第3話
とは云いつつも、やはり冷静に将来のことを考えると不安になる。今の世の中、高卒じゃあ食べて行けないし、楓のように美形でもない私は玉の輿なんて望むべきものではない。
子鹿をギャフンと云わせる。
一発逆転。
翌日の授業の間も、その二つをキーに散々考えたが、殿下の云うように、早々いい案が浮かぶ訳もない。漫画のネームでもそうだが、考えすぎで頭がショートしかけてくると、甘い物が食べたくなるのが常だ。昼休みに寮に戻り、バイキング式の食堂でパスタとプリンを手に取る。そしてパスタそっちのけでプリンを先に食べていると、例の三人組が一斉に周りに座った。
「どうよ、何か名案浮かんだ? ってか、なんでデザート先に食べてるのよ」
そう目の下に隈を作ってる岡が、笑いながら尋ねる。
「それは脳を使っているという証拠だな。無駄に徹夜で論文を漁っていた男とは大違いだ」と、殿下。「脳が活発に活動すると、糖分が不足してくる。それを補うために甘い物を食べる訳だが、そうすると脳内にセロトニンという物質が生成され――」
「そうか、凄げぇなソレ」
長くなりそうな話を平気で遮って、岡はラーメンに大量のラー油を垂らす。透き通る液体に満たされていた器が、みるみる真っ赤になっていった。それを見た殿下は、背筋を伸ばしながらため息を吐く。
「ちなみに香辛料に含まれるカプサイシンという物質は、脳に非常に悪影響を及ぼす。もちろん少量の摂取は新陳代謝の向上などメリットが多いが、明らかにキミの場合は過剰摂取だ」
「へぇ、辛いのばっか食ってると頭悪くなんのか。だから岡は――」
テツジは終いまで云わず、岡から手渡されたラー油をコショウに持ち替える。岡は舌を打って、彼の器に無理矢理ラー油を垂らした。
「なにすんの。オレ、岡みたいに馬鹿になりたくないわ」
「まぁ、そう云わず一緒に馬鹿になりましょうよ社長」
相変わらず仲がいいなこの三人は、と思いながら、私はぼんやりと天井から吊り下げられているテレビを見上げる。昼のバラエティー番組が放送されていたが、その映像は縮小されて、枠の部分に毒ガス戦争の字幕ニュースが絶え間なく流れていた。
毒ガスによる死者、数万人という情報も。
環太平洋同盟「これは彼ら自身の問題だ」調停の報道を否定。
欧州連合、現地視察員が殺害されたことを受け、一切の人道支援を中止。
戦線拡大の恐れ。一部勢力がチベット進入、中華連邦が応戦。
「まったく、嫌になるわねぇ」
私の隣でテレビを見上げていた白衣の女性が、不意に声を上げた。小太りで化粧の濃い、いわゆる典型的なオバサンだ。詳しくは知らないが彼女は食堂の栄養士らしく、時々食堂に顔を出しては、そこらの学生を捕まえて無駄話をしていた。
「おばちゃん、戦争で辛いのなくなんないよね?」
気安く話しかけた岡に、彼女は渋い顔をする。
「なくならないけど、あなた使いすぎよ。いっつもボトル空にしてくんだから。いい? 唐辛子にはカプサイシンという物質が含まれていて、摂りすぎは頭に良くないのよ」
ほらな、という殿下の視線。岡は渋い顔で頭を掻いていたが、ふとおばちゃんが厳しい表情で彼の隣に座って、顔を近づけてきた。
「そういえば、岡くん。あなた時田研だったわよね?」
「ん。あぁ。ここの四人は時田研」
「そう。先生は大変だったわねぇ。これから、あなたたちどうなるの?」
岡は苦笑して、一部始終の事情を説明する。おばちゃんは心底同情している風に頷きながら聞いていたが、彼の話が終わると大きくため息を吐いてテレビを見上げた。
「そう。大変ねぇ。ホントに戦争って、色々なものを滅茶苦茶にしてしまうから」
「おばちゃんも太平洋戦争の時、疎開とかしたの?」
余計なことを云うテツジ。おばちゃんは彼の頭を軽く小突いた。
「何歳だと思ってるのよ。ともかく、ウチの息子もね、時田先生が亡くなったのは大変な損失だって」
「息子さん?」
「えぇ。あぁ、そう、私の下の息子ね、今かぐや基地にいるのよ」
かぐや基地!
仮にも機械工学科に属する学生だ、煙草だ麻雀だと落ちぶれてはいるが、その言葉に反応しないはずはない。私を含めた四人は箸を持った手を硬直させて、続けて一斉に身を乗り出した。
「かぐや? マジで? 月面基地?」
「それは素晴らしい。一体何の研究をするために?」
「おお、かぐやってロボットあるんでしょ? それ乗ってんの?」
誰が誰だかわからないまま、一度に質問が発せられる。彼女は困惑したような、それでいて誇らしげな表情で受け止めると、ひとまず身振りで私たちを落ち着かせた。
「待って。食事の時に立つのはお行儀が悪いわよ。息子は別に研究者じゃないんだけど。ビルディング・スペシャリストって云って。基地の建設なんかをやってるドカタよ」
「そういえば聞いた記憶がある。かぐや基地の大規模拡張が行われているとか」と、殿下。
「そう。今までは研究施設だけで、数人の学者さんが常駐しているだけだったらしいんだけど。百人ぐらいが暮らせるような〈街〉にしようとしてるんですって。息子はそれを作ってて、そろそろ完成するらしいわ」
月面基地。
コロニー。
そんな言葉に、何とも言えない感慨を受けてしまうのは私も同じだ。SFはアニメや漫画の主要テーマの一つなのだから。
「ひょっとして時田先生も、かぐや基地に関係してたの?」
そう問う岡に、おばちゃんは少し首を傾げた。
「さぁ。そこまでは知らないけど。でもね、例の撃墜された輸送機。あれには沢山の宇宙工学の先生が乗っていたらしくて。丁度、月関係のシンポジウムが開かれていたらしいのよね。だから日本だけじゃなく、海外の宇宙工学の権威と呼ばれる先生たちも、脱出しきれずに沢山亡くなったらしくて。世界の月面開発は十年。いえ、それ以上の損失を受けたって。まぁドカタの息子の云うことだから、きっと他の学者さんたちの受け売りでしょうけど」
ふぅん、と四人は再び口を動かし始めながら、曖昧に唸った。
月面基地か。
一度行ってみたいな。きっと私が彼女と同じくらいのおばさんになる頃には、一般人でも行けるようになってるだろうな。
そんなことをぼんやりと考えながら、パスタを口にする。そこで急に机が揺れたかと思うと、岡が中腰に立ち上がっておばちゃんの両手を握りしめた。
「そうだ、それだよおばちゃん!」何のことだろう、と目を白黒させるおばちゃんを余所に、彼は私たちに満面の笑みを浮かべてみせた。「オマエら、早く食え! 緊急会議だ」
そう云うと、彼は真っ赤に染まっているラーメンを勢い良くすすりはじめた。
南寮110室に戻ると、岡は自分の机の上から紙の束を持ってきて、卓袱台の上に載せた。宇宙工学学会誌の論文リストだ。続けて殿下の持っていたパソコンを操作して、何枚かの紙をプリントアウトする。
一枚ずつ手渡されたそれは、例の撃墜事故での死亡者リストだった。
私たちは彼の意図がわからずに首を傾げていたが、不意に殿下が納得したように小さく唸った。
「なるほど、悪くない考えだ」
「だろ?」岡は顔を、未だに理解できていないテツジと私に向けた。「さっき、おばちゃん云ってただろ? 宇宙工学の先生が沢山亡くなったって。つまりそれは、オレらにとってはチャンスな訳ですよ」
「どこが。オレらが時田先生の研究を引き継ごうにも、アドバイスしてくれる人がいないってことじゃん」と、テツジ。
「逆だよ逆! おい、子鹿の専門って何だ?」
「熱力学だろ?」
「だろ? ということは、オレらが宇宙工学の研究をやって、論文書いたとして、誰が評価するんだ?」
なるほど。
私も納得して、思わず笑みがこぼれてくる。
「さすがに分野が違うと云っても、同じ工学の先生だ。ある程度の内容は子鹿も理解出来ちゃうだろ。けどそれ以上になったら、それが画期的なものか、今までの研究の焼き直しかは、宇宙工学の先生に聞かないとわからない。けど、その大半が死んでる訳だからさ」
あまりの回りくどさに苛立ったように、殿下が後を引き継いだ。
「つまり、今回の事故で一番手薄になっているであろう宇宙工学の研究分野を調べる。その範囲で我々がある程度のレベルの論文を書けば、簡単には誰も評価出来なくなる。逆説的に云えば、無意味な論文を書いても、日本の宇宙工学会が完全に機能を取り戻すまでの間は、誰にもそれが理解できない。ま、そんなところだな」
おお、とテツジは細い目を更に細めて、恍惚の表情を浮かべる。
「よし、じゃあ早速とりかかろう」
「待ちたまえ」勢い込んで云ったテツジを、殿下が冷静に諫めた。「キミたちは知らないかもしれないが、宇宙工学に関する論文が発表されるのは、なにも宇宙工学学会だけではない。機械学会、電気学会等にも、関連があれば発表されるものだ。ここにある論文を調べるだけでは、不十分だ」
「じゃあ、どうすんの」
「図書館には、過去十年間の主要学会誌がデジタルアーカイブされている。それを利用するのが、最も効率的だろうな」
早速私たちは、死亡者リストを手に高専の付属図書館に向かった。二階に設置されている検索端末に殿下が座り、操作方法を説明する。続けて岡が死亡者リストに線を引いて分担を決めると、私たちは丁度四台ある検索端末を占領して検索と印刷に取りかかった。
意外とそれは手間のかかる作業だった。図書館の検索端末が旧式だったのに加え、死亡者リストの名前は全てローマ字表記だったのだ。有り得る漢字を幾つも試さなければならないので、一つの名前でも十回以上の検索を行わなければならない。
「ひとまず、内容に関わらず、検索にヒットした名前は全て印刷する。宇宙工学に関係のないものは、後から弾いていった方が効率的だ」
という殿下の指示の元、ひたすら検索と印刷を繰り返す。最終的に論文のタイトルと概要を記したリストは膨大な数になり、午後丸々かかってようやく作業が終わった。
それぞれが分担した紙の束を手に、寮に戻る。そして食事と風呂を済ませてから、私は再び南寮110室に向かった。
今度は間違いなく、三回ノック。彼らは既に揃っていて、小さな卓袱台の上に論文リストの山を積み上げていた。
「じゃあ、関係なさそうな論文をはぶいて、ジャンル毎に分けていけばいいのかね」
四つの山を前にため息混じりに云った岡。殿下は手元の紙に鉛筆で格子を書いて、皆に示した。
「このように表で整理すればいい。各人物毎に、論文の発表数、キーワード、そして論文の重要度を記載して、後からそれを集計する」
地味な作業だ。最初のうち四人は黙々と集計を行っていたが、三十分ほどして岡が煙草に火を付けると、テツジが羨望の眼差しを彼に送った。
「岡、煙草ちょうだい」
「昼にやっただろ。一日一本まで」
テツジはうなだれて作業を再開したが、すぐに立ち上がって部屋を出ると、小さなコンビニの袋を手に戻ってきた。
「なんだよ。金あるんじゃん」
岡の言葉に、怪しげな笑みを浮かべる。そして自分の机の上に新聞紙を広げると、袋を逆さまにして中のものをぶちまけた。
雑草だ。
恐らく庭からむしってきたのだろう。
何をする気だろう。
そういう三人の視線を余所に、テツジは丁寧に草を新聞紙の上に広げて、所々に混じっている土や虫を取り除き、そして無言のまま作業に戻った。
「何だよ、あれ」
好奇心を抑えきれず尋ねた岡に、テツジは再び怪しげな笑みを浮かべ、机の中から新聞紙にくるまれた何かを取り出す。
「あれを乾燥させると、こうなる」
卓袱台の上に広げると、中からは乾燥して茶色くなった雑草が出てきた。テツジはそれをひとつまみすると、小さな器の中に入れて指で摺り潰し始める。パリパリに乾いた草は、難なく粉々になった。
「おいおい、マジかよ」
ひきつった笑みを浮かべる岡。テツジは机の中から木のパイプを取り出して、手慣れた様子で葉を詰める。そして火を付けると、途端に部屋の中には、普通の煙草と違う、青臭いような、焦げ臭いような臭いが充満した。
「うーん、マンダム」
テツジは満足そうに煙を吐き出す。呆れを通り越して嫌悪の表情を浮かべる岡。一方の殿下は片方の眉をつり上げて冷静に云った。
「雑草の中には、猛毒を持つものも多数ある。キミのやっていることは愚かとしか云いようがない」
「普通に吸えるよ? どう一服」
「いや、結構」
「ゴッシーは」
「遠慮しておきます」
「あ、そう」
「死ぬよオマエ、マジで」
そう愚痴りながら、岡は窓を開けて作業に戻った。
ともかく、再び地味な作業が再開される。二時間ほどするとリストは大分整理されてきて、一端手を止めた殿下が各自の纏めた表を集計した。
「やはり、月面基地に関する研究が酷い損害を受けているな。全滅と云っても差し支えない」
「でも、こうやってみると。月面基地って色々な技術が使われてるのね」岡は云いながら、リストの一つを取り上げた。「これなんか面白そうだわ。〈マスドライバー〉。月から地球に物を送るのに、ロケットじゃなくてさ、大砲みたいのでドーンと打ち込むんだって。ゴッシーは、何か面白そうなのあった?」
岡は何かにつけて、私に話を振ってくる。きっと口数の少ない私への配慮なのだろう。
「そうですね。〈コロニー〉の話が」
「コロニー?」
「要は月面基地を長い間維持するには、自給自足する必要があって。収支が取れる形で運営するには、っていう」
「確かに、ずっと赤字では開発が立ち行かなくなるからな」と、殿下。
そうなのだ。何をするにも、元が取れなくては続けていけない。たかが同人誌とはいえ、単価を安くするには部数を多く刷るしかないが、千部も刷ると十万なんて軽く飛んでいく。販売価格も問題だ。原価売りしてしまえば残っただけ赤字になる。かといって多少色を付けた値段で数が売れてしまえば、今度は税務署が目を光らせている。発行部数が多ければ多いほど、実際に売れる量によって今後の活動に大きな影響が出てくる。そういう意味では、〈後藤楓〉は、ある程度の固定ファンが出来てしまったが故に、身銭を切ってやっていけるほどの規模ではなくなってしまっているのだ。
そうこうしているうちに、本日二度目のイエスタディが流れる。もうそんな時間か、と思いながら肩を叩く。岡も背伸びをして、新しい煙草に火を点けた。
「今日はこの辺にしておく?」
リストはまだ、三分の一は残っていた。
「あの、良かったらこれ、片付けちゃいたいんですけど。ちょっと明日、夕方まで用事があって」
珍しく発言した私に、三人が目を向ける。
「うん。オレはいいけど。みんな大丈夫?」
「私は明日は、特に授業はないから構わない」
と、殿下。テツジは渋い顔で無精ひげを掻いていたが、また例の雑草煙草に火を点けながら云った。
「つか明日、バイ楽開店だぜ? 岡は行かねぇの?」
「オマエ、開店行く金あるんだったら煙草ぐらい買えよ。パチンコなんて寝不足でも出来るだろ」
うひひ、と気持ち悪い笑い声を上げるテツジ。
ともかくも作業を再開する。岡が気分転換にと、小さなテレビの電源を入れた。
時差が六時間程度ということもあり、ここのところテレビは夜通しで毒ガス戦争のニュースを流していた。だが映像はCNNやアル=ジャズィーラが殆どで、日本人のキャスターは全く出てこない。その同時通訳独特の言葉遣いを耳にしながら集計を続けていると、真っ先に殿下の割り当て分が終わり、続いて岡、私が戦線を突破した。残るはテツジだけだったが、誰も彼の割り当て分を手伝おうとしないのが面白い。
「よし、終わった」
最後にテツジは叫んだかと思うと、ふらふらとベッドの中に潜り込んでしまった。
「寝るのかよ」
苦笑混じりに云う岡に、彼は虚ろな声を上げた。
「頭痛い」
「普段頭、使ってないからだ」
「いや、妙な煙草を吸ったりするからだ」
岡と殿下の攻撃に反論もせず、テツジは布団の中に頭を埋める。二人はため息を吐いて顔を見合わせたが、殿下は四人分の集計表を集めて、綺麗に揃えた。
「ともかく、今日はこの辺にしよう。集計は私がやっておく。それが一番効率的だろう」
「ん。よろしく」岡は少し決まり悪そうに云って、私に顔を向けた。「ゴッシーは明日は。用事って何時頃終わるの?」
「あ。そうですね。午前は授業が何個かあって、午後に少し〈街〉に出てくるので。夕方までには」
「じゃあ、お互いネタは引き続き考えておくとして、明日は晩飯後くらいから集合だな。とにかくテーマが決まらないことには始まらないし、頑張ろうぜ」
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