第7話
「まったく、キミらはすぐにそうやって先走る」
とにかく突っ走ろうとする岡に、追従しようとするテツジ。そしてそれを引き留めようとするのも、いつもの殿下だ。
「とは云ってもさ。四の五の考えてる場合じゃないだろ? もういいじゃん、これを卒研にしようぜ」
「そう簡単に決められるものじゃない。この公募には、非常に多くの条件が付いている。まずそれを精査してみる必要がある」
確かに、紙面に記されている各種条件は膨大な数があり、中には法律用語のようなものも含まれている。
「五所川原さん、その応募要項を人数分コピーしてくれないかな。まず各自、それを細部に亘って理解すること」
「わかった。じゃあそうしよう」
岡も同意して、ひとまず解散となる。私は女子寮に戻ると、早速応募要項を机の上に広げて、内容を子細に確かめていった。ところが中には知らない法律用語らしい単語が沢山出てきて、それを調べるだけでも半端ではない時間がかかった。
「カシ? 責任、責任の所在。つまり黒字になれば儲け分はあげるけど、赤字になったら宇宙公団が精算してくれる、ってことか。いい条件じゃん」
独りでブツブツ云いながら、文面の解読を続ける。もちろん、私たちにとっていい条件ばかりではなかった。
特に会計や契約関連。同人誌商売をやっている私だから多少は理解できるものの、彼ら三人組にはさっぱりだろう。
「え? つまり体裁的には、宇宙公団の社員になるってことか? じゃあ、そん時、学校ってどうなるんだろ」
捕らぬ狸ではあるが、間違って選ばれてしまった場合は大変なことになりそうだった。
ふと、携帯電話の呼び出し音が鳴り響いた。時計を見上げると、十二時少し前だった。
「はい?」
「もしもし? 後藤さんですか」
誰だろう。聞いたことのない声だ。
そう私が切ろうかどうしようか迷っていると、向こうは少し自信なさげな声で付け加えた。
「もしもし? あの、桜庭ですが。今日、楓さんとで」
あぁ、彼か。
それにしては、一体何の用だろう。
「はい。今晩は」
とりあえず云った私に、彼は安堵の息を吐いた。
「良かった、間違えたのかと思った。いえ、あの、急に電話してしまってすいません。実は、楓さんに、後藤さんに謝るようにと」
「謝る? 私に? 楓が? どうして」
本気でわからずに尋ね返すと、彼は消え入りそうな声で云った。
「あの、すいません。ボクが余計なことを云ったから、帰り際まで凄く機嫌が悪そうだったので。すいません、ちょっと余計なことを云いすぎたみたいで」
まったく、楓のヤツ。勘違いにも程がある。
私は今度会ったときにシメてやろうと考えながら、苦笑混じりに云った。
「別に機嫌が悪かった訳じゃないよ。ちょっと別のこと考えてただけで。気にするなって楓にも云っといて」はぁ、と疑い半分の声を上げる桜庭に、私はふと尋ねた。「そういえば桜庭氏さ。賞で佳作取ったことあるんでしょ? 構わなければ見せてもらえないかな」
「え。あぁ、別にいいですよ。後藤さんってパソコン持ってます?」
「あるけど?」
「ボク、全部パソコンで描いてるんで。すぐにメールで送りますよ」
私がパソコンを操作すると、間もなく桜庭からのメールが届いた。一緒に送られてきたファイルを開くと、まるで男が描いたとは思えない、線の細い絵が表示された。
無駄な花や瞳のキラキラはないが、絵のスタイルは少女マンガに近く、話の内容も少年マンガのような戦闘がある訳でもない。地味なミステリーのようなお話だった。
「へぇ。これで佳作なんだ」
そう云う私に、桜庭は苦笑して云った。
「まぁ、単なる運だったかもですけどね」
「いや、別に悪い意味で云ったんじゃないんだ。ただ、なんていうか。普通だからさ」
「普通?」
私は煙草に火を付けながら、少し頭を掻いた。
「なんていうか、話も絵も纏まりすぎてるっていうか。予定調和なんだよね。ラストの二段オチも綺麗だし。ほら、まるで一流脚本家が書いた量産ドラマシナリオみたい。あ、悪い意味で云ってるんじゃないよ? クオリティーが高いって云ってるんだ」
釘を刺す私に、桜庭はまるで気にしていないように笑った。
「いえ。いいんです。そういうの意識して描いてますから」
「意識して? なんでそんな量産品みたいなのをわざわざ描くのさ。意味ないじゃん」
「ま、そうなんですけどね」意外と彼は私の暴論を素直に受け止めて、小さく息を吐いた。「でも、まだ早いかなって」
「早い? なんでさ」
「編集の人にも云われたんですけどね。そういった自分の世界を描く前に、ちゃんと起承転結を纏める技術を磨いた方がいいって。じゃないと読者がついて来れなくて、独りよがりになるって」
「そりゃ、読者が馬鹿なのが悪いのさ。そんな連中に付き合って、レベル下げた話を描いて楽しいか? わかるヤツがわかってくれればいいじゃん」
「それで売れるんなら、御の字なんですけどね」
「そんなの。好きなように描いて、それで売れなきゃ、自分のセンスはそれまでだってことだろ?」
「それは、そうですけどね。ボクも後藤さんのように自信が持てたらいいんですけど。でも今は修行のつもりで基本を押さえた話を描いて、評価してもらって、自信が出てきたらそうしたいなとは思ってます」
駄目だコイツは。
私は思わず、苛立たしくため息を吐いてしまった。
「いいか? 私、いっつも楓に云ってるんだけど。馬鹿な読者に迎合したって、いいものは出来ないよ? こんな普通なのは捨てちまって。自我を出した話を描きなよ。ないの? そういうの」
「それは。ありますけど。全然面白くないですよ?」
「自分は面白いと思って描いたんだろ? ちょっと見せてみなよそれ」
しぶしぶ送ってきた新しいファイルを開く。
画質にそれほど違いはないが、ストーリーは取り留めもない日常を描いているだけで、オチどころか起承転結もない。
「ボクは思うんですけどね。ボクらの日常には起承転結なんてない訳ですよ。なんとなく何かが起きて、よくわからないまま巻き込まれてしまう。伏線なんて存在しなくて、終わりがあるのかすらわからない。物語は宇宙がビッグクランチを迎えるまで延々と続いていく訳ですよ。だとすると、そういう日々の不安定さというのがボクらの本来の性質であって、その不安定な中での様々な可能性を見せていくのが、漫画なり小説なり映画なりの勤めな訳で。まぁそんなことを考えながら――」
私が黙って読んでいる間、彼は不安そうに、弁解がましくしゃべり続けていた。
最後まで読み切って煙草を灰皿に押しつけ、私は少し考えながら云った。
「でさ。そういう試みって、これで成功してると思う?」
痛いところを突かれた様子で、桜庭は少し声を裏がえらせた。
「いえ。その。まだ良くわからないです」
「じゃあ、それを突き詰めなきゃ。そうでしょ? ふつーの話を描くなんて、自分のスタイルを確立してからでもいいじゃん。間違って妥協した話で賞なんか取って、連載だ、なんて話になったら。もうどうにもならないよ?」
彼は暫く黙り込んでいたが、不意に苦笑して明るい声を出した。
「後藤さんは自分のスタイル持ってますよね。読めばだいたい、シナリオを後藤さんが書いたのか楓さんが書いたのか、直ぐにわかりますから」
「え? アンタ、私らの同人誌読んでたの」
「あれ、楓さん、云ってませんでした? ボクはファンなんですよ。なのでボクと同じ賞に投稿するって云うんで、それを口実に会わせてもらおうと。後藤さん、楓さんと違って同人仲間の集まりとか出ないじゃないですか。だから」
へぇ、と、呆れたような困惑したような、複雑な声が出てきた。男が興味のある同人誌はエロがメインなものばかりで、私たちが描くようなタイプは読まないとばかり思いこんでいた。
「まぁ、なんでもいいけどさ。まだ三月あるんだし、新しいの描いてみたら? 私はそっちのがいいと思うけどね」
彼は考え込むように唸っていたが、すぐに元の、調子のいい声に戻って云った。
「そうだ。こういうの、どうです? ボクは後藤さんが云うようなのと、今回送るつもりで描いていたのと、二つ出します」
「え? 複数応募ってオッケーなの?」
「えぇ」
「でも大変じゃない? なんか留年するかもとか云ってたじゃん」
「一つは、もう殆ど出来てますし。やってみますよ」
「へぇ。まぁ、頑張りなよ。云いだした出前、私も何か協力できるんなら手伝うし」
「そう。それでなんですけどね。後藤さんも、一般受けしそうなのをもう一つ描いて、一緒に送りませんか?」
「え? なんでそうなるの?」
「まぁ、勝負じゃないですけど。ボクは今日話したように、編集の人にも、今回は一般受けを狙うように云われてるので。きっと後藤さんが一般受けを狙えば、結構いい線いくと思うんですよ。賞だけに限った話ですけど」
「いいよ私は。面倒臭いし。そういう描き方は乗らないし」
「描いたこと、あるんですか? 一般受けを狙ったようなの」
「そう云われると。ないけど。でも、そういうのは楓の担当だし」
「じゃあ、実験的作品って訳ですよ。あぁ、読んでみたいな、後藤さんがどういうの描くのか」
「煽てられてもね。第一、こっちも例の卒研が大変なんだよ」
「そっちは二人じゃないですか。ボクは一人ですよ?」
まったく、屁理屈の上手い子だ。
私はなんだか面倒くさくなって、仕方なしに大きくため息を吐いた。
「わかったよ。描けばいいんだろ描けば。ただ楓がウンって云うか知らないぜ」
「あ、それは大丈夫じゃないですかね。あの人、最近凄い暇してるから」
あぁ、そうか。
ならいつも通り、私がシナリオを書いて楓が絵を描いたヤツと、楓がシナリオを書いて私が絵を描いたヤツ。二つ作って送ればいいだけじゃないか。
桜庭には悪いが、とても一般受けするようなシナリオなんて書きたいとも思わない。早速楓に新しいシナリオを書かせようと電話をしてみる。だが彼女は既に、何もかも承知していた。
「さっき桜庭から電話あって。聞いたよ。やっぱ私も、後藤も一回くらいは一般受けするような話、書いてみるべきだと思う訳よ。ウン」
死にやがれ。
と、口に出したかどうかはわからないが、私は再び悪癖の面倒くさがり症が出て、さっさと電話を切ってベッドに倒れ込んでしまった。
一般受け。
一般受けねぇ。
私は嫌々ながらも考えてみたが、やっぱり乗らないものは乗らない。段々どうでも良くなってきて、結局何も思いつかないまま、眠りに落ちてしまった。
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