば、と思い返した。


 子鹿をギャフンと云わせる。それが私たち四人の、一番最初の目標だったはずだ。


 確かに、桜庭の云うような制度があったとして。それである程度の評価を受けてしまえば、子鹿が偏った評価をして私たちを落第させることなど不可能になる。まさに子鹿は、諸手を挙げて「ギャフン」と云うしかなくなるのだ。


 だが、そんな都合のいい賞なんて、存在しているのだろうか?


 最初はお茶のみついでの与太話としか思っていなかったが、次第に桜庭の案が頭から離れなくなってきた。


 研究で、賞を取る。


 その発想が今の私には魅力的で、高専に帰りついてからも寮には戻らず、図書館に直行した。


 片っ端から学会誌を漁る。すると普段は気にしない表紙の裏や巻末に、数は少ないが幾つかの公募が必ず載っていたのだ。


 ○○学会賞。名前はそれぞれ違うが、大抵の学会には設けられている。要件は、各学会誌に掲載された論文であること。


 無理だ、と私は冊子を投げ出した。これは各学会における年間最優良論文に贈られる賞であって、とても高専生が取れるようなものじゃない。


 なにか、漫画の賞で云うところの新人賞のようなものはないだろうか。そう思って探してみると、あるにはあった。若手研究者対象。要件、三十五歳未満。


「どんなオッサンだよ!」


 思わず叫んでしまう。途端に静かに勉強していた学生たちから幾つもの視線が飛んできたが、私は完全に無視して図書館を後にした。


 三十五歳で若手。じゃあ二十歳の私らは幼児だわな。


 じゃあ子鹿は、幼児を虐めて楽しんでるって訳だ。


 死ねばいいのに。


 胸の内で毒づきながら、寮に戻る。食堂に寄って食事を済ませ、浴場で湯船につかりながら漠然と考える。


 一発逆転。


 そんな手を抜くことを考え始めると、なかなか地味に一年間研究と実験を繰り返そうという気がなくなってくる。そもそもそんな気質じゃないと、漫画の新人賞に応募しようだなんて考えるはずがない。


「楽して卒業する方法、かぁ」


 私は呟いて、湯船に顔を半分だけ沈めた。


 これはひょっとしたら、新人賞を穫るよりも難しい問題かもしれなかった。

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