第16話
結果から云うと、私も何とか、崖の登頂に成功した。だが私は何度跳躍を試みても手がかりを掴む事が出来ず、岩壁にぶち当たり、ズルズルと滑り落ちるのを繰り返したあげく、結局は無理矢理這い上がれたという具合だった。テツジはテツジでまるで手伝おうとはせず、崖の上にムーンキーパーを座らせ、休んでいる。
「もう、やだ!」クタクタな私は月面に転がると、喘ぎながら叫ぶ。「もう、何でこんなことしなきゃなんないんだよ! 帰りたい! 帰ってお絵描きしたい!」
テツジの一号機はおもむろに立ち上がり、横たわる私の二号機に人差し指を向け、大笑いするように機体を反らせてみせる。頭にきた私は、すぐに立ち上がって捕らえようとしたが、彼は逃げるようにして踵を返す。
テツジの向かう先には、JTVの白磁色に輝く機体があった。崖の上は台地状の広場になっていて、JTVはその中央に、ぽつんと鎮座している。多少着陸の際に擦ったような跡が十メートルほど続いていたが、外観は特に破損している様子はなかった。
「くそー。もー」
愚痴りながらも、私も後を追う。数分でたどり着いたJTVは、ムーンキーパーの胸ほどの高さがある。私は分解されていないJTVを見るのが始めてで、不意に疲れも忘れて周囲を眺めてみる。
「うわー、やっぱリアル宇宙船は格好いいねぇ。なんていうか、メカメカしくて」
無線を入れつつ、云う。ツルンとした外観ではなく、外壁には繋ぎ目がいくつもあり、小さなハッチや、センサーが埋め込まれているらしき窪みやらがある。そうした実用のために生まれたデザインのムラというか、完璧に綺麗に整っていない様というのは、タブレットを前にして想像だけで付け足すのが難しい素敵さがある。テツジはテツジで特に何も云わなかったが、後部スラスターの前にしゃがみ込んで、ノズルの状態なんかを熱心に眺めている。
間もなく、佐治の三輪車が私たちに追いつく。
「司令室。JTVに到着。特に外観に異常は見られない」云いながら彼は三輪車を停め、月面に飛び降りた。「後部与圧部ハッチ、異常なし。前部非与圧部ハッチ、異常なし。ちょっと底を擦った程度のようだ。ただし全面に砂が付着している」
「オッケー、PS7があるのは非与圧部だ」と、月面基地にいる羽場の声が響いた。「内部電力には問題ないから、パネルを操作すれば開くはずだ」
佐治はおもむろに前部ハッチに近づくと、その脇にある小さな扉に付着した砂を払い落とす。そして軽く調子を確かめた後、彼は振り返り、二機のムーンキーパーを見上げ、云った。
「せっかくだ、ソイツで出来るか、試してみろ」
どうしても彼は、ムーンキーパーの実用性をとことん試したいらしい。
「もう、いいから、ちゃっちゃとやって帰りましょうよ」私はウンザリしつつ云った。「ほら、アームストロングのLRV、もうすぐそこまで来てますよ」
何度か振り返って確かめていたが、彼らの大型LRVは、既に私たちが苦労した崖のすぐ下に辿り着こうとしていた。佐治は双眼鏡を取り出してそれを眺め、云う。
「なに。崖を回り込むのに十五分はかかる。まだ余裕だ。だいたいJTVは既に我々が確保している」
「そりゃ、そうですけど」
テツジの一号機は佐治の指し示す小さなハッチに手を伸ばし、そのパネルを操作しようと四苦八苦し始めていた。しかしどうにも私は、一応〈敵〉ということになっているアームストロングの人々と鉢合わせするのが不安で、見る間に近づいてくるLRVを眺め続けていた。
そしてLRVが、崖の陰に隠れようとした、その時だ。車体の後部から、何か二つの閃光が宙に向かって飛び出していった。
「なっ」
思わず叫ぶ。まるで小型ロケットが発射されたかのような炎。だがその先端にあるのは、鉛筆型のロケットなどではなく、明らかな人型をした何かだった。
「まさか連中、パワードスーツを持ってきたのか!」
佐治も見咎めて叫ぶ。宙を飛ぶ二つの物体は、全身が暗褐色に輝いていた。大きさは宇宙服を一回り大きくした程度だったが、ハードタイプの宇宙服を更に硬質にしたようなデザインで、全身が堅そうな装甲に被われている。炎を発しているのは背中に装着されたバックパックで、それは素早く何度か四方に炎を発すると、軌道を変え、速度を変える。そして最適化された動きで素早く月面に降り立つと、ぱっと左右に散り、JTVを挟み撃ちするかのような動きを始める。
「パ、パワードスーツ? 何ですかあのアイアンマンみたいなの!」
「〈宇宙の戦士〉に出てくるような、戦闘用スーツだ! クソッ、まさか、あんな物を持ち出すなんて!」
その時、私たちの無線に何者かの声が割って入った。
「よう、佐治」英語だ。英語で、その何者かは、可笑しそうに云う。「相変わらず日本人はロボット好きだな、そんな物まで作りやがって。アホだな!」
続けて別の声が響く。
「まったくだ。デカいのに何か意味があるのか? やっぱヒーローは、スーパーマンにバットマン、キャプテンアメリカだろう」
「ジョー、それにベンか」苦々しく佐治は云った。「オマエ等みたいに元々デカくて、筋肉の固まりな人種には、わからんのだろうな。ロボットの素晴らしさは」
「とにかく、PS7は渡してもらうぜ? オレらも暇で暇でしょうがないんだ」と、ジョー。
「まったくだ。ソイツがあれば、オレらも将軍のつまらんギャグを聞き続けなきゃならない拷問から解放されるんだ」と、ベン。
云いながら二体のパワードスーツは、月面を滑るように移動し、ぐるぐるとJTV、そして私たちの周りを巡る。彼らの背中には何か大砲のようなランチャーが据え付けられていて、戦闘用の武器を携えているのは確かだった。
「ちょ、どうするんです? 私ら、戦闘なんて無理ですよ!」
叫んだ私に、佐治は迷ったような声を発した。
「まさか連中も、オレたち相手にロケランをぶっ放すような事をするはずが」
彼が云った時だった。スーツの片方が背中に手を伸ばし、装着されているランチャーをこちらに向ける。
「馬鹿な!」
佐治が叫んだ瞬間、砲口の背後からは白煙が吹き出した。同時にミサイルだか何だかが炎を発して、私たちめがけて真っ直ぐに突っ込んでくる。
「う、撃ってきたあああ!」
「待避! 待避!」
叫びながら、佐治は素早く宙に飛ぶ。テツジも悲鳴を上げながら一号機を翻していたが、私は完全に頭の中が真っ白になっていて、まるで身動きすることが出来なかった。
瞬きの間に迫ってくる、ロケット弾。
あぁ、私はこんな所で死ぬのか? つか何だこれ? 意味わかんなくね?
辛うじて混乱する頭の中で私が考えていた時、ロケット弾は急に宙で破裂し、ばぁっ、と前方に灰色の煙を吹き出させた。
何だ、と思う間に、二号機の全身は煙に被われる。次いでカツカツと小石か何かが当たる音、パラパラと砂っぽい物が宇宙服に触れる感触がする。
「な、何これ?」
云いながら無意識に腕を振り、煙を払いのけようとする。
その時、ムーンキーパーは、明らかな異常を発していた。それまで滑らかに動いていた各種間接。それが不意にギシギシと音を上げ、何かしようとする度に、金属を擦る嫌な音が響き始める。
「HAHAHA!」いかにもアメリカ人といった、ジョーの笑い声が響いた。「アームストロング基地特製、月面砂散弾だ! そんな稼働部が剥き出しの玩具には、効果覿面だろう!」
「え? 何? どういうこと?」
完全に混乱しつつ叫んだ私に、何処かに隠れてしまったテツジが応じた。
「あぁ、やべぇわそれ、マジでヤバい」
「何が!」
「あんな砂、モロに浴びたらよ。砂が関節の隙間に入って、擦れて壊れるわ」
「マジで? 何それ!」
見渡すと、テツジの一号機は何十メートルも離れた岩陰に隠れている。彼は宇宙服の中の首を傾げ、思案しつつ云った。
「まぁその感じだと、二発が限度かな」
「なるほど」と、これまた姿の見えない佐治。「面白い。要改良だな。可能か?」
「布か何かで、関節被うだけっすよ」
「なるほど」
「そんな簡単なら、何で最初からやっとかねーんだよ!」
叫ぶ私。開けた煙の向こうでは、パワードスーツの肩に取り付けられたロケットランチャーが小さな火花を発し、スーツから切り離されていく。そして身軽になったジョーは軽く左右に移動しつつ、私の様子を窺い、云った。
「さ、終わりだ。もう一発食らいたくなきゃ、さっさとそこをどくんだな」
「まったくだ」と、姿の見えないベン。「そんな玩具で、コイツに刃向かおうなんて。無茶にも程がある」
「玩具?」カチンと来て、問い返す私。「玩具って何だよ! そっちのだって玩具じゃん!」
「おっと。女の子だったとは。これは失礼?」おどけたように、上背を倒すジョー。「まぁ確かに玩具には違いないが、結構な金がかかってる玩具だ」
「え? 幾らくらいするの?」
ふと、首を傾げるジョー。
「幾らだった?」
「オレが知るかよ」ベンが苦々しく云った。「数千万(ドル)はするんじゃないか?」
「だ、そうだ。それだけ色々な装備が付いてる。例えば光学迷彩」
云った途端、彼のパワードスーツは、かき消えた。
別に瞬時に移動したとか、そういうワケではない。とにかく瞬きの間に、姿が見えなくなったのだ。
「うおお、すげえ!」
感動して、唸らざるを得なかった。光学迷彩は初めて見る。パワードスーツに内蔵されたカメラで前面背面の光景を撮影し、それを装甲に貼られた極薄のディスプレイに映し出す。見る側からしてみれば背景に同化してしまい、まるで消えたかのように見えるという仕組みだ。
「と、云うわけで」光学迷彩のスイッチが切られると、すぐにジョーのスーツは姿を現した。「勝てるワケないだろ? そんなのに、一週間か二週間で作った玩具がよ」
「な、何で、そんなことまで知ってるの?」
「諜報は戦術の基礎だ。かぐや基地に、オレたちの協力者がいるのさ。ムーンキーパーだったか? そいつの関節は保護されてないこと、武器なんて装備されてないこと。それだけわかりゃ、十分だ」そして彼は一歩、硬質な装甲に被われた足を踏み出した。「さ、そこをどくんだ。せっかく作った自慢の玩具、壊されたら悲しいだろ?」
「って、そう、玩具玩具云うな!」とても我慢がならず、私は叫んだ。「軍事企業に造ってもらったスーツを着てるだけのアンタらに、何がわかるのさ! こういうの造るの、どんだけ凄い発想とか、閃きとか、必要だか。わかってんの? アンタらの着てるのなんて、アイアンマンとかのパクリじゃん! お金があって、それなりの技術があれば作れる。対して、こっちはどう? こんなもの、アンタらに考えつく? 動力も、お金も、殆どいらないんだよ? そんなスーツより、こっちの外骨格の方が。何倍も凄い!」
マンガにしろ何にしろ、創作において発想や閃きがどれだけ重要か、私は知っている。神懸かった物語の展開も、神懸かった機械構造も、元は一緒だ。考えて、考えて、そしてようやく、不意に神が降りてくる。
私も何度か経験があるが、それは単なる偶然とかで片づけられる現象じゃない。それなりの知識、苦労があって、初めて得られる〈贈り物〉なのだ。それはテツジはぐうたらで、適当で、他人への思いやりとかは皆無なダメ人間かもしれない。けれどもそうした彼であっても、それなりの苦労をして、必死で何かを、考え続けているに違いないのだ。
でないと、こんな凄いもの。作れるはずがない。
「さぁ、かかって来なよ。こいつの凄さ、見せてやろうじゃない!」
もう、ただのヤケクソだった。それは見え見えだったろう。その回答にジョーは大きくため息を吐き、小首を傾げた。
「まったく。仕様がないな。じゃあ悪いが、足くらいは壊させてもらうぜ?」
途端、彼のスラスターが火を噴き、数十メートルの距離を突っ込んでくる。
当然、あんな最先端技術の結晶であるパワードスーツに、正面から戦って勝てるはずなんてない。
だが、彼にはただ一つだけ、誤算があるのを。私は知っていた。
「あ! ちょっと! それってそんなに高いってことは、装甲も凄いのよね?」
云った私に、彼は速度を緩めず、それでも怪訝そうな声で応じた。
「あ? そりゃあ、並の衝撃程度は吸収する素材で」
「じゃ、じゃあ、多少ぶっ叩いても、大丈夫ってことよね?」
私の意図が、全くわからなかったのだろう。何云ってんだこいつは、というように、まるで警戒心なく突っ込んでくるパワードスーツ。そこで私は思いきって背中に手を伸ばし、佐治が念のためにと云って技師たちに装着させていた例の巨大な杵を取り外し、両手でしっかりと握りしめた。
「やべえ! 何だよそれ! 武器はないんじゃなかったのかよ!」
叫びながら、大慌てで逆噴射するジョー。
「オラァ! 食らええええ!」
どうせ、当たるはずもない。そう私は思って、半ば目を瞑りながら、思い切り杵を振り回した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます