第17話

 チッ、と、何かが掠る感触が、ムーンキーパーの手経由で私に届いてくる。だが私は何の考えもなく全力で巨大な杵を振り回したものだから、その重さに引っ張られて途端に姿勢を崩していた。


「のわっ!」


 まるでハンマー投げの選手のように、軸足を中心としてクルクルと回ってしまう。それでも何とか転ばずに済んだ。一息吐いて瞳を上げると、ジョーは十メートルほど背後に飛び退き、月面に着地しようとしている所だった。


 私はすぐに杵を担ぎなおし、思い切り振り上げ、パワードスーツに向かってジャンプした。


「待て待て! ちょっと待てって!」


 着地する瞬間、叫びつつスラスターを噴射させて逃げるジョー。私が振り下ろした杵はスーツの残した影を粉砕し、ドスンと月面に突き刺さり、一メートルはめり込んだ。


「何だよ! ちょこまか逃げんな! ご自慢のスーツだろ! 何発か殴らせろ!」


「無茶云うな! そんなの食らったら、ヤバいに決まってるだろ!」再び私が振り回した杵を避けつつ、ジョーは叫ぶ。「おい佐治! このお嬢ちゃんを止めてくれ! さすがにこれは洒落にならんぞ!」


 ふむ、と佐治は無線経由で唸る。


「いや。面白い。一発くらい食らってみてくれ。そいつは確か、RPG食らっても平気なんだろ?」


「それとこれとは、話が」困惑した風に云って、ジョーは四方を見渡した。「おいベン! なにぼさっと眺めてんだ! 助けろって!」


「いや。それはさすがに卑怯だろ」少し離れた岩場に腰掛けていたベンは、楽しげに云う。「一対一を邪魔するような無粋な真似、オレが出来るか」


「クソッ! どいつもこいつも!」愚痴りつつジョーは、私が振り下ろした杵を避け、高く、高く、上空に飛んだ。「こんなの、マジになれるはず、ないだろ! こっちが本気出したら、そっちのハードタイプ宇宙服なんて、速攻で潰れるんだぞ! わかってんのか!」


「ハハッ!」私は思わず、笑い声を上げた。「当然、わかってるに決まってるじゃん! さすがにこんな事で、アメリカ軍が日本の民間人を危険に晒すワケがない。なら私は、足とかピンポイントで攻撃されないように、コイツを振り回してればいいだけ、ってこと!」


「うむ。それが正しい。良い判断だ」


 佐治のお墨付きを得て、私は更にジョーを追う。とにかく懐に潜り込まれないようにするのが最優先だ。彼は隙を見て飛び込んでこようとするが、その度に私はブンブンと杵を振り回す。それは対戦車ミサイルも防げるという装甲を持っているパワードスーツだ、その気になれば多少のダメージ覚悟で突っ込んで来れるのだろうが、彼としては、こんな馬鹿馬鹿しい戦いで数千万ドルの装備に傷を付け、将軍に叱られるのなんて願い下げなのだろう。何とかノーダメージでの勝利をもぎ取ろうとした結果、追う私、追われるジョー、という図式は変わらない。


 だがその先の事を、私はまるで考えていなかった。ふと、〈あれ、こっからどうしよう〉と考えた、その時だった。杵を振り回した瞬間に左足の操作モジュールから、何か嫌な感触が伝わってくる。


「あれっ!」


 きっと辺りが真空でなければ、バキンと金属が破断する音が響いていただろう。不意に私が左足に加えていた力が空振ったかと思うと、ムーンキーパーの左足も力を失い、ガクンとバランスが崩れて膝を突く。


 あぁあ、というテツジの声。


「よっしゃ! それを待っていた!」ジョーの叫び。彼は素早く僚機のベンに向かって飛んでいくと、その背中から無理矢理ランチャーを取り外し、自らの背中に装着した。「これで終わりだ!」


 バッ、と放たれる白煙。私は為す術もなく、その砂を全身に浴びていた。すっかり杵を振り回すので夢中になっていたが、一発目の散弾で、ムーンキーパーの関節には少量の砂が入り込んで、ギシギシとした嫌な感触を発し続けていた。そしてそれが、とうとう限界に達していたのだろう。更に大量の砂を浴びて、すぐに残された関節も嫌な歪みを増大させる。私は辛うじて片足で立ち上がろうとしたがそれも叶わず、そのままバタンと、月面に倒れ込んだ。


「ちくしょー」


 ベテルギウスを見上げつつ、私は呟く。ジョーは大きなため息を吐きつつ、ランチャーを切り離し、ついに我が物となったJTVに向かって飛んでいった。


「やれやれ、勘弁してくれよマッタク」


 愚痴るジョー。それを追って、ベンもJTVの前に向かった。


「いやいや、グッジョブだった。いい戦いだった」


「オマエ完璧他人事だな。グランツーリスモやりたがってたの、オマエじゃねーか」そしてジョーはJTVを見上げ、云った。「ま、佐治、悪く思うなよ? これが戦争だ。勝った側が、全てを得る」


「そうだな」何という事もない様子で、佐治は応じた。「終わるまで何が起きるかわからんのも含めて、な」そして彼は、日本語に切り替え、云った。「今だ、テツジ!」


「え? マジでいいんすか?」


「いいから行け!」


 一体、何だろう。


 思いながら私は、辛うじて身を上げる。JTVの前で、コンソールを操作しようとしている、二体のパワードスーツ。その背後の岩山からテツジの一号機が飛び出した。彼は数十メートルの距離をジャンプしつつ、自らの頭部を器用に取り外し、その顔をパワードスーツに向ける。


「さっきから英語で何云ってっかわかんねーけど、とりあえず馬鹿にされてんのだけはわかってたわ!」


 そして彼は取り外された頭部に手早く操作を加える。すぐにボール状だった頭部はバカンバカンと変形していき、最後には一個の大口径小銃のような形になった。


「食らえメリケン! ハイメガ粒子砲!」


 月面に着地した瞬間、彼は引き金を引く。


 ポン、と銃口から飛び出したのは、何か白くて大きな玉だった。それほど速度もないソレは二体のパワードスーツに向かって飛んでいき、ようやくジョーの背に触れると、不意にパンと破裂し、白い粘着質の何かが大きく広がった。


「うぉっ! 何だ!」


 叫ぶジョー。粘着質の物体は隣にいたベンをも巻き込み、二人はすぐに身悶えをする。だが粘着物体はスーツの関節に絡みつき、JTVの壁面にベッタリと貼り付いて、まるで二人は身動きすることが出来なくなっていた。


 きっとアレは、空気漏れなどの応急処置に使う、トリモチと呼ばれるヤツだろう。


「な、何じゃそりゃ」


 辛うじて呟く私。続けて佐治とテツジの歓声が響いた。


「やりい! どうよオレの頭は飾りじゃねーんだよ! どうっすか佐治さん、大成功じゃないっすか!」


「だから云っただろう、投射兵器は必要だと!」


「いやぁ、それを聞いて、何か出来ないかなと思ったんすよ! で、せっかく餅をつくんだから餅でも吐かせようかと。どうっすか必殺トリモチ弾!」


「完璧だ!」


 不意に私は、泣きそうになっていた。


 すっかり私は勘違いしていたのだ。


 どうにも元気のない、反応の鈍いテツジ。それでせっかく失意の底にいるものだと察してやって、何とかムーンキーパーと取り持ってやろうとしてたってのに。克也さんを引き留めて頭も付けさせてやったってのに。だがそうしたテツジの挙動が不審だった理由も、今では別の理解の仕方が出来る。


 アレは単に、自分が仕込んだ悪戯がバレないか、ビクビクしていただけだったのだ。


「ダメだコイツ。救いようもねぇ」


 私は呟き、ガクリ、と月面に膝を落とした。

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