第49話

 夜通し調べ、結果として得た情報で推理が思い切り裏付けられると、私は朝一番で牧場に向かう。そして結局眠れずに頭を悩ませていたという岡と鳥取、そして宿直明けで機嫌悪そうに大欠伸をしている豊橋を呼び集め、一通りの私の推理を話して聞かせた。


「いや、まさか、そんなこと」鳥取は寝不足で真っ赤になった目を擦って、宙を見上げた。「でも云われてみると、確かにその通りです。他に考えようがない」


「とにかくそういう訳で、この保水ゲルのデータはお返しします」


 結局それを明かさなければ、説明のしようがなかった。私が鳥取に差し出した電子パッドを岡が微妙な表情で眺めていたが、仕方がない、というように頷く。


「そうだな。盗みみたいな真似までして、牧場を成功させても仕方ないしな」


 だが、鳥取は差し出されたパッドを受け取ろうとせず、曖昧に私や豊橋に視線を送った。


「でも、どうするんです? そのお話。運営に伝えれば、全てが丸く収まるかも知れないですが」


「ダメだダメだ!」豊橋が大げさに両手を振り上げた。「そんなことをしたら、ここでハシリドコロを製造していたことを明かさなければならない。下手な方に転んだら、我々は月面を追い出されてしまうかもしれないんだぞ? ダメだね。受け入れられない。そこで取引だ」と、私に鋭く指を突きつけた。「その保水ゲル技術は、キミにあげよう。代わりにキミは、その限りなく正解に近いだろう推理を、そっと胸の中にしまっておく。どうだ? 悪い話じゃないと思うが」


「ですが、上手い方に転がれば、勝田さんが戻ってくるかもしれないんですよ? 掛けてみるべきだと思うんですけど」


「あんな女、ボクの知ったことじゃあないね。だいたいキミの云うことが本当なら、影響はボクら二チームに留まらない。基地全体が完全に機能停止してしまうかもしれないぞ?」


「可能性はあります。でも」


「だいたい何だ? このプロジェクトに一番固執していたのか勝田女史じゃないか。それをこんな訳のわからない計画でおじゃんにするなんて。キミは許せるか?」


 意見を求められた鳥取は、何でも許せてしまうタイプだ。


「それは、ボクらに相談してくれなかったのは残念ですけど。でも悪いことをしようとした訳じゃあないんですし」


「馬鹿馬鹿しい! キミもこの半年で、相当あの女に感化されてしまったみたいだな。いいか、重要なのは」


 豊橋がこういう反応をするだろうことも、私は十分に予期していた。例によってベラベラと演説調の言葉を発し始めた豊橋に、私は計画通り、他の二人には見えないよう、そっと厳重に保管していたビニール袋を掲げてみせる。


 キャメルの吸い殻だ。


 やはり弱みというのは、握っておくに限る。途端に彼は顔を硬直させ、それでも鳥取と岡には気づかれないよう、すぐさま苦笑に変える。


「だが、とはいえ。彼女がいないと工場の運営が難しくなるのも確かだ」急に論調を変えた彼に、鳥取と岡は顔を見合わせていた。「だろう? 二人で二十四時間、工場を回していくのは大変だ。それに勝田女史がいなければ、こうしてボクらが月に来ることもなかった。そこで、ボクは、五所川原さんの云うとおり、掛けてみることにする。完全復帰か、撤退かをね」


 何とか、感動的な演説に仕上げた。つもりなのだろう。彼は満面の笑みで両腕を広げていたが、一同は怪訝に眉をひそめ、黙り込んでいた。


 とにかくこうして内輪をまとめると、早速一番攻略しやすいであろう克也を見つけて、とにかく新事実を発見したから、勝田さんと殿下が移送されてしまう前に、隊長と佐治に説明させてくれと一同で頼み込む。


「そこまで云うなら」と、予想通り克也は禿頭を撫で上げながら。「だが、その新事実って何なんだ?」


「よかったら、他の運営の皆さんも同席してもらえませんか。話を裏付けてもらいたい部分もあるので」


 こうして、何とか関係者が一堂に会する場を設けられた。とはいえ、十人近い面子が極秘会議を開催できる場所など限られている。結局は藁屑とウサギの糞にまみれた我らが牧場に呼び集められ、床の上や丸椅子の上に座を確保してもらうことになった。


 待ち受ける私、岡、鳥取、豊橋。最初に座に加わったのは、克也、戸部、木村、ドクター津田の四人で、続けて羽場が困惑した表情でふらふらと漂ってきた。


 そして最後に、隊長と佐治が揃って入ってくる。


 隊長は厳しい表情のまま一同を見渡すと、空けてあった一番立派なパソコン椅子に腰掛け、口火を開いた。


「それで? 新事実とは何だね。こんな人を集めないと、説明出来ないことなのか?」


 私は多少の緊張を感じて、唾を飲み込んでから云った。


「えぇ。多分、間違っていないと思うんですけど。一応、皆さんの専門分野に関わることなので。話を裏付けてもらおうと」


「わかった。いいだろう。それで?」


 身を乗り出した隊長に、私は説明を整理したメモ帳を手に立ち上がる。


「まず、最初に確認したい事があるんですが。まだ勝田さんと殿下。佐藤クンは、まだ完全に黙秘してるんでしょうか」


 佐治が軽く隊長に目をやったあと、例の乾いた声で答えた。


「あぁ。まるで口を開かん」


「わかりました。ではまず、二人の身元についてはっきりさせたいんですが。勝田さんは、反米反グローバリズムの左翼団体系の、平和運動団体に加わっていた。そして佐藤クンは、中央アジアの某国の、イスラム王朝の流れを組む亡命王子だった。これは正しいですか?」


「あぁ。付け加えるなら、佐藤は生まれてからすぐに帰化している。間違いなく日本人だ。だたし戦争の関係で微妙な立場には違いないから、事前に徹底的な身元の調査は行ってある。その時には、現地のイスラム反政府勢力との関係は見つからなかった。だから月面に来ることが許可された」


「わかりました」これも推理を補強する材料だ。「他に、勝田さんの平和運動団体ですが、これは私自身が彼女から聞いた話ですが、毒ガス戦争に関連して、現地に医薬品を送ったり、アメリカの平和維持軍計画に反対する運動を行っていたと云います。ただし医薬品の援助については、アメリカ主導の禁輸措置が発動されて滞っていたと。これも正しいですか」


「あぁ」佐治が、苛立ったように。「背後に、アームストロング基地を毒ガス攻撃した反米テロリストネットワークがあるかもしれん」


「しかし、特にそういった証拠は見つけられなかった」


「仕方がないだろう! 月面で何を調べられる! これ以上は筑波に任せるしかない!」


「まぁ、別にキミを非難している訳ではないだろう」と、身を縮ませた私に、隊長がフォローを入れてくれた。「で? 続きは?」


「あ、はい。それで。まず佐藤クンですが、公団が調査したとおり、少なくとも月面に来るまでは、テロリストネットワークなんかと関係があったとは思えません。とてもあんな学生寮の環境で、日常的にテロリストと連絡をとりあう事なんて不可能だとしか思えません。電話は全て取り次ぎですし、基本的に電化製品は禁止、しかも三人部屋でプライバシーなんてありません。この辺は岡さんが詳しいです」


「えぇ。そりゃあいつ舎監が来るかわからないし、三人部屋なんて互いが何してるかすぐわかるし、そもそも外に出歩こうにも田舎で何もないし。いくら殿下でも、そんな秘密を抱えて四年もオレらと一緒に生活出来たとは思えないっす」


「そんな訳で、少なくとも殿下が以前からテロリストネットワークに関わりがあったとは考えられません。関わりが出来た可能性としては、月面牧場プロジェクトが開始されて、勝田さんと出会った後です。事実、種子島や基地に来てからは、二人が密会していた形跡が幾つかあります。


 さて、次に彼らがやろうとしたことですが。明らかになっていることは二つ。一、殿下がマスドライバーの制御プログラムを書き換え、毒ガス戦争地域を照準に合わせられるようにしていたこと。二、勝田さんが同地域に極秘通信を行っていたこと。他にあれから、何かわかったことはありますか?」


 苛立ちを隠さずに頭を振る佐治。私は頷いて、いよいよ問題に切り込んでいった。


「では、それぞれ詳しく検証していくことにしましょう。まず最初のマスドライバーの制御プログラムの書き換えですが。羽場さん、これって、殿下に出来たでしょうか」


 急に問われた羽場は、困惑した様子で両手を摺り合わせた。


「さぁ。どうかな。彼って凄く頭がいいから、出来ちゃうかも」


「でも、たかだか一介の高専生に、それが可能だったでしょうか。羽場さん、自分で仰ってましたよね? 間違っても変なところにコンテナが発射されないよう、厳重な診断プログラムが組み込まれてるって。それに各分野は専門的になりすぎていて、それ以外の専門の人じゃあ、何もわからないって。現にマスドライバーを組み立てた克也さんだって、制御プログラムに関しては全然わからない」


 無言の克也を一眺めしてから、私は続けた。


「そう、マスドライバーが発射する物体の軌道計算なんて、とても高専生に改変可能だったとは思えません。射速に加えて、発射する物体の重量や内容物の偏りによってモーメントが大きく変わりますから、軌道計算は大変に複雑になります。しかも通常マスドライバーは、大気圏との摩擦によって対象物が燃え尽きないように、可能な限り穏やかに届ける軌道を計算し、発射します。一方、隕石爆撃はどうです? とにかく破壊力が重要です。もう大気圏での減速とかを利用するんじゃなく、とにかく猛スピードで、地表に激突させる軌道。それは皆さんは、プログラミングや弾道計算に詳しくないですから、何となく殿下の頭がいいから可能だったと考えられたかもしれませんが。多少ですが学校で習ったばかりの私なら、こう思います。いくら殿下が賢くったって、独力じゃあ、絶対に、絶対に不可能」


「それは、勝田やテロリストネットワークの協力があったと考えればいいだろ」


 突っ込みを入れる佐治に、顔を向ける。


「無理です。マスドライバーは完成したばかりで、現に羽場さんが月にまで来てプログラムの調整を行っていたくらいです。そしてそれも、殿下は知っていた。つまり、結論です。マスドライバーの制御プログラムの書き換えは、羽場さんの協力がなければ不可能だったはずです」

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