第5話

 とにかく悩みながらも私は湯船を出て部屋に戻り、髪を乾かしてから南寮110室に向かった。


 気を抜いていると、ノックは普通に二回で済ませてしまいそうになる。慌てて一回追加して、三回ノック。中では三人が卓袱台を囲んで、私が最初に来た時のように麻雀牌をかき混ぜていた。


「あぁ、ゴッシー。いい所に来た。入ってよ」


 咥え煙草で、岡は空いている場を指し示した。


 まったく、どうして女子に向かって、当然のように麻雀が出来ると思うんだろう。


 だが、それに入れてしまえる私も私だ。高校生の頃に、同人サークルが作った脱衣麻雀ゲームの絵を描かされたことある。その時に一通りのルールは覚えてしまっていた。


「点数計算、わからないですけど」


「おっけーおっけー。てか凄いね、麻雀出来るんだ。冗談だったのに」


 やられた。


 こう、すんなりと出てくる冗談には抗いようがない。渋い表情で牌を積んでいると、殿下がいつものように片眉をつり上げながら云った。


「別に自分を卑下する必要はない。麻雀は非常に知力と記憶力、洞察力を要求されるゲームだ。頭の訓練には非常にいい」


「プラス、勘な。それがないから殿下は弱いんだよ」


 ヒヒヒ、と気味悪く笑うテツジ。殿下は憮然とした表情で応じる。


「勘なんてものは存在しない。それは洞察力の一種だ」


「違うんだなぁ。あ、それポン」


 ともかく、麻雀をしつつも殿下が集計結果を報告した。


「結論から云えば、日本の宇宙工学は危機に瀕していると云っていい。特に月面基地の開発を支えていた、時田先生を始めとする非常に優秀な先生方が亡くなっている。実務面は宇宙公団や重工企業が支えているから当面は問題ないだろうが、今後の月面基地の有効利用という面では、非常な困難が待ち受けているだろう」


「そこの穴を、オレらがどうやって利用するか」と、岡。


「問題はそこだな。件の事故で失われた人材を補うことが難しい研究分野を、順に説明する。


 一、月面構造物。居住や研究のために人が住む部分だな。この設計思想の取りまとめを行ったのは、他ならぬ時田先生だ。現在宇宙公社がかぐや基地の拡張工事を行っているが、それは研究棟、居住棟、多目的棟までとなっている。それ以降の拡張については未確定だ。何かしら新しいモジュールを提案するというのもいいかもしれない」


「クソ、ドラの刻子(コーツ)切りってアホかオレは」舌打ちしながら、岡は二萬を切る。「それってつまり、六分の一の重力でも麻雀が出来る部屋とか、そんな感じの?」


「例えは今一つだが、大きく間違ってはいない。


 二、月面経済。現在かぐや基地近郊では、月面下の氷の採掘及び試験的なヘリウム3の採掘を行っているが、それだけでは基地は自給自足しているとは言い難い。ロケットの打ち上げ費用は一回あたり約五十億円。それでかぐや基地まで運べるのは、約三トン程度の物資に過ぎない。これを限りなく少なくし、収益の上がる事業を興し、月面基地の赤字を少しでも減らすことが、当面の課題だ。つまり月面経済の自立化。月面基地の有効利用。しかしながら月面で調達出来る資源は限られており、更には滞在員の食料も不可欠だから、どうしても維持費が高くなる。これに関する研究を行っていた学者も、多くが失われている」


「つまり、月にある岩や何かで麻雀牌を作って儲けるには、どうしたらいいかってことだね」


「無理に麻雀に関連付ける必要はないが、まぁそんなところだな。尤も、月面産の麻雀牌に、それほど利用価値があるとは思えないが」


「たとえば月面で麻雀牌を作ると、実は凄い手触りがいいのが出来て、それは地球じゃ凄い需要があって売れますよ、とか。そういう研究すればいい訳よね」


「ま、酷くデフォルメした言い方をすれば、そういうことだな。


 三、トランスポーター。輸送手段だな。現在かぐや基地から地球軌道上の国際ステーションまでの輸送は、環太平洋同盟の枠組みで米国のカーゴ船に頼っている。かぐや基地と、米国のアームストロング基地間の輸送も同様。これを独自開発する予定だったが、プロトタイプの提案を行っていた数人の博士もまた、亡くなっている」


「それってつまり」岡は盲牌しながら考え込み、自摸切りした。「麻雀牌を運ぶ?」


「運んでどうする。無理に関連付ける必要は」


「すいません、それロンです。純全三色ドラ二。何飜ですか」


 自牌をパタンと倒した私を、三人は目を点にして見つめた。


「満貫だな」殿下はため息を吐いて、岡の箱から点棒を取り上げ、私の箱に入れた。「まぁ他にも幾つかあるが、それらは明らかに我々の能力を超えている。月面での核融合炉の建設、各種天文物理学的観測、六分の一重力下での研究などだ。これらには関わりようがないな」


「殿下はホンイツ好きだよなぁ。捨て牌ですぐにわかる」テツジはニヤニヤしながら、千点棒を転がす。「リーチ。最初のだけどよ。時田先生のやりかけの研究探して、体裁だけ整えて終わりにするって手は? それで月の建物とかで新しい話を作れるんじゃね?」


「私も少し考えたが、無理だな。昼に時田先生の研究室の前を通ったんだが、子鹿先生が指揮をとって蔵書や論文の整理を行っていた。もうめぼしい物は何も残っていないだろう」


 岡が唸り声を上げて、自牌を組み替える。


「三番目のトランスポーター? それって月面車とかのことだろう? オレの知り合いが自動車会社で設計やってるんだけど、聞いてみるかな」


「それは止した方がいい。戦争の煽りで、各国はスパイやテロ活動に敏感になっている。キミの友人にも、いらぬ嫌疑がかかっては困る」


「じゃあ殿下は? 何がいいと思ってんの?」


「私は意外と、二番目の月の有効利用に関する研究が、我々が手を付けやすい分野ではないかと考えはじめている。確かに最初は、様々なジャンルが複合されているために難易度が高いと感じたが、関連する論文を幾つか読むうちに考えが変わった。正直なところ、彼らはそれほど高度な知識を要する研究をしているとは云い難い」


「っていうと?」


「例えば月面基地における、水の再利用に関する研究がある」


「すいません、ロン。白のみ」


 私がパタンと自牌を倒すと、途端にテツジが断末魔の叫びを上げた。


「クソ! オレの役満が! スーアンコーが!」


 だろうと思った。妙に目がギョロギョロして、殺気が凄かった。


 殿下と岡は暫く硬直していたが、互いに怪訝そうに顔を見合わせて、牌をかき混ぜ始めた。


「実はゴッシー、もの凄く強いんじゃない?」


 警戒して云う岡に、私は無表情で謙遜する。


「いえ。やるの三回目くらいですから」


「運に恵まれているな。ビギナーズラックという言葉もある」


 眉間に皺を寄せて呟く殿下に、岡は冗談交じりに宣言した。


「いやいや。スーアンコーが白のみで流れるなんて、偶然の訳がない。ゴッシーの手は完全にマンガンコースだったもん。オレは信じない」


「ともかく、話を続けよう。月面基地における、水の再利用について。これは環境工学の博士と機械工学の博士が共同で書いた論文だが、非常に表層的なものでしかない。人の屎尿、月面資材を作成するのに利用した廃液。これらを再利用する必要がある訳だが、内容はそれぞれの成分を分析し、廃液に含まれるこれはこれに使えるかもしれない、屎尿に含まれるこれはこれに使えるかもしれない、といった程度を推論しているに過ぎない。この程度であれば私でも理解できるし、キミたちでも、恐らく大丈夫だろう」


 恐らく、ね。


 私は胸の内で苦笑しながら、次は殿下から上がってやろうと心に決めた。


「じゃあ、何かそういった感じで、月面基地を凄く効率的に回す方法を思いつけば、それでオッケーということ?」


「そうだな。先ほどキミが口にしていた、月面で収益を上げることのできる事業モデルでもいい。これは工学というよりは、むしろ経済学に近いのではないかと思う。例えばの話だが、月で農作物を自足させることを考えよう。麦にするか? 米にするか? 重要なのは、味ではない。単位面積当たりの作付け量、栄養価。そして派生物の利用価値だ。麦は米に比べて、単位面積あたりで養える人の数に劣る。だから稲を栽培すればいいかというと、それだけではない。麦の藁は牧草としても利用できる。同時に牛や羊を飼育するならば、麦の方がいいということになる。一方、稲の藁はゴザや草鞋といった雑貨の原料にも出来る」


「なるほどねぇ。でもさ、そこまで行っちゃうと、機械科の卒研とは言えなくなるんじゃ?」


「難しい所だな。全ては子鹿先生の胸三寸で」


 そこで、男子三人は一斉に手を止めた。


 なんだろう。


 そう首を傾げる私の前で、彼らはまるで警報が鳴った時の軍隊のように素早く動き始めた。


 殿下はテレビを消して上にタオルを掛けて、乗せてあった台座ごとクローゼットの中に押し込む。テツジは卓袱台の前に立って、布いてあった緑色の厚いマットの四隅を持ち上げる。風呂敷にくるまれるように麻雀セットは消え失せ、彼はそれをベッドの下に投げ込む。岡は天井灯を消して小さな卓上灯だけにする。そして殿下が卓袱台の上に論文を広げている間に、私の肩を掴んでパーティションの奥にある自分の居住スペースに押しやった。


「どうしたんです?」


 尋ねる私に、彼は口元に人差し指を立てる。


「舎監だ。女子は男子寮立ち入り禁止だろ。隠れてて」


「どうして来るってわかるんです」


 そう私が声を発する前に、部屋の扉が、コンコン、と二度叩かれた。


 本当だ。


 唖然として口を開け放つ私を残して、岡は広いスペースの方に戻り、扉を開けた。

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