第2話

「へぇ。それは大変だねぇ」ここ数日の悲劇を事細かに愚痴る私。しかし携帯電話越しの楓は、いつもの達観した調子で受け流してしまった。「それよか、原稿今日届いたよ」


「あぁ、そうか。で、どうよ?」


「つか煙草臭いってばよ。紙に染みついてるわ」


 煙草というのは、そう云われると吸いたくなるものだ。私はスクリーントーンの欠片が散らばっている机の上に足を投げ出して、引き出しから煙草を取り出して火を付けた。


「まぁアレじゃん? 私は魂を削りながら描いてる訳だしよ。いいじゃん煙草ぐらい」


 楓はケタケタと笑う。続いて原稿を捲る音がして、僅かに唸った。


「今回はまた、気合い入ってるねぇ。いきなり二十ページも来たからよ。ビビったわ。しかも二次創作(有名アニメや漫画のストーリー・キャラクターを利用して、独自のストーリーとして創作されたもの)じゃないし」


「オリジナルは嫌?」


「嫌じゃないけどねぇ。あんま売れないし」


 私は煙草を吸って、急に鼓動を強め始めた胸を鎮めようとした。


 云うなら、今しかない。


「実はね」と、裏返りそうになる声を、無理矢理抑えつける。「それ、どっかの賞に送れないかと思ってね」


「マジで?」


 楓は本気で驚いたようで、待ちかまえている私に、なかなかいつもの毒舌を吐いてこない。私は震える指先で煙草をふかしてから、殊更に無神経な声を上げてみた。


「いや、マジってかね。ほら、賞金とか凄いじゃん? 大賞じゃなくてもさ、十万とかもらえるし。まぁ一回くらい送ってみてもいいかな、とかさ。考えてみたりした訳よ」


 更に数秒の沈黙の後、楓は酷く慎重な言葉を発した。


「それってさ、〈後藤楓〉でやりたい訳?」


 後藤楓。


 私のペンネームは、後藤葵。彼女は司楓。あわせて後藤楓。いつの頃からか一緒に漫画を描くようになった二人の、共同ペンネームだ。


「そうだよ。何か嫌か?」私は無理に声を張り上げた。「賞金十万だって、十人も選ばれるんだぜ? 山分けしても五万だろ? 凄い資料の画集とか沢山買えるぜ?」


「ちょっと、ちょっと。真面目な話だけどさ。アンタ、マジでやりたい訳?」


 マジでプロを目指してるのか?


 息が苦しくなってきて、煙草を大きく吸い込む。そしてようやく、私は答えた。


「マジだよ。何か問題あるのか?」


 その沈黙は、異常に長く感じた。ジリジリと煙草が短くなって、灰がこぼれ落ちそうになる。それでも身体は石のように堅くなって、まるで私は身動きが出来なかった。


「いや、マジならさ。私もそれなりに気合い入れるって話だわ」


 おっしゃ! と私は胸の内でガッツポーズを取りながら、慌てて煙草を灰皿に押しつける。


「そうかそうか。まぁ気合いを入れて頑張ってくれたまえ」


 そう云う私に、彼女は不吉な言葉を投げかけてきた。


「でもさ、その卒研だっけ? 大丈夫な訳?」


「あぁ。そう。それがあったね。けどま、なんとかするよ」


「そ。まぁ他人を巻き込んどいて、一抜けたとか、絶対許さねぇからな?」


「バッカ、それはこっちの台詞だ」


「とりあえず明後日あたりまでには、チェックしてみるわ。いつものファミレス集合な」


 そう待ち合わせて、電話を切る。私は一仕事終えた満足感で大きく息を吐いて、新しい煙草に火を付けた。


 私が目星を付けている新人賞の締め切りは三ヶ月後。とても一発で入選、デビューなど出来るとは思っていないが、僅かな希望があるのも確かだ。楓に送ったネームを見直して、幾つか気になった点を地味に修正していく。


 そしてふと、廊下からビートルズの〈イエスタデイ〉が流れてきて、我に返った。私の住む高専の学生寮では、浴場が閉まる九時、そして名目上の就寝時間である十二時の二度、この曲が流れるようになっている。


 そうだ、岡の部屋に行かなければならないんだった。


 思い出して、慌てて適当に髪を結い、Tシャツの上にジャケットを羽織って、廊下に駆けだした。


 高専は遠隔地から入学してくる学生が多い。そのため三階建ての男子寮が三棟、女子寮が一棟置かれている。全学生の半数以上が寮生で、総数四百人近い十五歳から二十歳の学生が、狭い敷地で共同生活を送っていた。


 幸いにして女子寮は全て個室でだったが、大きさは四畳半しかなく、エアコンも何もない。とはいえ、男子寮に比べたら天国だろう。彼らは一様に二人か三人の相部屋で、個室は寮長などほんの一握りの寮生だけしか入れない。


 岡たちが住む南寮は最も古い建物で、一応鉄筋コンクリート製ではあったが、廊下は狭く、薄暗い。私は誰も出てこないことを祈りながら、左右に扉の並んだ通路を足早に駆けていく。扉の奥からはテレビの音や、大音量でギターを弾く音、麻雀のジャラジャラとした音などが絶え間なく響いてくる。


 一番隅にある110室を見つけると、私は小さく息を吐いて、辺りの音に負けないように強く二回ノックした。


 驚いたのは、途端に辺りから響いていた音が途絶えたことだ。まるで私のノックの音が引き金になったように通路は静まりかえり、それぞれの部屋が息を殺して廊下の様子を窺っているようだった。


 狼狽えながら、辺りを見渡す。目の前の110室もまるで人がいる気配がなくなっていた。


 どういうことだろう。


 訝しみながらもう一度ノックしようとしたところで、扉が薄く開いた。


 恐る恐る中を覗いてみると、怯えた一対の瞳が暗闇の中に浮かんだ。それは私を捉えると途端に緩んで、押し殺した笑い声を上げながら扉を大きく開いた。


 瞳の主は岡だった。彼は未だに苦しそうに笑いながら、私の肩越しに廊下に向かって叫んだ。


「悪い、オレのツレだわ! 舎監じゃねぇし!」


 途端に静まりかえっていた全ての扉の奥から、一斉に罵声が飛んできた。


「ふざけんな!」


「なんだよ機械! 死ね!」


「うるせぇ電気! 引っ込んでろ!」


 そう岡は叫ぶと、私を薄暗い部屋の中に招き入れ、鍵をかけた。再びあちらこちらから、ギターや麻雀の音が響き始める。


 どういうことだろう、と怪訝に首を傾げる私に、岡は可笑しそうに口元を歪めた。


「五所川原さん、男子寮来るの初めてか」小さく頷く私に、プラスチックのジュースケースに座布団を置いただけの椅子を勧める。「いい? これだけは覚えておいて。男子寮で、二回ノックは、絶対駄目。ノックは三回。オーケー?」


「え。えぇ。でも、どうして三回なんです?」


「毎日、先生が宿直で代わる代わる泊まってるだろ? 舎監っていうんだけど。ヤツら、たまにオレらが悪さしてないか見回りに来るのよ。で、二回ノックする。二回が普通だからね。それと区別するのに、寮生は三回ノックってことになってんの」


 なるほど、そういうことか、と納得しながら、私は部屋の中を見渡した。


 彼ら男子の風貌からして、ゴミが散乱しているような汚いイメージを持っていたが、意外と綺麗に片付いているので驚いた。大きさは十二畳ほどだろうか。その一部がパーティションで区切られていて、奥のスペースを岡が、そして広い部分を残りの二人が使っているらしい。広いといっても、二人分のベッドと机を置けば、残りのスペースは限られている。そこに彼らは小さな絨毯を広げて、ちゃぶ台を置き、今はその上に麻雀の牌が並んでいた。


「もうちょいで半荘終わるから、ちょい待ってて」


 そう岡が云う。雀卓を囲むのは、四人の男子。三人は子鹿に呼び出された時に見た顔で、残りの一人はまるで知らない学生だった。彼らは私に目もくれず、ジャラジャラと牌を掻き混ぜ始める。放置された私は所在なく辺りを見渡していたが、特にこれといった面白そうなものもなく、結局音を小さくして点けっぱなしになっていたテレビを眺めた。


 丁度、夜のニュースが始まった時間だった。


 トップニュースは、時田先生が亡くなった原因。先週、中東で勃発した戦争についてだった。


 次世代エネルギーの開発が進むにつれて、石油産出国の立場は悪くなる一方だった。一時は石油利権のために結束したかに見えた中東諸国だったが、元々は宗教や民族などが原因で相争っていた地域だ。石油が利益を生まなくなってくると政治的に欧米諸国に追従する国も現れ、反目しあうようになり、ついに中東の盟主と呼ばれていた二大国間で戦線が開かれた。


 これが一世代前なら、石油の安定供給を望む欧米諸国により調停され、場合によっては多国籍軍が派遣されるようなことにもなったろう。だが石油にそれほどの価値がなくなった今、彼らの争いに介入しようとする国はなかった。結果として今では、中東は二つ、あるいはそれ以上に分裂し、各地で散発的な戦闘が続いている。


 時田先生は、運悪く戦争の勃発する数日前から現地に滞在していた。外務省による退去命令に従って自衛隊の輸送機に乗せられたのはいいものの、離陸直後にロケット弾に被弾。数百名の邦人とともに、亡くなった。


 始まってから一週間も経たないというのに、早くも戦争は泥沼化の様相を見せ始めていた。原因は二つ。戦前に欧米諸国によって徹底的に大量破壊兵器が廃棄させられたこと。そしてオイルマネーの減少によって、どの国も最新鋭の兵器を整備できなかったこと。


 そして今日のニュースでは、ついに毒ガス兵器が使用されたらしいと伝えられていた。


 毒ガス兵器。


 それは最新式戦車や無人戦闘機、機械化歩兵を保有する先進国にとって、殆ど驚異ではなかった。だから査察の対象外とされ、野放しにされてきた。使用されるのは時間の問題とされていたから、私は別に驚きもしなかった。


 ただ、思ったことは一つ。


 先進国が月に有人基地を持つようになった今でさえ、未だに地べたを這い蹲り、塹壕を掘り、地雷に足を吹き飛ばされるような前時代的な戦争をしている国々もある。


 それは悲しいことである反面、現実でもあった。


 悲劇を描くには、古今東西の名作を読み漁るよりもいい方法がある。現実を知るのが一番だ。偽善者ぶったテレビや新聞が伝えない、先進国の本音と思惑。それに踊らされる後進国。それがわかれば、人はなんと非道で、愚かなものかというのが実感できる。


 国と人。それは何の違いもない。


 つまり、こういうことだ。ただ生まれた場所が違うだけで、彼らは毒ガスに窒息し、見せしめとしてテレビカメラの前で首を切られる。けれども私は、こうして研究をサボり、たかだか一年留年するかも知れない程度のことで汲々としている。更にはその私の目の前で、のうのうと麻雀に興じる男子たち。


 これは悲劇だろうか。それとも喜劇だろうか。


 どちらかわからないが、そんな根暗なことを考える私の発想が、脳足りんな一部のファンにウケているのは事実だ。


「後藤楓さんのお話は、なんだか深いし、自分と重なるところがあって大好きです!」


 そんなファンレターが時々届く。私と楓はそれを一笑に付し、心から毒舌をぶちまけ合うのだ。


「こんなこと書いてくるヤツって、どういう人生送ってきたんだろね?」


「仕様もない、愛だ恋だ云ってる少女漫画ばっか読んでたんじゃない?」


「死ねばいいのに」


「いや、死なれたら売り上げが減るわ。まぁ適当に吸い上げましょ」


 そう云って、自分たちでも歯が浮くような美文をしたため、送り返したりする。それで単価を上げるために不必要なほど装飾を豪華にした同人誌が、コンスタントに千冊以上は売れるのだ。利益は殆ど出ないが、我ながらあくどい商売をしていると時々思う。


「ツモ! メンタンピンドラ三! えぇと、跳満ということで一つよろしく」


 岡の威勢のいい声に対して、残りの三人からはため息が零れてきた。私が目を戻すと、彼らは点棒を計算し、恨みの言葉とともに煙草を数本ずつ岡に投げつけた。


 なるほど、賭麻雀とはいえ、煙草程度か。


 そう僅かに安心しつつその様子を眺めていると、一人が傍らに転がっていたヘルメットを取り上げて、別れの言葉を告げて去っていった。


 なんだ、寮生じゃなかったのか。


 と、いうことは。時田研の男子三人は、全員が同じ部屋の住人だったという訳か。


「さてさて、そんじゃあ作戦会議といきますか」


 岡は集めた煙草に火を点けながら、妙に軽快に云う。残りの二人はブツブツ云いながら雀牌を片付けていたが、それも終わると窓を開けて、籠もった煙と臭いを換気した。


 一人抜けた雀卓の席に私が加わるようにして、四人は顔を揃える。


「まず、自己紹介からでしょ。オレはいいとして」と、岡は隣に座る顔色の悪い男を指し示した。「こいつはテツジ。ギャンブラーか?」


「ま、そうかな?」


 とぼけた様子で応じるテツジは、顔色が本当に真っ青で、目が細い。それに不釣り合いなほど口が大きくて、真っ赤な唇をしていた。きっと室内でパチンコや麻雀ばかりやってるとこうなるんだろうなぁ、と漠然と眺めていると、岡が続けて正面の男を指した。


「こっちは殿下。なんて国の殿下だっけ?」


「シラン」


 と、話を振られたテツジ。当の殿下は黙り込んだまま。岡は苦笑し、話を続けた。


「まぁ王族だからさ、ちゃんと尊称で呼ぶこと」


 見た目は完全に日本人だ。きっと岡なりの冗談なのだろう。まさか本当に留学生の王族などとは思えなかったが、彼は確かに背筋をピンと伸ばして、真面目そうな黒縁眼鏡、綺麗な七三分けと、少女漫画に出てくるような清廉な男子像に一番近いと云えなくもない。そう私が品定めしている間も、彼はただ小さく頷いて、じっと伏し目がちに膝の上を見つめていた。


「じゃあ、五所川原さん」


 あ、私の番か。


 一瞬動転して頭が真っ白になったが、とりあえず口を開く。


「あの、五所川原です。よろしくお願いします」


 沈黙。


 期待されてもそれ以上何も出ないし、出す気もない。


 じっと私が我慢していると、不意に岡が笑い声を上げて立ち上がった。


「まぁいいや。今はこんなとこで」


 と、奥の自分のスペースに向かうと、氷の入った洗面器を手に戻ってきた。中には数本のビールが突き立てられている。それを四人がぱらぱらと手に取ると、岡は子鹿の最終通告をまるで心配していないかのように、明るい調子で宣言した。


「ま、別に死刑宣告な訳でもないし。卒業出来るように頑張るべ、ってことで、乾杯!」


 誰も乾杯の声を上げなかった。テツジと殿下もまるでお通夜のように、軽くビールを捧げ持つだけ。岡はその様子を苦笑しながら眺めて、傍らにあったスナック菓子を机の上に広げ始めた。


「なんだよ。なんとかなるって。暗いんだよ」


「でもよ、何かネタあるのか?」


 煙草に火を点けながら訪ねるテツジに、岡もとうとうため息を吐いた。


「とりあえず、手分けして時田先生の論文集めて、読んでくところから始めるか」


「何本あるんだ? 凄い沢山ありそうじゃね?」


「かもなぁ。他に手はあるか?」


 唸り声を上げるテツジ。岡は殿下に視線を向けた。


「そうだな。結論から云えば」そう、彼は良く通る綺麗な声を上げた。「我々の能力だけで、完璧な卒論を作り上げるのは不可能だ」


「いや、それを云ったら。元も子もないですよ殿下」


「事実を述べたまでだ。それもと何だ? キミには、高専の教授たちに匹敵する能力があるとでも云うのか? 子鹿先生の要求は死刑宣告と同義だ」


「努力は認める、って云ってたじゃん」と、テツジ。


「努力は認めるが、評価するとは一言も云っていない。無駄な足掻きは止すことだ」


「じゃあ、諦めて留年しろって?」


「違う。我々がするべきことは、今から別の研究室に移籍させてもらうことだ」


「移籍? そんなこと出来るのか?」


「全く例がない訳ではない。だがそうなると、我々は最初から、二年間研究活動を行わなければならなくなる」じゃあ意味ないじゃん、と苦情を上げようとしたテツジを遮って、「だが、この研究室に留まっていた場合を考慮すると、更に最悪の事態が予測できる。このまま我々が三月まで努力し、留年したとしよう。するとその次の年はどうなる? おそらく、子鹿研に配属されることになるだろう。だが子鹿研の研究が一年で終わるとは到底思えない。我々はおそらく、更に一年、長く研究に費やす可能性があるのだ」


 彼の推測は、確かに衝撃的で説得力があった。


 一年の留年どころではない。最悪二年、下手をすると三年、留年してしまう。


 だが私は別の意味で、彼の言葉に感心していた。


 これはある意味、凄くネタになるキャラだ。澄まし顔で冷静で、道理をもって言葉を発する。更にまるで、そのまま文章に落とせそうな言葉遣い。殿下という愛称。


 いや、待てよ。


 これは何かのネタキャラなのだろうか。何かモデルになるような設定があって、それを彼が演じているだけでは。


 そう私が見当違いなことを考えている間にも、三人の男子で議論が続き、ビールはどんどん空になっていった。


 次第に彼ら三人の役割分担も見えてくる。岡はプレゼンテーターというか、リーダー役だ。そしてテツジが、役に立たない相方。この二人が愚にもつかない議論を始めたところで、殿下が冷徹で的確な言葉を挟んで一刀両断する。それは端から見ていると、とりとめもない漫才のようではあったが、なんとなく、問題の解決に向かって少しずつ方向が定まってくる様が面白かった。


「つまり、こういうことだな」かなり呂律が回らなくなってきた岡が、新しい缶を開けながら云った。「なんとかして、子鹿をギャフンと云わせる!」


「ま、その通りだが。それが簡単にできるのなら誰も悩まない」


 随分飲んでるにも関わらずに、冷静さを失わない殿下。一方のテツジは半ばベッドの上に横になって、顔を真っ赤にして喘いでいた。


「でもよ、そろそろ就職活動しなきゃならないじゃん? 卒業見込みの書類、学校からもらえるのかね?」


「あ、オレと殿下、大学の編入試験受けるつもりだから。試験三月だし。別に留年したらしたで、試験受けないだけだから平気」


 絶望と孤独のあまり、テツジは唸りながら寝込んでしまう。岡はそれを一瞥して、そういえば、というように、私に顔を向けた。


「そういえば、ゴショワ、ゴショワガ、ゴショワラガさんは」


 まるで呂律が回らない岡に、再び殿下が口を挟む。


「ゴショガワラ、だ」


「あぁ、もういいや、ゴッシー、オマエは今からゴッシーだ」


 はぁ、と曖昧に呟く私の肩に、彼は手を置いた。


「さっきから黙ってるけど。何かネタはない? あの子鹿を、ギャフンと云わせるような手」


 私はビールに口を付けてから、少し考え込んだ。


 殺せばいいじゃない。


 そういう台詞が喉元まで出かったが、慌てて飲み込んで、もう少し穏当な案を探す。


「そうですね。何か弱みを握るとか」


 岡は途端に目を丸くし、テツジはベッドから身を起こしてまで私を見つめる。


「意外と過激なこと云うねゴッシーは」


「いえ、例えばの話ですけど」


「面白い。悪くない案だ」眉間に皺を寄せて、殿下が呟く。「人は誰しも、何かしら弱みを持っているはずだ。それを探し出して本人に突きつければ、我々の要望が通る可能性がない訳ではない」


「弱みって云ってもな。子鹿だろ? あいつ不倫とかしてるかねぇ」と、テツジ。


「別に痴情問題だけに限らなくてもいい。他にも探るべき点は幾つもある。だがこの作戦の欠点は、彼の反応次第では、我々が脅迫罪で逮捕される可能性もあるということだ」


「ダメダメ! 却下!」


 そう岡は宣言して、この話題を打ち切る。


 なんだ、結構面白そうな話なのにな、と内心舌を打っていると、殿下が小さく喉を鳴らした。


「ま、早々妙案が浮かぶ訳もない。幸いある程度の条件は見えたことだし、今日はこんなところにした方がいいだろうな。そろそろ消灯時間でもあることだし」


 はっとして時計を見上げる。愚にもつかない話を聞いていただけなのに、いつの間にか三時間も経っていた。


「そうだな。じゃあ、また集まろう。グダグダしても仕方がねぇから、毎日、今の時間で。いいか?」


 そう仕切ろうとした岡に、テツジが口を挟む。


「オレ、明日はバイト」


「いや、辞めろよバイトなんて。オマエ現状がわかってねぇだろ?」


「それが論理的だな」


 殿下の援護射撃も受けて、テツジはベッドの中に撃沈された。


「そんな。オレ、煙草買う金もねぇんだけど」


「一日に一本くらいなら恵んでやるよ。いいか、明日、辞めろ」そうテツジに釘を刺してから、私に顔を向けた。「じゃあそんな訳で、大変だけどさ。お互い頑張ろ」


 いや、私は楓と、投稿を頑張る。


 別に準学士の称号になんて未練はない。


 そう心の中で宣誓しつつも、私は上っ面だけで笑みを浮かべてみせた。

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