第48話

 初めて入る総研チームの〈虫牧場〉は、あちこちに藁やらウサギの糞やらが散らばった我らがウサギ牧場とは似てもにつかず、以前豊橋が云っていた〈工場〉そのものだった。利用スペースもそう大きくなく、外見からでは虫が入っているとはわからない小型の冷蔵庫のようなモジュールが、綺麗に並んで積み上げられている。


 そうした幾列ものモジュールの間に、白衣姿の豊橋の姿もあった。彼はモジュールの前面に付いているモニターパネルから何かの数値を読みとっていたが、私たちの姿を見ると眉間に皺を寄せ、怪訝そうに近づいてくる。


「何だ。それは部分的には共同戦線には違いないが、この中に入れるのは不味いだろう」


 呆れかえった様子で云う豊橋に、鳥取は肩を落としながらも抗弁した。


「それが。そうも云ってられなくなって」


 事情を説明する鳥取。その最中に岡は物珍しそうに育成モジュールを眺めていたが、一通り終わった所で待ちきれない様子で疑問を挟む。


「で? 何処にあるんです、その勝田さん専用生育モジュールって」


 暫く二人は顔を見合わせていたが、年長の豊橋が頷くと、鳥取は私と岡をモジュールの奥の方に促していく。そして淡い明かりだけが灯る通路を一番奥まで行くと、鳥取は他とは違う赤い印が付けられたモジュールの前に立った。


「ここ一帯、なんですけどね。暗証番号がわからないんで、開けられないんです」


「ボクも気にはなって、何度か試してみたんだけどね。無理だった。将来に向けての実験だとか云ってたけど。何なんだろうね」と、豊橋。


「この際、ぶっ壊してでも開けちゃいましょうよ。どうせ勝田さんは捕まってるんだし」


 いい加減に苛立って言い放った私を、一同は目を丸くして見つめる。


 それでも、他に手もない。結局岡が牧場に駆け戻ってバールのようなものを持ってくると、僅かな隙間に突き立てて思い切り捻る。すぐに鍵がバキンと音を立てて壊れ、扉はゆっくりと開いていった。


 中には、赤紫色の丈の長い花が咲き乱れていた。


 不毛の月にいるせいか、今までに見た花のどれよりも、美しく、輝いていた。


「これは、間違いなくハシリドコロですよ」赤紫の花から瞳を反らせないでいる私と岡に、鳥取は気まずそうに云った。「どうして勝田さん、こんな物を」


「ひょっとしてアームストロングで使われた毒って、これか?」と、岡。


「どうでしょう。でもここの所、毒ガス戦争の影響で薬品の流通に制限がかかっていて。それでそのまま宇宙に持ってくるのも不可能だと考えて、種だけ隠し持ってきて繁殖させることを考えたのかも」


「それで精製した毒を、アームストロングにいるテロリスト仲間に渡した。いい推理じゃないか。もしくは佐藤クンを買収ついでに、ライバルを潰そうとしたんじゃないのかね? 現に半分のウサギが毒まみれ。出荷は無理だし、母胎の影響を考えたら繁殖に使うのも躊躇われる。だろう?」


 皮肉な口調で云う豊橋。いやいや、そんな訳ないじゃないですかという鳥取と、早速勝田さんへの敵愾心から、それを疑い始める岡。


「じゃなければ、マスドライバーで打ち出すコンテナか何かに、この毒を満載して飛ばそうとしたとか。隕石爆発プラス毒の雨。効くよこれは。あぁ、こうも考えられる。まず毒でこの基地を壊滅させておいてから、ゆっくりと誰にも邪魔されない環境でマスドライバーの発射。うん、こっちの方がしっくりくる」


 楽しそうに云う豊橋の新たな推理を遠くに聞きながら、私は一人、考え込んでいた。


 何もかも変なことばかりだ。


 これは殿下と勝田さんが拘束されたことと、何か関係があるのだろうか?


 それは、あるとしか思えない。


 でも、一体どんな風に?


 わからないことだらけだ。彼らの計画の目的が、さっぱり推理できない。毒花と、隕石爆撃。強いて云うなら、変態豊橋の推理が一番無理がない。勝田さんはNDAの盾をいいことに、この基地で毒を量産。月面での毒ガステロに一定の役割を果たした。


 でも、問題は殿下の存在だ。


 彼の素性を何一つ知らないとは云え、あの彼がテロリストに力を貸すとは到底思えない。


 だとして、彼ら目的は。一体何だったのか。


「まぁでも、ボクらが探偵の真似事をしてどうするんだい? いいじゃないか、あの軍人に任せておけば」


 面倒くさそうに云う豊橋に、鳥取は弱々しく抗弁する。


「でも、佐治さんはこの花の事を知りませんし」


「ゲルのこともな」


 と、岡が私の耳元で囁く。


 そう、今のところ、一番多くのことを知っているのは、私と岡の二人だけなのだろう。それは佐治がどれだけのことを掴んでいるかわからないし、ひょっとしたら殿下と勝田さんが自白しているかもしれない。だから今の時点で全てを報告するのは、時期尚早のようにも思える。私たちには牧場復活の鍵を握るゲル技術を密かに手にしているという弱みがあるし、総研チームにはご禁制の毒物を製造していたという秘密もある。


「そうだな。キミらは、これを佐治に云うつもりか?」


 鋭く云った豊橋さんに、二人揃って唸る。答えたのは岡だ。


「なんか関係ありそうなんで、云った方がいいような気もするんですけどね」


「確かにな。でもボクらは、今でも十分に立場が悪くなってる」


「黙ってろと? それは」


 食いついたのは鳥取だ。豊橋さんはため息を吐きながら、辛抱強く云う。


「いや。とりあえず彼女の日誌なんかを調べてみるべきだろう。それで材料を揃えてからの方が、ボクらが共犯なんじゃないかっていう疑いを持たれずに済む」


「それは、そうですが」


 微妙な会話を始めた二人に、岡はため息を吐きながら割り込む。


「とにかく、事は殿下にも関係あるんです。明日の朝までには、そちらの結論出してくださいよ」


 そして虫工場を後にし、牧場に戻る。岡は更に大きなため息を吐きながら、ばりばりと頭を掻いた。


「あとはアッチの調べ次第だ」


「そうですね。このまま暴露しちゃっても、殿下の立場が悪くなるだけですし」


「クソ、殿下を信じるにしても。何かが足りねーんだよな」私が思っていることと同じことを云って、彼は腕を振り下ろした。「とにかく、ゴッシーも何かわかったら教えて。殿下も大切だけど、牧場も大事だし」


 殿下とテツジが離脱してしまったことで、牧場は二人で回さなければならない事態に陥っている。それを考えればここで無駄な探偵ごっこで寝不足などになっている余裕がないのは確かで、私も素直に従うことにした。宿直は岡に任せ、私は自室に戻る。


 とはいえこんな状況で簡単に寝られるほど、私は神経が太くない。布団に潜り込んでも目は冴えたままで、仕方がなくパソコンに地上のテレビ映像を映しながら、メモ帳を手にとって再び考え込む。


 決定的に何かが足りなかった。


 彼らの目的。それを解き明かすための、幾つかの鍵が。


 ため息を吐いてメモ帳を伏せながら、テレビ映像に目をやる。泥沼化している毒ガス戦争は、既に主要なニュースとはなり得なくなっていた。凄惨な戦いが続いているのは確かなのだろうが、それでも先進諸国に与える影響が少ない以上、誰も興味を持たなくなる。チャンネルを回していくと辛うじてCNNだけは取り扱っていて、相変わらずの停戦協定の無視だとか自爆テロだとかグダグダした戦況を伝えている。


 まったく、これじゃあ勝田さんじゃあないが、隕石爆撃でもしたくなる。ニュースが伝える凄惨な戦場は、もはや理性を完全に失っていた。指揮官だとか司令官だとかいう連中は欲にまみれていて、略奪で得た財産で豪遊することしか考えていない。そんなヤツを担ぎ上げる兵士や民兵も殆どが薬漬けで、民間人だとか女子供だとか見境なく虐殺する。一方の宗教的原理主義者というヤツも、こちらもまたイカれてる。神のための聖戦だとか云って、結局は自分の主義主張を通すのに暴力を手段にしているだけだ。戦争に疲れ果てた無学な人々を騙して、爆弾を胸に抱いて飛び込めとか云ってる。残るインテリたちは、暴力と混乱に嫌気がさし、早々に国外に脱出して亡命政府なんかを作ったりしている。全てはオイルマネーで潤っていた頃、ろくに教育や開発投資もせず、王様が豪遊したり無意味な成金趣味な街を作ったりしていた所為だ。


 しかし、そんな所に危険を顧みずに飛び込んで、医療活動とかをしている人々もいる。彼らは現地の苦難は先進国に責任があると信じているのかもしれないが、これもまた私にとってみれば、偽善の象徴に他ならない。ほらみろ、誘拐されて身代金要求だ。それって結局、私らの払った税金から出るワケで、何とも馬鹿馬鹿しい話だとしか云えない。それに誘拐するテロリストも馬鹿だ、単純にお金目当てなのだろうが、そんなことを続けていれば身銭を切って助けに来ている連中も来なくなるし、人道的支援というヤツも途絶えてしまう。そう、鳥取も云っていたじゃないか、薬品の流通が規制されてるって。その分じゃあ薬なんて禁輸措置がされてしまっているに違いないし、そうしたら助かるはずの毒ガスで簡単に死んでしまうのも、彼ら自身と云うことだ。


 自業自得。馬鹿馬鹿しい。


 かの地域には、もはや愛と平和は通じないのだ。もう国境線に壁を立てて、百年くらい封鎖してしまえばいい。そうすればそのうち絶滅して静かになるか、少なくとも平気で殺し殺されしないでもいい組織が出来るはず。


 そう、それがいい。


 と、以前の私なら、平気で考えていたことだろう。


 だが今の私は、どうにも引っかかるところがあって、何だかすっきりとしないものが胸に支えていた。


 私は全知全能の神か? 違う。それは地球を離れた瞬間、悟ったこと。私には戦争の原因なんて完璧に理解など出来ないだろうし、誰に責任を負わせるのが良いかなんて、判断出来るはずがない。無理だ。不可能だ。


 ただ、私に出来るのは。辛うじて想像出来ることは、誰が、何を考え、そうしようとしたのか、ということくらいだ。


 そうだ。以前の私のように、いろいろな事を決めつけ、達観するのは簡単。


 でもこうして色々と苦難を乗り越えてきてみると、何だか、どんな事でも、〈何とか出来るんじゃないか〉という気がしてならなくなってくる。最初は卒業の危機に始まって、訳もわからないままテーマ探しをして、公募を見つけたはいいが、最初はまるで採算が合わなかった。確かウサギたちも最初はキロ数千万もするような高価なものにしかならなかったが、様々な工夫で十数万円まで下げることが出来た。設備も最初は何を作ればいいかわからなかったが、色々な人の協力、そして何より私たち四人の頑張りで、あれだけ立派な物を作り上げることが出来た。


 そう、それを考えると、同じような苦労は総研チームだってしているに違いないし、そもそもこの月面基地だって、一世代前は夢物語だった。


 それが、今、私はここに、こうしている。


 だとして戦争の悲劇を納めるのも、簡単に放棄してしまってはならない。こんな単なる漫画好きの女が、こうして月面に来ることが出来たのだ。戦争にだって、何か出来ることがあるはず。


 そう、勝田さんや殿下も。考えたりしたのだろうか?


 そうだ、ついさっきまでは、隕石爆撃だなんて云われても、とても実現可能だなんて思えなかったし、それをやろうとする心理も理解できなかった。


 でも確かに彼らは、ほんのもう少しでそれを実行できるような所まで行っていた。別に基地の運営でも、政府の密命を受けた工作員でもない、ただの民間人の彼らが。


 そうだ。月でウサギを飼えたのだ。隕石爆撃だって、やりようによっては可能だと考えるべきなのだ。


 だとして、彼らをそこまで追い込んだ感情は何だ? 現地武装勢力と手を結んでいたのか? それともやっぱり、何か別の目的が。


 その時、私の中で、様々な言葉、文字、数字、そしてここ数ヶ月の記憶が、一点に集まっていくのを感じた。


 そうだ。信じられないことだが、そう考えるより他にない。


 確かに彼らは、戦争の悲劇を和らげようとしていたのだ。

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