第10話
「本当に、申し訳ない」
基地の会議室。そこに集まった十数名の運営隊員、プラス、何故か引っ張り込まれた私とテツジの前で、深々と頭を下げる隊長。
これは貴重な絵だ、と思いながら、私は彼の綺麗に剃り上げている頭を眺める。隊長は技師としてもリーダーとしても本当に優秀な人らしく、他の隊員たちからも彼の失敗談や彼に対する不平不満なんて聞いたことがない。
その隊長が、机に額を擦り付けている。
理由は、こんな事らしい。
ディーさんが云っていたように、ベテルギウス爆発の直前に打ち上げられていたJTV補給船は、月に向かう途中にスラスターの幾つかが故障してしまい、制御が困難な状況に陥っていた。そしてここ数日、筑波の技師たちは必死に補給船を月面基地へと誘導しようとしていたが、結局残りのスラスターの推力で辿り着かせるのは不可能という結論に達したらしい。結果としてJTVは、かぐや基地から三十キロほど離れた地点に不時着することになった。
着陸自体は、上手くいった。JTVは月面に軟着陸し、大きな破損も見られない。
「三十キロ、か」隊長は大きなモニターに映し出された月面地図、そしてそこにポイントされている赤い印を眺め、難しそうに唸った。「克也、どうする?」
問われた上井克也も、腕組みしつつ唸る。
「何しろ、積み荷だけで六トンですからね。JTV本体と合わせたら十トン近い。何回かに分けて運ばないと無理でしょう」
「特に劣化する部材は積んでいないから、それは大丈夫だ。それよりLRV(月面車)は使えるのか?」
「問題はそこです。現状、ベテルギウスがLRVに与える影響は未知数です。しかも片道一時間程かかる距離です。途中で故障しても歩いて帰ってこれる距離ではありますが、それでLRVを失ってしまったらキツいです。なにしろ二台しかない貴重品ですからね」
克也の云うLRVは、八本のタイヤを持った四トンダンプトラックと云っていい。主に月面の土や石を運搬するのに用いられていたが、とにかく巨大な機械を運搬してくるのが困難な月面において、とても貴重な車両だった。
「それより」と、克也は地図に歩み寄り、青く印を付けられているポイントを指し示した。「不時着地点は、アメリカのアームストロング基地から二十キロの地点です。彼らに回収してもらった方が良いかと。彼らはウチの倍デカいLRVを持ってますし」
「アームストロング、か」隊長は深々と呟いた。「ちょっと最近、連中には借りを作りすぎてる。掘削機の改造、それにアトロピンの件もそうだ。キミは何か、貸しを持ってないか?」
「いやぁ。最近はこれといって。ポーカーの勝ちは千ドル近くツケてありますが」
「ポーカーか。その手があった」
自らの執務室に戻った四方は、早速アームストロング基地へとホットラインを開いた。画面に現れたのは五十代くらいの白人男性で、痩せて引き締まった顔に白い短髪、そしてどうにも捕らえ所のない、視線定かならぬ瞳を持っていた。
「リチャード将軍」
云った四方に、彼は少し渋そうな表情を浮かべながら答えた。
「やぁシカタ。元気にしてるか?」
「まぁな。そっちはどうだ」
「どう?」何か探るような目つきで、隊長を眺める。「どう、って。何だ」
「何をそう警戒してる。ただの挨拶じゃないか」
「挨拶、ね」と、アメリカ空軍准将であるリチャード・アンダーソンは、机の上のペンを弄んだ。「今日は、やらんぞ?」
「何をだ」
「チェスだよ。いい加減にしてくれ。暇つぶしに苦労してるのはお互い様だが、こう毎日コテンパンにされる側の身にもなってみろ。しかもキミはエンジニアで、私は軍人だよ? 戦術ゲームでボコボコにされてるなんて。アイデンティティーの喪失だよ」
これは参ったな、と隊長は思った。彼はJTV回収を、チェスで勝ち取るつもりでいたのだ。
「ふむ。なら将棋はどうだ? チェスよりも自由度が高いゲームで」
「JTVの件か?」鋭く口を挟まれ、隊長は口を噤んだ。それを例の不思議な瞳で眺めつつ、リチャードは続けた。「ま、暇だしな。別に運搬を手伝ってやってもいい」
「そうか。それは助かる。代わりに私も、キミの不名誉は黙っておくことにするよ」
「不名誉、ね」苦々しく云って、「それより積み荷は何だ。さすがに毒薬とか放射性物質とか、そんなヤバいのが積まれてるんなら、こちらもそれなりの準備をする必要がある」
「まぁ、通常の補給物品だ。リストを送る」
キーを幾つか叩いて、データを送る隊長。すぐに手元に届いたリストを眺めながら、リチャードは軽く首を傾げた。
「ははぁ。食料、医薬品、それに電化製品」
そのまま、思案顔でリストを眺め続けるリチャード。
「危険な物は何もない」
不自然に長い間に、隊長は言葉を継ぐ。そこでリチャードはぱっと顔を上げ、相変わらずのポーカーフェイスで云った。
「そういえば。私は法律とか条約とか、そういうのに酷く疎い人間なんだが。月面での拾得物に関しては、何か決まり事があったかな」
「拾得物?」
「アレだ。確か日本の法律では、落とし物を拾った場合、その十パーセントは貰える事になってるんじゃなかったかな?」
しまった、と思っても、後の祭りだった。それはチェスは弱いかもしれないが、事、現実での戦術や交渉に関しては。相手は将軍、プロ中のプロだった。
「待て待て。アメリカの連邦法じゃあ、取得物の報奨金制度なんてない」
「しかし、かぐや基地は日本の法律に従っているし、アームストロングは連邦法だ。ならJTVの内部には、日本の法律が及ぶってことになるだろう?」
四方は舌打ちし、云った。
「何が欲しい」
「私はね」と、リチャードは自分の爪を弄りつつ。「別に堅苦しい軍人ってワケじゃない。むしろ出世コースから外れて変人扱いされてるものだから、こんな月面基地に島流しにされた。いいよ? 別に苦には思ってない。宇宙は好きだ。それに月も。だがね」
「いいからさっさと云え。何が欲しい」
リチャードは渋面を作りつつ、何か悪さを告白しなければならない時の子供のような調子で、云った。
「PS7。半分よこせ」
「は?」
「プレステ7だよ。どうしてオマエらの国は、プレステとか、ニンテンドーとか、遊ぶことばかり考えてるんだ! そのくせ労働時間は世界一だし、ワケがわからんよ。働いてろ。そして遊ぶことはオレたちに任せろ」
「駄目だ。それは駄目だ。アレがなければ、隊員たちが暴動を起こす!」
「いいじゃないか、二十台も積んであるだろう! 十台くらい、ケチケチすんな!」
「無茶を云うな! 最近のゲームはネット対戦型が殆どだが、地球と対戦出来るワケじゃない! 通信遅延があるからな! だから基地に二十台くらいないと十分なパーティーが組めないんだ! だいたいオマエ等の国にはXBOXがあるだろう!」
「何だ! それは喧嘩を売ってるのか!」
そして交渉は、決裂に終わった。らしい。
「本当にすまん。搭載品のリストを見せたのは、私のミスだった。リチャードは食えないヤツだというのは承知していたつもりだったが、まさかあんな理屈で攻めてくるとは。ひょっとしたらチェスで負けていたのも、私を油断させる作戦だったのかもしれない。本当に申し訳ない」
ようやく事情を語り終えた隊長は、再び深々と頭を下げる。幹部の半分はそれを呆れた風に眺めていたが、残りの半分、そして特に羽場は、酷く血相を変えていた。
「ちょっと隊長! そんなの駄目だって! JTVを無事に回収できたら、みんなで一緒に新作ゲーム三昧するんだって話になってたじゃないの! そんなの許されないって!」
「わかってる。わかってる。だから大至急、佐治に作戦を立ててもらった」
隊長の脇に座っていた佐治。彼は軍人らしく、すっ、と立ち上がると、コンソールを操作してスクリーンに月面地図を表示させた。
「現時点では、まだ作戦らしい作戦は立てられていないが。まず現状を知ってもらおう。JTVの不時着地点がここ、アームストロングがそこから北東二十キロ、我々のかぐや基地は、南東三十キロだ。そしてPS7、二十台の重量は、約百キロ」
そこで羽場が口を挟んだ。
「じゃあ一人で二個は持てるでしょ? 今すぐ、十人くらいで宇宙服着て向かおうよ。時速五キロ出せるとして、六時間もれあれば辿り着ける」
そんな行軍、誰が? という視線を周囲から向けられ、羽場は僅かに身を反らした。
「いやぁ。ボクは無理よ? 体力ないし。頭脳派だから。ってか、こんな時のために佐治たち軍人がいるんじゃない!」
「体力のある、なしに関わらず、それは無理だ。ドクター津田の命令を忘れたのか?」
「え? 何かあったっけ?」
「ベテルギウスだ。アレのおかげで宇宙線の量が増している。現時点では、月面での活動は三時間以内と決められている」
「つまり、片道一時間半しか使えないってこと? じゃあ時速は、えぇと、二十キロ必要だ! LRVじゃないと無理じゃん!」
「その通り。そしてこの条件はアームストロングも同じだ。だから連中は現在、LRVの耐ガンマ線処置を急ピッチで進めている。完了までの時間は、おおよそ七時間。それからJTVまで一時間弱で到着。つまり我々に残された時間は、八時間ということだ」
「ちょっと待て」と、克也が口を挟んだ。「アームストロングがLRVの改造をしてる? どうしてそんなことまで知ってる」
「こんなこともあろうかと、アームストロングには事前にスパイを潜り込ませていた」
重々しく云う隊長。一同は腰を上げかけるほど動揺し、真っ先に克也が問いただした。
「スパイ? 一体、どうやってそんな。アームストロングは米軍の管轄下でしょう?」
「あぁ、スパイは言い過ぎかな。協力者だ。通ってるウチに仲良くなったのがいてね。その彼が情報提供を申し出てくれた。無論、ただでとは行かなかったが」
「その。こんなこと、聞いていいのかわかりませんが。相手の要求は?」
隊長は渋そうな表情で、苛立たしく吐き捨てた。
「PS7、二台」腰を上げ、一斉に反対を口にする半数の幹部。それを隊長は両手で押し留め、続けた。「待て。それは確かに法外な要求だが、この場合、飲むしかなかった。敵状がわかるんだ。作戦を遂行する上で、これ以上重要な物はない」
「十台か二台か、か。ま、それなら仕方がないよね」と、羽場。「つまり、こういうことだね? こっからJTVまでは、ウチのLRVだと、どんなに急いでも一時間と少しはかかる。だから残された時間は六時間ってこと。その間に上井のオッサンが、耐放射線改造を済ませる」
難しそうな顔をしつつ、腕を組む上井克也。そして彼が何か言い掛けた時、それを遮るようにして佐治が声を上げた。
「いや。LRVは使わない」
「どうして! なんでさ!」
「別に上井さんを過小評価しているワケじゃないが、向こうは米軍、しかも工兵部隊を一個小隊も抱えてる。対するこっちは? 半民間だ。向こうが七時間で作る物を、こちらが六時間で作れるとは思えない」
「あぁ」と、克也がため息混じりに。「出来ると云いたい所だが、正直不可能だ。だいたい現状、電子装備にどれだけのシールドを施せば安全なのかも、わかってない」
「じゃあ、どうすんの? やっぱ佐治が宇宙服で、頑張って走る? それもいいかもね」羽場が半ば皮肉な調子で云った。「月面フルマラソンだ。三十キロ程度、佐治なら一時間でゴール出来るんじゃ? ま、それで二十台のPS7を、どうやって運ぶのか知らないけどさ。あ、ボクのスケボー持ってく? それなら十台くらい積んで運べるかもだけどね!」
「さっきから五月蠅いんだよ! オマエは少し黙ってろ!」
「黙れ? 何さそれ! だいたいJTVが不時着しなきゃならなかったのだって、軍の偵察衛星打ち上げのおかげで発射スケジュールがずれた所為で」
「じゃあオマエに何か名案があるのか? オレにはある」
自信満々で云う佐治と、黙り込む羽場。
さすがに私はとっくに、嫌な予感がし始めていた。何とか口実を付けて逃げなければと脂汗を浮かべながら考えていたが、ついにその機会は訪れず、佐治は私とテツジ二人に顔を向け、云っていた。
「回収には、ムーンキーパーを使う。高専チームが開発した、外骨格だ」
やっぱりな、と思いながら、私は大きくため息を吐く。もうこの会議は、目的といい、議論している内容といい、何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。
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